梅で有名な偕楽園のすぐ近くにある「茨城県護国神社」。ここには、幕末明治にかけての水戸藩士の千八百柱と太平洋戦争における茨城県出身の戦没者を合祀してある。
美玖さんは、小さい頃からこの神社が好きだった。
戦争で亡くなったおじいちゃんのために、おばあちゃんがよくお参りに行った。
美玖さんがついていくのは、お供え物としてお饅頭を買い、ここにある慰霊碑に置いて、それを帰りに食べて帰るという、行事みたいなことが好きだったからだ。
もう1つは、会ったこともないおじいちゃんに会えるような気がしていたのだ。
美玖さんは小学校6年生のときにいじめに遭っていた。
理由は多分、クラスで1番人気の高い男子に告白されてしまったからだろう。
女子のやっかみは恐ろしい。
美玖さんの上履きはゴミ箱に捨てられ、教室に置いていたものは全部カッターで切り刻まれた。ひどいときはトイレに呼び出されて、上からバケツの水をかけられたり、毎日泣きながら家に帰った。
親は共働きで、美玖さんは1人で濡れた服を乾かさなければいけなかった。優しかったおばあちゃんは入院していて、誰にも相談ができなかった。
「死んでみようかな」
つい口にしてみた。
すると、仏壇の上の戦死したおじいちゃんの遺影がガタっと音を立てて落ちた。
「おじいちゃん……」
その時、ふと護国神社の事を思い出した。あの記念碑のところで、おばあちゃんはただうずくまり手を合わせていた。なぜ、そんなに祈るのか聞いた。
「かわいい美玖を守ってくださいって、おじいちゃんに頼んだんだあ」
美玖さんは落ちたおじいさんの遺影を抱いて泣いた。
「誰も助けてくれないんだ……どうしたらいい?」
軍服を着たおじいさんの写真はまだ24歳の頃のものだった。おばあさんは結婚してお父さんを生んで、おじいちゃんの帰りを待っていたが、南の島で戦死したと公報が来た。だけど骨も何もなく、紙切れ1枚だった。
「だからお墓よりも、軍人さんを祀ってくれる神社のほうに行くんだよ、そこだと、たくさんのお仲間と一緒に死んだから、おじいちゃんもそこにいるような気がすんだあ」
そうおばあちゃんが言っていたのを思い出した。
もう1つ、美玖さんは1人遊びにはまっていることがあった。
『守護霊様』というこっくりさんに似た遊びだった。
こっくりさんは10円玉で動かすが、これは鉛筆を握って動かすので、跡がつくから1回1回その紙を作り直さないといけない。使った紙は燃やすことにしていた。
『はい』と『いいえ』に分かれていて、質問するとどちらかの答えになる。下にひらがなで五十音が書いてあり、『守護霊様』がメッセージを送るときは、文字に1つ1つ立ち止まる。
いつも家でやっていた。毎日いじめられ、その首謀者の女子がいつか消えないかを願っていた。だけど、いつも『守護霊様』は、
「その女には強い霊がついているから無理だ」
としかメッセージをくれない。
次の日、教室に入ると机の上に花が置いてあり、美玖さんの仮のお葬式をされていたのだ。
(クラス全員が敵だ!)
そのまま走って泣きながら家に帰った。
狂ったように『守護霊様』の紙を作り、護国神社の境内に行った。
ここなら、たくさんのおじいちゃんの仲間が私を助けてくれる。そんな気持ちだった。
階段を上り、慰霊の場所に行ってお参りをした。
「ペリリュー島守備部隊 鎮魂の碑」と書いてあった。小さい頃はこういう記念碑があるということが分からなかった。
南の島で戦死した、と聞いていたので、その慰霊碑の前に『守護霊様』を広げた。すぐに鉛筆で儀式を始めた。
「あなたは誰ですか、軍人さんですか?」
「はい」
「何人いますか? 100人以上ですか?」
「はい」
「私のおじいちゃんを知っていますか?」
「はい」
「私をいじめる○○さんを殺せますか?」
自分を追い込む首謀者の女子の名前を言った。いつも家でやると「いいえ」と答えてくる項目だ。すると、メッセージの五十音の方に鉛筆が動いた。
「なぜころすのか」
と鉛筆は文字の上をたどった。
美玖さんは戸惑った。なぜ、殺すのか……答えが見つからないで鉛筆が止まった。
「このままだと、私が死んでしまいたくなるから」
と呟いた。すると鉛筆がスウっと動き出した。
「おまえもころす」
美玖さんはゾッとして鉛筆を落としそうになった。
これはまずい。何か『守護霊様』が誤解をしている。そこで美玖さんは今までのいじめのことを泣きながら話した。
「だから、あの○○さえいなくなれば、私は楽になる。死んでも殺したい奴なんです」
すると、止まった鉛筆がまた動いた。
「はい」
そして、その「はい」の周りを何度も色濃くグルグルと鉛筆が動くのだ。もうわかったから、と手を止めたいが、物凄い力で「はい」の周囲を周り続ける。
「わかりました。もう帰ってください」
「いいえ」
ここで「はい」と来ないと大変なのだ。やっている人に霊が憑りつくわけだから。
「お願いです、帰ってください」
「いいえ」
「いいえ」
「いいえ」
鉛筆は『いいえ』の周りをグルグルとまわり続ける。さらに耳の奥に「いいえ!」の言葉が聞こえるようになってきた。
この人たちは帰ってくれないんだ……どうしよう? 美玖さんはまた泣きそうになった。
声は複数で、耳の中に響き渡る。地底から響くような低い声だった。
「お前に憑りついた。願いは叶えてやる」
ザザッザザッと歩く靴音が後ろの方から聞こえ、慰霊碑の前で止まった。
たくさんの人が、この慰霊碑の前に立って取り囲んでいる感じがした。
「イヤー!」
怖くなって目を閉じた。ついに鉛筆を落としてしまった。鉛筆を落とすと儀式は中断されるので、二度と霊は帰ってくれなくなるのだった。
(もうおしまいだ……私は一生、霊に憑りつかれてしまう!)
