品川の水葬(東京都品川区) | コワイハナシ47

品川の水葬(東京都品川区)

一七一六年(享保一)に江戸で疫病が大流行して死者が八万人を超え、棺や薪の製産が追いつかなくなったことから火葬も土葬も不可能に陥り、やむなく遺体の多くを築地と品川の海中に投棄した記録があるという(鈴木理生『江戸の町は骨だらけ』参照)。

当時の築地や品川辺りの海岸線は現在よりも遥かに内陸部の方へ引っ込んでいた。

品川区には、今も江戸時代に護岸の役割を果たしていた石垣の一部が残っているが、「川」の体を成している京浜運河沿いの首都高一号羽田線よりさらに内陸の、住宅街のど真ん中にあるうえ、石垣自体が個人のお宅の塀に組み入れられてしまっているので、訪れてみるとかなり戸惑う。現地には「海岸石垣の名残」と記した案内板が立っていたが、ここまで海だったというのは何の冗談か、という感じだ。

「江戸時代は、私のうちも海の中でしたね」と現地を案内してくれた私より干支えとで一回り年下の女性、井上さんは言った。

「私が大学院に通っていた頃、前に住んでいたマンションで転落事故がありました。その後、家族で京浜運河沿いの都営アパートに引っ越したらまた飛び降り自殺があって、母と私が偶然、遺体の第一発見者になってしまったので、同居してた祖母が『悪い運を連れてきちゃったね』と言って、『お祖母ばあちゃん、そんなこと言うもんじゃない』って、父に叱られてました。父は絶対に幽霊なんか認めないってたちでしたし、死体を見ちゃってショックを受けていた母と私を気遣ったんだと思います。祖母と母はあまり仲が良くなかったから、余計に……」

しかし、井上さん自身は祖母の言うことにも一理あると思っていた。というのも、前の転落事故の遺体と今回の飛び降り自殺には共通点があったからだ。

「どちらも、どういうわけか死体が水に浸かったみたいに濡れていたんです。前の転落の方のは近所の人の話で濡れていたって聞いただけでしたが、後の方のはこの目で見たので、間違いありません。不思議なんですよ、朝早くで、前の晩も雨なんか降っていなかったのに、びしょ濡れになってて。夜露に濡れたんだろうと父は推理してましたけど、乾いた地面で、その人のところだけ濡れてました。血も出ていましたが、それだけじゃなくて、全身、髪の毛までびっしょり。……もう一〇年も経つから平気だと思ってたけど、やっぱり思い出すと気持ち悪くなっちゃいますね」

私も飛び降り自殺直後の遺体をこの目で見たことがあるので、井上さんの気持ちはわかる。私の場合、生々しく思い出さないために、しばらくの間は口外することを避けた。

井上さんと彼女の母親も、その後、滅多に死体の話をせず、なるべく思い出さないようにしていた。

「去年(二〇一六年)うちの近所の京浜運河で死体が入ったスーツケースが見つかって、テレビや新聞でニュースになったら、母の方から『ちょうど一〇年ぐらい経つね』と話しかけててきて、初めて二人で一〇年前の飛び降り自殺のことを話題にしました。母は、スーツケースの事件にも飛び降り自殺にも、どちらも水が関係するから連想したんでしょう。母も、『なんで死体が濡れていたんだろう』って言ってましたから。それで、私が見たものが幻覚や何かじゃなかったことがあらためてわかって、ホッとした面もあります。すごく変なことですけどね。……変といえば、スーツケースの事件もおかしな点があると思います。沈むように石をたくさん詰めて重石がしてあったのに、プカプカ浮いてたんですってね。早く見つけてもらいたかったのかしら?」

スーツケースの作りにもよるが、気密性が高い構造の場合は、中に空気が入っていると、多少重くしたところで沈みづらいかもしれないと私が言うと、井上さんは首を傾げた。

「……じゃあ、川を流れてたのに、スーツケースの中は乾いていたのかな。陸にあった遺体が濡れていたのにね。いったいどうして濡れていたのか……。今でもときどき考えてしまいます」

この辺りには飛び降り自殺や転落事故が多いのだと井上さんは言い、「もしも、どの遺体も濡れていたら都市伝説になりますね」と笑った。

冒頭に述べたが、江戸時代には疫病などで大量死すると仕方なく海に死体を投棄することもあり、その頃は品川のこの辺りは海岸線の外側だったのだ。

昔の亡者の記憶が新しい死者の上に蘇よみがえったような、不思議な水葬の話である。

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