水戸つばさの塔と梅の精(茨城県ひたちなか市新光町) | コワイハナシ47

水戸つばさの塔と梅の精(茨城県ひたちなか市新光町)

シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに 壊れて消えた

風 風吹くな シャボン玉飛ばそ

北茨城市出身の野口雨情が作った『シャボン玉』の2番目の歌詞である。雨情の子供が生後7日で亡くなったことから作られた歌と言われている。

飛ぶものには夢があるが、いつか落ちる虚しさや悲しみもそこにある。

少年飛行兵だった雄介さんは、この歌を小さい頃からずっと歌い続けていた。

今は介護施設で生活しておられる。認知症が進み、祈るか歌を歌うかどちらかの生活だ。

時折、筆談で昔話を語ってくれる。御年90歳を越えられている。

戦時中、海軍が募集した飛行兵は15歳から20歳までの若者であり、軍事訓練や勉強をした場所を『予科練』と呼んだ。土浦や阿見に有名な記念館もある。

一方、陸軍での若者の飛行兵の志願者は『少年飛行兵』と呼ばれた。

略して『少飛』と呼んだ。この大元は水戸にあった。全国の少年飛行兵はこの水戸の飛行学校を卒業してから地方の基地に向かった。戦争が激しくなると、水戸は省略をされるようになった。

全国の基地は昭和20年を境に、アメリカからの空襲を受けた。雄介さんも地方の基地に於いて、さっきまで話していた仲間が殺された。夢見た空を飛ばずに、消えた命だった。

仲間の1人が水戸の生まれで、福岡の飛行基地にいたのだ。彼は同期の写真に雄介さんと隣同士で立って写っていた。そして、まだ紅顔の美少年であった仲間には彼女がいた。

仲間の名前は康さんと言った。

「俺が勝って、日本が勝ったら、堂々と彼女をもらいにいくんだ」

女学生の写真を見せてくれ、彼も大事にそれを貴重品入れにしまっていた。

写真の裏には彼女の住所と名前があった。名前はキクと書いてあった。

だが、基地の空襲で仲間は亡くなってしまった。

昭和35年、終戦から15年の年月が経ち、雄介さんはこの水戸に彼の遺品と彼女に渡したいと言っていた手紙を持ってきた。彼はもう32歳になっていた。

東京オリンピックの景気もあり、日本は高度成長を迎えていた。仕事の関係で水戸に立ち寄った。個人的に旅行で上京できるほどの経済的余裕はなかった。

この頃は「もはや戦後ではない」といわれていた。しかし地方の庶民にしてみたら、そう豊かでもなかった。

この辺りは軍事施設を狙った空襲もあり、街自体が崩壊したあと、大きく変貌を遂げたこともあった。水戸も空襲で壊滅的となったのだ。

「これだけ広いと、探せんかなあ」

雄介さんは写真の裏の住所には行きついたが、家らしいものはなかった。近くに住む人に聞くと、そこはバラックが立っていたが、都市開発でほとんど人が出て行ったと言われた。

ただ、彼女の写真を見せると、1人のおじいさんが反応した。

「その子なら、駅前のお店に出てると思うがなあ。空襲で親御さんも亡くなって、お兄さんも戦死したんで身寄りがなくてねえ、苦労したっぺ」

彼女、キクは2つ下だと聞いていたので今なら30歳か。もう誰かと結婚して子供もいるだろうなあと、康の写真なんか持って行っても、要らないっていわれるだろうなと思いながら、言われたお店に入った。そこは喫茶店ではあったが、夜はお酒を出す店のようだった。今で言うとキクはホステスのような仕事もしていた。

女給の恰好をしたキクが店の奥からやってきた。

「はじめまして。僕は康さんと陸軍通信兵として一緒だったんですよ。ずっとあなたに会いたいと彼が言っていたもんですから、遺品を持ってきました。お納めください」

「はじめまして。そうだったんですか。康さんやっぱりそうだったんですね。私は康さんのことは何にも聞かされてなくて、生きてるのか死んでるのかもわかんねかったんです」

茨城弁訛りのキクはゆっくりと遺品を受け取った。キクは30歳にしては若く見え、顔立ちも美しく卵のように肌のきれいな人だった。しばらく雄介さんは見とれていた。

「あのう、私しばらく水戸にいますから、良かったら夜に飯でも行きませんか」

突発的に雄介さんはキクさんを誘ってしまった。

「……ええ、時間があれば。また康さんのことも教えてください」

恥ずかしそうにうつむき、赤らめた顔がよりキクを色っぽく見せた。雄介さんは友人の元彼女ということも頭にありながら、この女性と何かあるんではないかと感じていた。

次の日の夜に繁華街で食事をした。

酒の勢いもあり、偕楽園の夜梅でも見に行こうとなった。偕楽園は開放してあり、誰で入ることができた。近くに常盤神社があるが、そこは男女が戯れることも多い、良い暗闇の場所でもあった。知ってか知らずか、キクは雄介さんをそこへと案内した。

