筑波山の道はカーブが多く、運転もその分慎重になる。昼間はまだ見通しがいいが、夜になると山の闇の中に飲み込まれ、道の先がどうなっているか見えづらい場所もある。
昼間の登山客や山頂までのケーブルカーといった明るい雰囲気と違い、夜は闇の世界が待っている。
「二度と夜の筑波山には行きたくねえ」と、内装業を営んでおられる佐藤さんは語る。
当時、付き合ったばかりの彼女とデートをすることになり、行きたい場所を聞くとこう答えた。
「筑波山。夜は走り屋がいるって聞いたし、見てみたい」
変わった彼女とは思ったが、佐藤さんにとってもデート代が安上がりで済む。
その頃は走り屋が筑波山道で車のレースをしていて、見物に行くのが流行っていた。
その日はレースがない日なのか、峠を攻めるスピード命の車も走っていなかった。むしろ、そんな車に絡まれたり煽られたりするほうが嫌なので、佐藤さんは少し安心した。
安心半分だが、誰も通らないのは不気味だ。車がUターンできる場所を探していた。
「今日はレースをやってないみたいで残念だったな、違うところ行こうか?」
助手席の彼女の方をみると、無言でぼーっと窓の外を見ていた。
「おい、何かあった? 元気ないね」
声を掛けるとバッと振り向き、見たこともないような不気味な表情で笑った。
「いたよ」
「え……何が?」
「さっき、いたじゃない。隣を追い抜いたでしょ? 車が。4人くらい乗ってた……」
「……嘘だろー? 見てねえよ、俺……」
どう考えても、そんな車には追い抜かれなかった。
対面二車線で走っているから、追い抜かれるならすぐわかる。何を言ってるんだろう?
よく見ると彼女の顔は街灯が当たり、不気味な表情をしていた。
元々彼女の目は大きかったが、今夜は目を剥いたように飛び出ている、昆虫みたいだ。
「いやいや、全然いないから。見間違いだろ!?」
変な女だ。先の方に対面車線を走る車のヘッドライトが見えたので、運転に集中しないと危ない。山は急に現れるカーブが多いのだ。
「あっ!」
彼女が急に大声を出して、佐藤さんの左腕をぐいっと引っ張った。
マニュアル車で、左手でシフトチェンジしている時だったので、非常に危険だ。
急ブレーキをかけた。
「あっぶねえだろ! 何すんだよ!」
「……ほらあそこ! さっきの4人が立ってるじゃない! 見てみて!」
「運転中に言うなって!」
さすがに佐藤さんは声を荒げて怒鳴った。
彼女の方を見ると、顔の左側、窓側のほうが血だらけのように見えた。交通事故にでも遭ったような顔。
以前佐藤さんは事故現場で作業していたことがあったので、何度か事故死体も見ていた。その顔にそっくりだった。左半分が崩壊した顔。つい言ってしまった。
「うわ! お前、何……? その顔……」
「え? 何が?」
よく見返すと、いつもの綺麗な彼女の顔になっていた。見間違いか……、佐藤さんは安心した。
彼女はゆっくりと前方に指を差した。その方向に人が立っているという。
佐藤さんもその方向を見た。
「うわっ! 何か……いる……!」
手招きする手首があった。
だがその下についてるべき腕や体はない。
手首だけが「おいでおいで」と自分たちを呼んでいる。
「い、いる。見えた、手が手だけが……」
「見えた? 私にも見えたよ……ほら、手招きしてるよね。4人共……」
「よ、4人?」
そこは左カーブになっていた。
その時、左の方へぐいっとハンドルが持っていかれたのがわかった。慌てて右に切ると、車線を越えて右の崖に追突しそうになった。
急ブレーキをかけた途端、エンストした。こんなところで止まるとは……。
恐怖と焦りでガタガタと震える手でキーを回す。
だが、何度回してもエンジンがかからない! バッテリーでも突然切れたかのようにカラカラと空虚な音がするだけで、一向にかからない。
「慌てなくて大丈夫だよ。あの人たちは『ずっと待ってる』って言ってる」
彼女の低い声が耳鳴りのように響いた。
「やめろ! もうそんな話すんな!」
自分でも驚くほど焦っていた。これ以上変な事言うなら、車から突き落とすぞ! という感覚になるほど、佐藤さんは怯えていた。
(待っていられたらやばい! すぐにもここを出ねえと!)
何も言わずにキーを回し続け、やっとエンジンがかかってスタートした。今度は慎重に道なりを走り過ぎた。
道端を見ると、その先の場所には花束やコップ酒が置いてあった。
ガードレールもへし折れている。
明らかに最近死亡事故があった場所だ……。だから呼んでるんだ、俺達を……。
このカーブで、慌ててアクセルなんて踏んだら、俺もその下の崖に落ちる! 焦りながらも前だけを見て冷静に運転して切り抜けた。
「ねえ」
また彼女が声を上げた。今度は震えているようだった。佐藤さんは無視をした。
「ねえってば!」
「なんだよ!」
やっと答えた。
「肩に手首……乗ってんだけど」
「え!」
その瞬間、ガクン! と左肩が重くなった。左をちらっと見ると、薄く透き通った指みたいなものが見えた。
「うわあああ!!」
右手で左肩を払うと一心不乱に山を下った。
その日はその後、どこをどう通って帰ったか覚えていない。
彼女を送り自宅に着いて爆睡した。親が何度か起こしに来たが、全く起きなかった。
そして彼女とは別れた。二度と会いたくないと思った。
それから何年か経った後、筑波山の道を昼間通る事があった。
運転する時はなるべく道端や道の脇を見ないようにしている。
もう手招きは見えなかったが、その時もカーブには花や供え物がしてあった。
何人も事故に遭う場所のようだった。
「事故死した奴らはその場で次の犠牲者を狙っている。そこで手招きをして、あっちの世界へ引き寄せるんだよ。それに、隣に乗ってる奴に憑りつくと厄介なことになる」
と佐藤さんは言う。
「同乗者に憑りつくなんてことあるんですか?」
「あるよ。さっき話した女。霊の道先案内人になってただろ。あの先は崖だったんだ。わざと俺がそっちにハンドル切るように仕向けてたと思う」
「何のために?」
「道連れにしたいからだろ、あの山道で憑りついちまった霊の」
筑波山は日本百名山の1つで、ガマの油売りでも有名な筑波神社が中腹にあり、そして霊山であり、週末になると登山を楽しむ観光客でも賑わう。
また、筑波山麓には修験道はじめ、霊力の高い者が集まる場所がある。
歴史的にも不思議な事があったという記録も多く残る。江戸時代の本には、遠い昔に米を炊くお釜のような形をした金属物が飛来し、宇宙人らしき天女のような美女が降り立ったとの伝説もあるほどだ。
確かに広大な茨城の平野を見渡すと、筑波山だけが標高が高い山であり、目標物になりやすい。宇宙からというよりも空から見れば、その山しか基地になる場所は無いと思うだろう。
ここには何か惹きつける磁気があるのだろうか。同じ場所で事故が起こり、同じ場所で自殺する者達が絶えない。
白昼、すれ違った背広姿の男が、振り向くともういないという目撃情報も多い。