穴八幡宮縁起と婆狐──戸山公園の怪一(東京都新宿区) | コワイハナシ47

穴八幡宮縁起と婆狐──戸山公園の怪一(東京都新宿区)

新宿区にある戸山公園は一九五四年(昭和二九)に開園した都立公園だ。園内のランドマーク、標高四四・六メートルの箱根山は山手線内で最も標高が高い「山」として、あるいは桜の名所として知られる。また、広々とした園内は、東側の箱根山地区と西側の大久保地区に分けられ、それぞれに広場や池、児童遊具やアスレチックのコーナーなど見所があり、開園以来、今日まで、近在の人々から愛されている。

もっとも、公園を訪れる人々の年齢構成は昭和の高度成長期とは大きく異なる。

戸山公園を取り囲むように立ち並ぶマンモス団地「戸山ハイツ」は、当初、一九四九年(昭和二四)に、第二次大戦後の住宅難を解消するために都営の集合住宅用地として造成された。

その後、東京では、昭和三〇~四〇年代に、日本経済が急成長するにつれて、都心部で働く地方出身のサラリーマンに近代的な住宅を大量に供給する必要が生じた。都内近郊に多くの団地が開発され、戸山ハイツもまた、敷地面積を拡大しながら鉄筋コンクリート造高層住宅群に生まれ変わった。

四〇年代というと、一九六七年生まれの私の幼年時代だ。

私は五、六歳まで、東京都世田谷区の公営団地「都営下馬アパート」に住んでいた。最近、見に行ってみたら、かつて近所の子らと駆け回った団地内の通りには人影がまるでなく、不気味に静まり返っていた。

記憶にある過去の活気に満ちた光景を思うと、幽霊が出そうと言うよりも、団地そのものが幽霊になってしまったかのように感じたものだ。

新生日本の青春時代のようだった高度成長期が終わると、団地は急速に老いたのだ。

戸山ハイツで育ち、戸山公園で遊んだ子供たちも、消えてしまったようだ。園内には老人の姿が目立つ。……私も今年で五〇歳なのだから人のことは言えないけれど。

平日の昼間に戸山公園を訪れて、箱根山に登ってみた。山頂からの眺望には、戸山ハイツも入っている。「箱根山の登頂証明書を発行します」と記された案内板を見ながら、耳を澄ました。

箱根山では、不気味な男性の叫び声を耳にする人が多いという。怪奇現象や幽霊の目撃談もある。戸山ハイツを含む戸山公園一帯を心霊スポットだと言う人もいる。

怪異の噂がある土地には、古い時代から現代に至るまで、奇譚が層を成しているケースがとても多い。戸山公園界隈も然りで、奇譚とロマンに満ちた歴史を持つ。

古くは古墳時代に遡ぼる。箱根山の北東にある丘を前方後円墳だとする説があるのだ。

前方後円墳が造営された時代は三世紀末から六世紀末。古墳はパワースポットだとも言われるが、要はお墓である。神道では死を穢けがれとするにもかかわらず多くの神社が古墳の上に建てられている理由については諸説あるが、ここにも「穴八幡宮」というお宮がある。

穴八幡宮は、一〇六二年(康平五)に八幡太郎義家こと源義家が創建したと伝えられている。社伝によると、義家公が奥州から凱旋する途中、日本武尊にならって兜と太刀を納めて八幡神をここに祀ったのだそうだ。

一六四一年(寛永一八)には、宮守の庵(神社などを管理する別当寺)を造るために山裾を切り開いたところ洞穴が見つかり、中から金色に輝く銅製の阿弥陀仏像が現われた。これが現在まで伝わる「穴八幡宮」の名の由来で、このときの別当寺が現在も隣接する放生寺。

また、同じ年に幕府の祐筆・大橋龍慶が土地を方一〇〇間、穴八幡に献上し、壮麗な社殿を建てた折には、境内の神木の松から瑞光が放たれるという奇跡が起きて、放生寺は「光松山」と云う山号でも呼ばれるようになった。

穴八幡宮の不思議な現象はめでたいことの前兆として人々に受け容れられ、噂は三代将軍徳川家光にまで届いた。家光は当宮を江戸城北の総鎮護とし、お陰をもって、穴八幡宮は長く将軍家の庇護を得た。

穴八幡宮は今も健在で、「一陽来復」御守が頒布される冬至から節分にかけての時期は境内に長い行列が出来る。一陽来復とは、「陰極まれば陽に転ずる(悪い時期が終わって良い方に転じていく)」という意味だが、穴八幡宮では「金銀融通の御守」と金策に有効との御利益を謳うたって人気を博しているのだ。

古代人の遺骨と義家公の宝物を抱いだき、金色の阿弥陀仏像を生みだした奇跡のお宮・穴八幡宮の南方、つまり箱根山の南東の方角は江戸時代には牛込若松町と呼ばれ、一七九六年(寛政八)の自序(自ら書いた序文)がある国学者・津村正恭(淙庵)の随筆集『譚海』によれば、御旗組の同心が十人ばかり住んでいた。

今の戸山公園一帯は当時は尾張藩徳川家の持ち物で、「外山」と呼ばれていた。

ある若松町の同心が娘を嫁に出すことになり、輿入れの準備をする下女を召し抱えることになった。伝手のある知り合いに頼んで人集めをすると、やがてひとりの老女が連れてこられた。

人手が足りずに困っていたため、ろくに素性を確かめもせず雇ってみれば、意外にもこの老女、縫い物だろうがなんだろうが器用にこなし、働きぶりが目覚ましい。

さらに老女の生家からは、主人の家族だけでなく下働きの者たちにも行きわたるほど大量の魚や贅沢な食材がしょっちゅう送られてきた。

同心の家族は、「よい人が来てくれた」と喜んだが、あまりにも出来過ぎているようにも感じた。しかし老女のことは皆して気に入っていたので、強いて問い詰めることもないと思っていた。

そのうち輿入れ当日になった。嫁入り先に老女もついていくことが決まっていたのだが、いざ駕籠に娘が乗り込む段になってみると、姿がどこにも見当たらない。

老女は消えてしまい、皆で手分けして探しつづけたが、結局、一ヶ月経っても見つからなかった。探しようがないのは出自も何もわからないからだが、身許をきちんと聞かずに雇ってしまったことがそもそも奇妙だ。老女には不審な点が多々あったことに、人々はあらためて気がついた。

その頃から、次第に怪しい噂話が囁ささやかれだした。

「昔からこの土地には〈外山ヶ原の婆狐〉というものがいるらしい……」

老女が狐の化物で、あやかしの類であれば、何をやらせても抜きんでて優秀であったり、故郷から山海の珍味が頻繁に届けられたりといった奇妙なことの説明がつく。

たぶんそういうことなのだ、と、皆、納得せざるを得なかったそうだ。

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