梅の花は満開を過ぎて終わりかけだったが、夜には美しく艶やかに見えた。

枝のしなやかな伸びは神秘的であった。春の匂いを胸に吸い込みながら、白肌の輝くキクを眺める。夜空と梅とキクが雄介さんの心をさらに艶めいたものにした。

「私ね、ここで軍隊に入るっていう康さんとお別れしたんです」

「思い出の場所か。だから僕をここに連れてきたんですね」

それには答えず、キクは雄介さんの唇に自分の柔らかい唇を押し当てた。

雄介さんはとろけそうな夜の帳に触れ、琴線が切れた。

キクの白い胸元を大胆に広げ、豊かな胸をまさぐり、それから後は野獣の様に様変わりして、気が付くとキクの身体の上に自分の身体を押し沈めていく雄介さんの姿があった。

激しく体はうねらせながら、ひと時も唇を離さない。2頭のケダモノは、梅の木の陰で10代のころに満たされなかった欲情の潮をうずまかせ、果てた。

「キクさん、キクさん、ああ、もう手放したくない、今日からは僕のものになってくれ」

「雄介さん……嬉しい、私も、もう離れられない……」

それから雄介さんは水戸にいる1週間の間、偕楽園、千波湖、常盤神社と暗闇から暗闇を渡り、キクの体を抱いた。気が付くと、2人は外でなければ燃え上がらない体になっていた。そのうち外で交わることを『野戦』と呼び、野戦の待ち合わせは決まって偕楽園の入り口にある小川のほとりだった。

誰もいないと、キクは裸になって待つほど大胆な女に変わった。それを好んで指示したのは雄介さんだったが。

だが、彼は大事なことを言い忘れていた。いや、伏せていた。

彼には奥さんと子供が2人いたのだ。戦後すぐにお見合いで結婚し、福岡で暮らしていた。水戸への出張が長引くと妻になじられたりした。出張を装うこともあったが、財布の紐は奥さんが握っている。キクとの野戦は魅力的だが、いつまでこれを続けていいのか迷うときもあった。キクと関係してから2年の月日が過ぎた。

キクはそんなことも知らず、早く雄介さんと結婚できる日を夢見ている。そろそろ限界だと思った頃だった。どんなにキクと体の相性がよくても二重生活は続けられない。

「なあキク、康に挨拶にいこうじゃないか。俺はあの少飛の学校跡地で誓いたいと思ってたんだ。野戦もそこでやりたい。いいだろう?」

無論、雄介さんはキクとの野戦後には、お別れの場所にするつもりだった。

もし、別れを嫌だと言った時のために、首を締めやすい白い紐も用意していた。

不倫の末に自殺する人間はいくらでもいる。元軍人は時に目的の為なら冷淡だった。

現在のひたちなか市にある広大な敷地に陸軍飛行学校はあった。しかし当時はアメリカ軍に接収され地上射撃、爆撃用地にされていた。日本でない国が有刺鉄線の向こうにある。入ることはできなかった。その周りの真っ暗な道で、『野戦』を行うしかなさそうだった。

キクと2人で歩いているときから、背後に人の気配がした。自分の後ろにぴったりと張り付くように気配がするのだ。それを察してか、キクは言った。

「雄介さん、ここは近づかない方がいいみたい。違う場所に行きましょう」

雄介さんもそう思った。そこから500メートルほど離れた道に座り込み、星を見ながらキクと手をつなぎ、いつものように体を重ねた。これが最後だと思いながら。キクはなぜか涙を流していた。もしかすると別れを感じていたのかもしれない。

その最中も、誰かに見られている気がしてならなかった。

雄介さんは事が済むと、いつしか寝てしまった。

体の上を歩く人がいる、違和感があって雄介さんは目を覚ました。

その人は顔立ちから見て、若い男性のようだった。次々と自分の体の上を歩き、頭の横で止まる。1連隊くらいが自分を踏んで行ったぞ、と考えるが全く体が動かない。

自分の足首から太もも、腰、胸とヒタ、ヒタ、と歩かれるのだ。目だけが方向を変えてみることができた。顔の周りにはたくさんの足首が見える。見たことがある服装だった。そう、雄介さんも着ていた旧帝国陸軍の軍服だった。だが足はぼんやりとして靴かどうかよくわからなかった。

