外山屋敷怪談──戸山公園の怪二(東京都新宿区) | コワイハナシ47

外山屋敷怪談──戸山公園の怪二(東京都新宿区)

根岸肥前守鎮衛の『耳嚢』は現代でもファンが多く、岩波文庫から注釈付きの物が上・中・下巻で出ている。この下巻に収録された「外山屋敷怪談の事」という話は、「尾州外山の御屋鋪、名だゝる廣大の事にて、五十三次の景色其その外山水の眺望疑ひなしとかや」で始まるとおり、戸山公園の元となった尾張藩徳川家の下屋敷とその庭園「戸山山荘」を舞台にしている。

尾張藩徳川家の二代藩主徳川光友が造らせた回遊式庭園「戸山山荘」には、箱根の山に見立てた築山・玉円峰(現在の箱根山)や小田原宿を模した建物など、東海道をテーマにした二五景が設けられていた。

後には水害や火災に遭うことが度重なり、尾張藩の財政が悪化したせいもあって、戸山山荘は荒廃し、復興されることはなかった。

「外山屋敷怪談の事」の出だしを現代語に意訳すれば、「広大な敷地に東海道五十三次の景色をしつらえ、その他の山水の造景の眺望も麗わしい、尾張藩徳川家の戸山のお屋敷に上様が御成りになったことがある」ということで、一時は小石川上屋敷と肩を並べる風光明媚な大名庭園として名高く、一七八九年から一八〇一年の寛政年間には一一代将軍徳川家斉の訪問を受けたそうだ。『耳嚢』で描かれた出来事があったのは、栄華をきわめた頃だと思われる。

以下に逸話の続きを紹介しようと思う。

──上様が訪れる可能性がある場所は、事前にしっかり検分する必要がある。「戸山山荘」に御成りになることが決まると、大奥検分方の頭取・夏目某という御仁が派遣されてきた。

尾張徳川家の役人が夏目某に「戸山山荘」の随所を案内して回る。やがて彼らは、うら寂しい田舎の景色を人工的に再現した一画に差し掛かった……と、そこにある祠ほこらを夏目某が見み咎とがめた。

まず、その祠は人工のテーマパークである戸山山荘らしからぬ本物っぽさがあった。使われている木材や建て方が古びていて作り物に見えない。そのうえ扉に錠を掛けて封印してあるのだから怪しい。

夏目某は気丈なたちだったから、ただちに、なぜこの祠は錠を掛けて封じられているのかと案内役の役人に訊ねた。

役人は、昔、聖人がこれに邪神を封じ込めたという伝説があり、未だかつて錠を開けて中を見た者はいないと聞いている、と笑いながらまことしやかに答えた。

これが癇に障った夏目某。「そんなことが、あるわけがない!」と一喝。「上様がそれは何かと尋ねられたらどうするつもりか!」と役人を叱りつけた。

つまり祠を開けさせろということだとわかり、案内役は止めようとした。しかし夏目某はますます語気を強めて、「こういう物を検めるために私がいるのだから、鍵を寄越せ!」と迫る。

そこで役人は仕方なく夏目某に鍵を渡した。夏目某はさっそく錠を開けて扉の中を覗いたのだが、何かに驚いたようすを見せたかと思うと、大急ぎで祠の扉を閉め、元のように錠を掛けてしまった。

後に、祠の中に何が見えたのか夏目某に聞いてみたところ、「何か真っ黒なモノが頭をグッとこちらに突き出してきたのだが、そいつときたら眼の光が尋常ではなく、あたりを照らし出すほど異様に輝いていて、恐ろしかったとしか言いようがない」と語ったとか。

しかし、筆者・根岸鎮衛が考えるに、これは怪異ではないという。

尾張家の先代か誰かが、みだりに口外してはいけない悪い品物を隠すために、人々が崇るお社に封じていたことを夏目某は見抜き、何もかも心得た上でこんな怪談をデッチあげたのだろう──。

はたして、祠に隠されていたのは何だったのだろう?

素直に「惡敷品(原文ママ)」の正体を思い浮かべたら、南蛮由来の禁制品かキリシタン関係の像か十字架ということになるが、だったら尾張藩の役人が「笑ひて答へ(原文ママ)」るかしら?

いろいろ想像できるけれども、祠は現存せず、もはや確かめようがないのである。

箱根山だけが昔日の名残をとどめて、当時と変わらぬ場所に今もある。

関連話
穴八幡宮縁起と婆狐──戸山公園の怪一(東京都新宿区)

シェアする

フォローする