五稜郭と函館の秘宝の謎(北海道函館・五稜郭) | コワイハナシ47

五稜郭と函館の秘宝の謎(北海道函館・五稜郭)

五稜郭自体についても述べる。

ここは幕末、1954年の日米和親条約による函館開港の後作られた。

フランスの設計指導があり、当時フランスでも流行していた星型の城郭、

ボーバン様式が採用された。ここに箱館奉行が置かれることになる。

しかし、気づかないだろうか? 当時開港した下田、その後開港した神戸等にしても、城郭など作られていない。

また、8年の月日をかけ、41万両もの莫大な金額を投資した。

時の幕府は、函館湾からの攻撃や、外国人の遊歩域である函館山からの安全、欧米との軍事格差をはかる為、ロシアからの侵略に対して等、諸説ある。

南や近畿辺りからの不穏な藩の動きと、万が一雄藩が幕府から離れ、諸外国と組んだ場合、江戸幕府はどこへ逃げるか。

直轄地であり、本州から海を隔てた蝦夷地しかないだろう。

海軍副総裁の榎本含め、海軍力さえあれば、しばらく蝦夷地を支配すれば守ることができる。そのための城塞、「逃げ場所」を巨額で造成したのだろう。

ここでなら徳川幕府が再起をはかることもできるし、東北はほぼ幕府の言いなりだという自負もあったに違いない。開港させたのも函館以外は江戸より南方に集中している。

ただ、日本の幕府だけでは、諸外国勢力と雄藩が手を組めば負ける。

ではどうするか?

フランス、アメリカ、ドイツ、イギリス。幕府の莫大な資産さえちらつかせれば、軍事協力してくれるはずだ。

まだ諸外国との契約や条件は幕府の手中にあったから、様々な机上の空論が飛び交っていたことだろう。

徳川慶喜は、戊辰戦争勃発後、大阪城にいて官軍と幕府軍の戦いの総指揮を執ることになっていた。その時榎本武揚もその場にいた。

ところが、そっと大阪湾から慶喜は江戸に戻った。

これも歴史上の謎とされているが、私は仮定する。

慶喜は賢者だった。彼は芸術家の一面があり、先が見える特性があったのだろう。元は親しかった薩摩の人間の能力の高さも知っているし、幕府が存続することしか大義名分を持たない幕臣の異様なカリスマ学も、慶喜にとっては無駄に見えた。蜂起した雄藩に勝ち目は見えている。無駄な戦争だと思ったのだ。

官軍のバックにはイギリスの艦隊も見える。つまり、もう日本の刀ぐらいでは太刀打ちできない軍事力を持っている。

そして、南朝の流れからの明治天皇を立てている。北朝の孝明天皇の皇太子ではない天皇に代わる。それは幕府にとって息のかかった皇室の中でも異例の人事だったといえよう。

将棋でいえば王手がかかってる状態だった。

それならば、王将がいなくなればこの将棋は終わる。

戦う必要もないし、有能な日本人は生き延びる。と気持ちが動いたのだ。

ここで幕臣に中でも非常に有能な「小栗忠順」がいた。

勝海舟と西郷隆盛との話し合いで江戸城無血開城となるや、財宝のほとんどを持って東北方面のある場所に埋める。

政府軍は当てにしていた財宝がない。それを取り返すためにすぐに小栗の元へ向かう。小栗は所在を曖昧な場所として口にした。その場所は早々に政府が国宝指定した場所、とだけ伝えておこう。

戦意がある大鳥圭介と榎本武揚に財宝と軍資金が流れたことがわかると、小栗を反政府首謀者の疑惑で首を刎ねる。

小栗の晩年は群馬の村で子供に勉強を教えるような、隠居生活であったのに。

榎本武揚、大鳥圭介はその後、政府に重用され、共に重役となり大臣や子爵となる。切腹もせず、殺されもしなかった。

特に榎本武揚は敵将の黒田清隆(元薩摩藩)と懇意にすらなる。

榎本の息子と黒田の娘が婚姻し親戚関係にまでなり、大臣歴任の子爵となる。

薩摩の人間は、相手が敵でも尊敬に値するもしくは、利用できる能力があれば徴用するといった、超合理主義を持っている。

しかしそれだけで反政府分子を世に放つだろうか。

小栗から受け取った軍資金は、どこに行ったのかわからない。

となると、榎本らが政府軍に渡したという筋しか考えられない。

しかし、五稜郭共和国には莫大な軍資金のために集まったフランス軍や諸外国があった。北海道の土地自体を植民地にしようとした国もあった。

それが簡単に日本人同士の和解だけで消えてしまった訳だ。

ジパングにはまだ金塊が埋まっている。

邪気は日本人だけとは限らない。北海道は黒いダイヤだけが埋まっているんじゃない。諸外国が手に入れたいと思う土地なのだ。

太平洋戦争末期、B29はボンバー。爆薬を積むため、長距離が飛べない。

本州より北へは飛べなかった。だか、空母を使って函館近くまで押し寄せた。

艦上戦闘機のグラマンが200機ほどやってきて、函館市内と青函連絡船を機銃爆撃した。被害は甚大だったが、壊滅的な爆弾などは落とさなかった。

函館山にある軍部の要塞を狙ったともいうが、戦後処理に連合国軍が函館を訪れる理由も作れるだろう。

また、五稜郭の戦いの後に道庁が置かれた札幌にも空襲はあった。

冬季オリンピックが札幌になったのも、何か感じないだろうか?

180億円もするステルス戦闘機が、青森県三沢の空自基地に配備されている。

対中国の沖縄周辺の警備なら、九州に置くのが普通だと思うが、2000kmも離れた青森に置く理由は……

小さな大都市、函館の因縁は、こうして始まりを迎えた。

そして、このミステリーが怨念や執念の加工物であるのも確かだろう。

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