「動くな」

1人の男が言った。銃剣を向けられていた。顔は帽子でよく見えなかった。しかし、どこかで見たことのある顔立ちだった。

「女はどうした」

金縛りで答えることができない雄介さんに、冷酷にも至近距離で銃弾が撃たれた。腹に命中し自分の腹の痛みとドクドクと流れる血を見て、恐怖で意識を失ってしまった。

「卑怯者めが」

聞き覚えのある声が響いていた。

朝の光の中で雄介さんは目を覚ました。最初自分が生きているのも驚いたが、撃たれた腹も何も跡がなかった。夢だったのか? いや、あの踏まれた感覚も何もかも覚えている。

「キク? どこに行った?」

キクはいなかった。忽然と姿を消していた。そして自分の荷物も消えていた。

水戸のキクが勤めている店に行った。初めて会った時以来、そこには行ってなかった。主が出てくると変な顔をして言った。

「キク? 彼女はもう1年半くらい前に辞めましたよ。今はどこにいるかわかりませんね」

キクとは待ち合わせも外だったし、彼女の家も行った事がなかった。しかし、これはもう別れる運命なのだと雄介さんは悟った。あの銃で撃った男も多分、康の霊だ。16歳で亡くなった後も現世と来世の間を生き続けて、一緒に年を取っているのだと思った。

戦友の大事な彼女だったキクを凌辱し、自分の欲の為に殺めようとしていた狂気にも反省し、それからはもうキクを探さないようにした。

もしかすると、この2年のキクとの逢瀬も、狐か梅の精に見せられていた幻想世界だったのかもしれない。確かにこの手で抱いた女だったが、生きていなかったのかもしれない。このことは誰にも言わず、自分の胸に閉まった。

それから50年の月日が経った頃、手紙が届いた。その年は戦後記念行事で各地でイベントがあり、雄介さんも元少年兵としてテレビに出ていた。それを見た人からのようだった。

『水戸つばさの塔で、旧飛行隊の皆さまが集まります。ぜひお越しください』

という内容が書いてある招待状だった。以前アメリカ軍の所有地になっていた飛行学校は今は公園や住宅地などに変わり、水戸つばさの塔という慰霊碑と学校の門と飛行機の一部が飾られている。

82歳を迎えた雄介さんは、その式典に行った。妻は早く亡くなり、子供も成長したが、事故や病気で2人共亡くなっていた。孫もいなかった。

雄介さんだけが長生きし、1人暮らしだった。

つばさの塔の前では、式典の前の準備段階のようで、人もまばらだった。以前とは全く趣の違う、新しい施設に雄介さんは驚いていた。

笑顔の中年の男性が出迎えた。その男性はどこかで見た顔だった。

「はじめまして。僕がわかりますか? キクの息子です」

雄介さんの頭の中は、走馬灯のようにキクとのことが駆け巡った。もしやあの時キクを激しくこの近くで抱いた日、その時の子では……40代の男性は笑顔で見ている。

「……あの、キクさんはどうしてるんですか?」

笑顔で彼は雄介さんの顔を指さした。

「あなたの肩に憑いています。テレビでお見掛けしたので。気づいていましたか?」

雄介さんは目を丸くして驚いた。思わず、指さされた自分の肩を払った。

「……えっ。ということは……」

「冗談です。生きていますよ。元気です」

つばさの塔の前に車いすの女性が座っていた。まぎれもなくキクの姿だった。

雄介さんは走り寄った。キクも笑顔で雄介さんを抱きしめた。

「キク、どこにいたんだ、探したんだよ」

「はい。やっと願いが叶いました。本当に良かった」

キクは歳相応の声と姿だったが、あのころの色気はまだ残っていた。

45年の月日を忘れたように、雄介さんは話始めた。

「しかし、野戦の後、何で逃げたんだよ。あの時俺は康の霊を見て、そりゃあひどい目にあった。財布も盗られてしまってたから福岡に帰るのも大変だったんだ」

キクはうなずき、昔と同じ妖艶な目をした。野戦の時の目であった。

雄介さんの耳元に口をつけて、こう話した。

「お前が私を殺そうと、紐をカバンに入れてたのを見たのさ。だからお前の家族は全部呪い殺した。後はお前だけだ。よくも私を独身のふりをして騙したな。40数年間恨みしかねえよ」

雄介さんは驚き、心臓が早打ちするのを感じた。そして聞き覚えのある声がした。

「どうしました? お父さん」

キクの息子が、白い締めやすそうな紐を持って近づいてきた。

その息子の後ろに、老兵となった康が立っていた。

狐のような顔をしたキクがクククっと笑った。

雄介さんは膝まずき、手を合わせて祈った。それ以外救われる気がしなかったから。

そして今も、歌い祈り続けている。

『シャボン玉 飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで 壊れて消えた』

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