旧本山トンネル(茨城県日立市宮田町) | コワイハナシ47

旧本山トンネル(茨城県日立市宮田町)

今は入り口がコンクリートで封鎖されてしまった旧本山トンネル。

現在の本山トンネルが完成する前に利用されていた。このトンネルは海鮮物を内陸部に運ぶためにも作られていた、古い隧道である。

今もわき道を上がると藪の中に旧本山トンネルがある。

産業遺産巡りをしていた佐々木さんは、廃坑になった辺りを探索していた。明治に始まり、1980年代に閉山となった日立鉱山。街の1つがすべて廃墟となったことで、十数年も経つとどんどん草や藪が生い茂る。

当時は住民たちの明るい癒しの場所であった劇場の跡、小学校、廃坑口、弁天様や道祖神などを見てまわり、『本山寺』というお寺に入った。石段を上がった先にあった。

お墓が古いのは否めないとしても、卒塔婆の多さに驚いた。スポーツ店のスキー板のように立てかけてある。そしてどれも相当に古い。

住職に話を聞こうかと思ったが、どうやら不在のようだ。

佐々木さんは持っていたカメラをお墓に向けた。

その時だった。後ろから服を引っ張られた。振り向くと、小さい女の子が引っ張っていた。

「ここのおうちの子?」

聞くと、その子はうなずいた。まだ四、五歳くらいだろうか。赤い毛糸の服を着て、おかっぱの、ほっぺたが真っ赤の顔だった。いかにも田舎の子、といった雰囲気。

「どこ行くの?」

と聞くので、

「トンネルの方に行ってみようと思うんだ」

「何で?」

「昔の働いていた人たちがね、作ったものを見てまわっているんだよ」

「ふうん」

女の子は引っ張っていた服の端を離した。

服を離してくれたのに、なぜかグウンと体に重みがついた感じだった。

「あら、うちの子がすみません」

不思議な訛りの声が聞こえた。茨城弁だろうか、イントネーションが標準語とはずいぶん違う。振り向くと30代くらいの髪の毛をひっ詰めて縛った女性が立っていた。ややつり目の痩せた体つきをしていた。彼女は女の子の手を引っ張ると、会釈をしてお墓の方へ行った。

佐々木さんは「ああ、はい」と言いながらさっきの卒塔婆の辺りを見た。しゃがんでいる人や、立って話をしている人がいて賑やかになっていた。

賑やかと言っても、おしゃべりの声が聞こえるわけではない。数人がお墓参りをしているような雰囲気だった。さっきまでは人の気配はなかったが、おおかた、お寺で節会や法事などがあり、こうして子供も来ているのだろうと思った。

旧本山トンネルへの道は車が一台通れるかどうかの上り坂で、アスファルトはかろうじてあるが、周りは背丈くらいまである藪だらけだった。道はもうすでに山に同化しつつあった。

そこを上がると、無機質なコンクリートの壁が見えた。

「これか……」

少し息を切らして、首から下げていた一眼レフのカメラで写真をたくさん撮った。

そのときまた、服を引っ張られる感覚があった。

さっきの子がついてきたのかなと思い、振り向くと誰もいない。

うしろの山側の藪を見ると、数人の足が見えた。黒い足だった。その上を見上げた。

ヨレヨレの着物、つぎはぎのある紺色っぽい着物を着た、似たような黒い顔の人たちがその足の持ち主だった。頬がやせこけ、あばら骨が浮き出た肩にぼろ布のような着物。

うつろな目でこっちを見ていた。見るほどに人が増えていく感じがした。

(これは……この世の人じゃない……)

とっさにそう思った佐々木さんは、あろうことか、その人らを写真に撮ろうとした。

佐々木さんという人は、霊的なものに恐れがないのだ。歴史好きな人に多いが、歴史人物も遺構も皆亡くなっているし、遺跡のほとんどがお墓や碑であることが多いからだ。

霊が手を振り呼ぶ場所に行って、大きな発見をしたこともある。考古学はそうした偶然のような、霊的な手段を用いることもまれにある。

その自信で何枚かその人々を撮影した。だが全体的に暗くてよく映らない。

再度フラッシュを付けて撮影した。

「バシャ! パシャ!」

光を放った瞬間に、その人らは消えてしまった。だが自分の背中には、さっき以上の重みが感じられた。何人かが肩に手を乗せているような感触もあった。

(困ったな、この人たちを家に連れて帰ると良くないな)

と感じていた。重さが尋常ではないのだ。

足取りがおぼつかないほどになったが、休み休み、さっきのお寺まで戻る事にした。

住職はまだいなかったが、さきほど居た数人は立っていた。今度は会釈までしてくれた。話しかけようとするが、誰も答えようとはしない。

まるで佐々木さんの存在が見えていないかのようだった。

「どうしました?」

肩をポンと叩いた人がいた。その瞬間、肩の重みがすっと取れた。

若い男性だった。聞くと自分と同じように、この辺りを探索して歴史発掘をしている人だった。自分の体験を自身のブログに書くのが趣味なんだそうだ。彼は李さんと言った。水戸に住む在日コリアン3世だそうだ。この本山の労働者の子孫でもあった。