その時、後ろから声を掛けられた。男性の声だった。
「何してる?」
振り向くと若い男性が立っていた。上下白い着物と袴を着ていて、神主さんのような恰好。
神社の関係者かなと思った。
美玖さんは急いで紙を丸め、鉛筆をポケットの中にしまった。
「何でもないです……」
その場を急いで去ろうとしたときだった。厳しい声が轟いた。
「君、こっち来なさい。学校はどうしたの?」
「あの……その……」
美玖さんは焦った。警察に通報されてしまう。また学校に行きたくなくなる……その男性はじっと美玖さんを見下ろすと、腕を掴んだ。鉛筆を持っていた右手だった。
「ここには、こういうことをしにきてはいけないよ」
美玖さんはうなだれた。きっとこの儀式を見られていたんだろう。恥ずかしい。
「……願いは叶えてやろう」
「えっ」
美玖さんは視線を上にあげた。その男性はもういなかった。
(幽霊? いや、『守護霊様』?)
辺りを見まわしたが、それらしい白装束の人はいなかった。右手を見た。掴まれた跡が赤黒くアザになっていた。5本の指がきっちりとついていた。
耳の中に響いた声は、しばらく離れなかった。それは邪悪な心を持っているようで、学校に行くのはやめろ、遊んで暮らせとしきりに言ってきた。しかし『守護霊様』をやって退散させる気はなかった。二度とやってはいけない気がしたからだ。
しばらく学校を休むことにした。
家に居て1週間経った日だった。電話が鳴った。母親からだった。
「美玖? おばあちゃんが亡くなったの。すぐ病院行くから、家で待っていてね」
美玖さんはがっくりして受話器を置いた。なぜうちばかり不幸が起きるんだろう。
おばあちゃんの葬儀が終わり、初七日も過ぎたので、しぶしぶ学校に行く事になった。
2週間ぶりの教室に入ると、相変わらずみんなの視線が痛かった。またあの辛い日々が始まるのかと思ったが、数人の女子が美玖さんに寄ってきた。
「美玖……今までごめん」
1人の女子が謝ると、一斉にクラス全員が集まり、美玖さんに謝ってきた。
状況が掴めなくておろおろしていると、担任の先生が入ってきた。
「美玖さん、今まで知らなくてごめんなさいね。いじめに遭っていたこと、もっと早く相談してくれれば……」
と涙を流していた。
実は、美玖さんが登校拒否をしている間、クラスの男子生徒達が、美玖さんがいじめられていることを担任に告げたのだった。お葬式ごっこをやったことも。
いじめの首謀者の女子、○○は職員室に呼ばれ、ひどく怒られてからは学校に来ていないということだった。美玖さんは「勝った」と思った。
耳の中のあの邪悪な声が、
「じゃあな」
そう言って、二度ともう聞こえなくなった。
そしてその○○は学校に来ないまま、美玖さん達は卒業式を迎えた。
大人になって知ったのだが、○○は他県に転校し、その後火事で亡くなったそうだ。
命を引き換えに願ったことでもあったが、本当に相手の死を聞くとゾッとした。
「死んでも殺したい」
そう願ったことが、今では心の痛手でもあり、未来の死の恐怖でもあった。
しかし、まだ美玖さんは生きている。あの時引き換えにした自分の命はおばあちゃんが引き受けてくれたんだと思う、と語ってくれた。
亡くなった祖父母のお参りと護国神社と慰霊碑へのお参りは毎年欠かさないという。
余談だが、美玖さんはとある神社の神主さんと結婚して他県に住んでいる。
白装束のご主人と2人で撮った写真が手紙に同封されていた。
実にお似合いであった。
「水戸歩兵第二連隊」は、明治7年に作られた日本帝国陸軍の精鋭部隊であった。
日清、日露、太平洋戦争、そして関東軍と最前線で戦った。
隊員のほとんどが茨城県出身であった。
昭和19年のペリリュー島(現パラオ)での戦いで玉砕したが、まだ島で戦い続けた兵士も、帰還兵もいた。島を死守するために戦った軍人達の軌跡は今も語り継がれている。