五稜郭の旧幕府の秘宝を狙う邪気(北海道函館市 五稜郭) | コワイハナシ47

五稜郭の旧幕府の秘宝を狙う邪気(北海道函館市 五稜郭)

以前、霊視と気功の先生、S氏とこの五稜郭を訪れた。

桜がきれいな時期だったのを覚えている。

S氏は歴史にも詳しく史跡では霊も見ることがあるという。

特に人間の邪気が良く見えるので、取り合いになったような櫓やぐろや戦地にいくと建物や土地の大半が黒く澱よどんで見えるのだそうだ。

S氏が足を止めた。復活した函館奉行所の建物辺りだ。

「この辺りが特に澱むね。亡くなった怨念が非常に強いし……」

「五稜郭の戦いがあったからですかね? 確か新選組の土方歳三も、大鳥圭介もここで討ち死にしたと思います」

「いや、彼らは別の場所で死んでる。それにここに強い思い入れがない」

「はあ、思い入れ……」

「ここはね、今もここを掘り起こすなっていう強い念があるんだよ」

「何か埋まってるんですかね」

「幕府の財宝だろうね」

「え? ここに?」

「ただ、見つけきれてない。函館の歴史がこの邪気に振り回されているだろう?」

確かに北海道の中で、戦争に巻き込まれた場所はここだけだ。

アイヌ時代を外して近代、戊辰戦争での戦闘、太平洋戦争では空襲や青函連絡船の機銃での追撃もあった。

「青函トンネルも国家事業だったろ? どうしても函館を調査しなきゃいけない事情があったんだよ。特に外国は狙っていただろうね」

とつとつと話される歴史観にすぐにはついていけなかったが、当てはまる事が多い。先生は黙って、あちこちの土や木に向かって手を合わせ、お経を唱えていた。

そして、ようやく儀式が終わると、歩き出した。

「君が怖がるから言わなかったけどね、ずっとついてきてるんだよ」

「だ、誰がですか?」

「首が無いお武家さんだ」

「……で、どのあたりに今いるんですか?」

「空中を浮遊してる。探しに来ているんだよ。渡した大事な物を見守りにね」

「その財宝、この五稜郭にあるっていうんですか?」

「函館山の方かもしれん。わしも金脈までは見えんでな。ただ、ここを最近造り直したことがあるだろう? そういう工事がある時は必ず掘削するからね」

確かに五稜郭公園内の函館奉行所が2010年に復活した。

「掘り返したと思って見張りに来てるんですか?」

「多分そうだろうね。ただ怨霊としても非常に強いから、祈りは捧げた。何しろ首を刎ねられて、さらし者になったからね……」

「その霊は誰ですか? 函館で死んだ人ですか?」

「いや、群馬で死んだ。幕臣のキレ者、小栗おぐり忠順ただまさだ」

「小栗忠順……」

「彼は江戸城無血開城のあと、18台の荷馬車に載せて、すべての徳川財宝を持って逃げたんだよ。再起のためにね。一つは○○に、一つは○○へ。そして、大鳥圭介(幕府陸軍総司令官)に渡し、榎本武揚のいる函館に向かった」

S氏はさらに詳しい話を始めた。

「それが軍資金で、函館を占領できたわけですか……」

「受け取る予定の幕府の所蔵金が見つからない、軍用船も渡さない。政府軍はやっきになって探したんだ。そしたら小栗の行方がわかり、すぐに首を刎ねた」

「そうだったんですか……」

「最後に吐いたんだろうな。だから殺した。でもその時の怨念はすさまじい」

「何で殺したんですか? 隠居生活を送ったと史実にありますが……」

「あれは海臨丸にも乗って視察に行ったし、不平等条約も覆すし、かなり優秀で外国人たちが嫌った、というより恐れたんだ。勝海舟や福沢諭吉なんてのは、簡単に丸め込めたんだがな……あれは本質を見抜く目を持ってたんだ」

「それなら優秀な人材じゃないですか」

「優秀なのは味方には欲しいが、敵なら殺すしかないんだよ。あの連中は」

「あの連中とは、政府軍の薩摩や長州のことですか?」

「いや、手を組んでただろ、外国の軍部のことだよ」

そう、函館は当時、新政府軍の箱館府が置かれていた。そこに政府軍に引き渡す予定の軍艦8隻を、海軍副総裁だった榎本武揚が渡さずに箱館府に向かい、そこを占領したのだ。

そこで蝦夷共和国なるものを建国する。

そこまでできるには理由があった。幕府の軍資金で金で買える外国の戦力。

まさに北海道の歴史の謎と闇はここから始まったともいえよう。

そしてこの辺りでは、当時の幕府軍の兵隊の霊を見たという人も多い。

もう150年程前の霊がまだ彷徨うとは。

「霊とか魂は、執念とか怨念、念の強さなんだよ。それが邪気になって人間に被害を与える。だから生霊の方が強いってのは、その念の強さなんだよ」

少しぞっとして自分の後ろを振り返る。

誰もいない。だけど桜の花びらは揺れている。特に風が強くもないのに。

「首なしの霊、いたでしょ? わしが見えるもんだから、着いてきてんだわ」

しばらく言葉が出なかった。霊が見えないことは幸せだ。

五稜郭は平地の要塞なので、土手より高い建物が作れない。ただ湾を見張る太鼓櫓だけが突出した高さがあった。

函館湾から3・5km、そこまでは届かないと思っていたのだ。戊辰戦争以前の旧式幕府の大砲の飛距離はせいぜい3km。

しかし明治政府軍は4km以上の飛距離を持つ最新鋭大砲を備えていた。

それで太鼓櫓が狙われ吹き飛んだ。10数名はそこで亡くなる。

慌てて榎本武揚は櫓を切りに行かせる。だがまた撃たれ二名亡くなる。

旧幕府軍の大砲で応戦するも、政府軍のいる函館湾までは届かなかった。

戦いは歴然の差で敗戦となり、五稜郭は行政の場所には二度とならなかった。

箱館奉行所から箱館府となり、榎本武揚に占領されてからは、蝦夷共和国の要塞となった場所。

明治四年、札幌に開拓使本庁の建築資材にと、この奉行所は解体される。

だが、賊軍の資材と忌み嫌われ、遊郭の建築資材になってしまった。

いわゆるケガレの場所へ移されたのは、小栗の霊魂を残したくない気持ちも新政府にはあったのかもしれない。

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