「あの卒塔婆の数すごいでしょう。何だと思います?」

数人が立っている場所を指さした。どうやら彼には人が立っているのは見えないようだった。佐々木さんは首を振った。Bさんはうなずいて言った。

「ここに連れてこられた朝鮮出身者と中国出身者の墓ですよ」

墓は小さな古い物が1つほど。その周りに無数の卒塔婆があるだけだ。この板にしか魂の記録が残っていないわけだ。

「本山で働くために来た人たちが亡くなったあと、ここに遺体が運ばれて、あの上の場所で遺体は焼かれて骨になったんです。でも、それも置きっぱなしだったそうで、前の住職が無縁仏となったお骨をここで供養してくれているんですよ」

そうして、李さんはその火葬場の跡に連れて行った。

佐々木さんは「ハア……」と言葉を発した。

そこには無数の人々が横たわっていた。地獄のような光景だった。

さっき見た着物の人々はまだマシで、骨と肉しかないような体、手足がない体、それがうごめきもせず、ただ積み上げられていた。もちろん裸のままだ。昔アウシュビッツの収容所でのユダヤ人の死体の山の写真を見たが、それに近いものだった。

「ここは、誰もまだ成仏はされてないんでしょうな……」

佐々木さんが言葉にできたのはそれだけだった。肩の重さどころでなく、そこにへたりこんでしまった。もうカメラで目の前の光景を撮る事なんてできなかった。

李さんは何も言わずに立っていた。

「平和台公園にも慰霊の塔があります。ぜひそこに行ってください。ここで誰にも別れを言えずに死んだ人たち、それも忘れられてしまったこの山で、無念は残るでしょうね……」

暗い表情でしゃがみこんでいる佐々木さんの背中をまたポンと叩いた。それでやっと佐々木さんも立ち上がることができた。

そこから少し先に行った、『朝鮮人殉難病没者諸精霊』と書かれた碑に李さんは案内してくれた。誰もそこには立っていなかった。

「なかなか理解してもらえないんですよ。日本人労働者より過酷で、ひどい生活環境におかれていたことも、記念館すら記録として残してくれていない。こうして気づいてきてくれる人には、先祖達も嬉しくて出て来るのかもしれないし、そうじゃないかもしれないし」

チラリと李さんは佐々木さんの後ろの方を見た。

「李さん、もしやあなたは見えてますか? その、ご先祖様たちを……僕の後ろにいる……」

「いえ、わかりません。ただ、あなたの後ろに白いのが見えるんで気になりました」

李さんは階段を下りながら話した。

「前にそんな白いのをおぶった人がいましたよ」

「……そうなんですか。その人はどうなりました?」

李さんは笑顔で振り向いた。実に爽やかで好青年の笑顔で言った。

「そこの一本杉の近くの道路で事故に遭って亡くなりました」

佐々木さんは言葉を失った。

戦時下において、出稼ぎ、もしくは「国民徴用令」等による労働者確保のため、当時の日本領であった中国、朝鮮出身者が日立鉱山で働いていた。そこでは過酷な労働を強いられていた。

すぐ近くの国道36号線の真ん中にある一本杉。ここに連行された異国の労働者たちは、この杉を目指して脱走を図った。ここを下れば、山を降りられるという命がけの思い。

しかし、捕まった後の処罰はいかほどの重罰か想像に絶えない。

この辺りのムクゲの木は、彼らが故郷を思って植えたものだそうだ。

佐々木さんは重い足取りで、慎重に運転して家に帰った。

その晩から高熱が出て1週間うなされた。祟られているに違いない。自分が撮ったデジカメの写真データを消そうかと思った。だが、日本人の自分への戒めとして残すことにした。

やっと治り、写真を見た。無数のオーブが写っていた。しかし、あることに気づいた。

小さな女の子と母親だけがお墓の中で写っていた。

しかし、後ろの景色が透けていた。生きた人ではなかったのだ。

先日の李さんに電話をした。あれ以来、情報交換をしていたのだ。李さんに聞くとこう答えた。

「それは、亡くなった僕の母かもしれませんね。僕が二歳の時に事故で亡くなりました。姉も一緒で……5歳でした。赤いちゃんちゃんこを着るのが好きだったようです」

彼女たちがなぜお墓にいたのか、それはもう聞くよしもなかった。

佐々木さんが李さんに会い、歴史を知らしめる運命を与えに来た人達だろうから。

そして平和台霊園にある『茨城朝鮮人慰霊の塔』に行き、手を合わせた。塔は海が見える見晴らしのよい場所にあり、本山の隠されたような雰囲気とは違う。

佐々木さんは本山で背負ってきた霊たちをそこで開放してあげた、ような気がしたという。海峡を越えて、無念の魂が有縁の故郷に戻る事を願った。

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