天窓から覗き込む老人(東京都江東区) | コワイハナシ47

天窓から覗き込む老人(東京都江東区)

前項で書いたように、木林さんと妹は、両親を早く亡くしたせいもあり、東京都内の賃貸マンションで長年同居していた。しかし、やがて二人とも中年に差し掛かると、リタイア後の人生も考えないわけにはいかなくなってきた。

兄から独立して中古マンションを購入したいと妹が言い出したのは二〇〇一年頃、妹がちょうど四〇歳になったときだった。今後ずっと高い家賃を折半しつづけるのは合理的でない、働けるうちに終ついの棲すみ家かを確保しておきたいというのがその理由で、妹は「一生モノの買い物をするんだから、お兄ちゃん協力してよ」と木林さんにせがんだ。

兄妹は都内でも浅草や深川といった下町の雰囲気が好きで、これまで暮らしてきて土地勘もあった。なかでも、営団地下鉄東西線や前年(二〇〇〇年)に多くの駅が開業した都営地下鉄大江戸線の乗り入れ駅がある江東区の三好や平野、門前仲町の辺りは利便性に優れている上に、寺町ならでは落ち着きが好もしいということで意見が一致した。そこで不動産屋にお願いして、その辺りのめぼしい物件をいくつか見せてもらうことになったわけだが、二、三件目に見せてもらった中古の分譲マンションで、木林さんは何やら嫌な気配を感じた。具体的にどうのというわけではない。強いて言えばリビングルームの天井にある天窓が気になった。中層マンションの最上階にある角部屋で、北側の天井が傾斜しており、傾斜の頂点に近い位置に小さな嵌め殺しのガラス窓が設けられて、四角く空が覗いていた。

おまけにベランダに出てみたら寺院の墓地が間近に見えて、自分だったらここに一生住むのは遠慮したいと思った。

しかし妹は「見晴らしがいい」と喜んだ。天窓も「洒落ている」と言うのである。

たしかに、その部屋はモダンなデザインのリフォームが隅々まで施されていた。価格も妹の予算内とあって、案内してきた不動産屋も熱心に勧めた。妹はすっかり乗り気で台所や浴室を不動産屋に案内してもらいはじめたが、木林さんはあちこち見る気になれず、リビングルームに留まった。

ひとり取り残されると、やはり天窓の存在が気になった。薄曇りの昼間で、明るいグレー一色に染まった空が見えていた──と、窓枠の上の方から何か丸みを帯びた物体が被さってきた。汚らしい灰色をした何か。

それが人の頭頂部だとわかって木林さんは腰を抜かしそうになった。そいつは、じわりじわりと正体を現していった。額、目鼻、顎……首の付け根まで出て止まった。

白っちゃけた灰色の肌をした男の年寄だ。しかし皮膚の色といい、濁った眼球といい、だらりと弛緩しきった表情といい……どう見ても死骸のようだった。

そもそも生きている人間、しかも老人が、ビルの最上階の傾斜した外壁に頭を下にしてしがみついて天窓から覗くなどということが出来るわけがない。

そいつが、ガラスに鼻先を擦りつけそうな至近距離で逆さまに天窓から室内を覗いている。……いや、木林さんを凝視している。瞬きもせずに、じいっと。

ウワァ、と木林さんは悲鳴をあげたつもりだったが、怖すぎて声が出なかった。よろめいて背中を壁につけ、目を見開いて天窓の老人を見つめ返すばかり。

そこへ、妹と不動産屋が戻ってきた。木林さんは「次の物件を見に行きましょう!」と二人を急かした。「どうしたの?」と不審がる妹を「とにかく出よう!」と部屋の外へ追い立てた。

幸い妹は、その後もっと気に入った物件に出逢ったので、木林さんがそのマンションに足を踏み入れることは二度となかった。

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