新説 累ヶ淵(茨城県常総市羽生町) | コワイハナシ47

新説 累ヶ淵(茨城県常総市羽生町)

男体山と女体山で構成される筑波山は全体が霊山であり、男体山にはイザナギ、女体山にはイザナミがそれぞれ祀られ、山頂に本殿がある。

「古事記」によると、イザナギとイザナミには「蛭子」という足の立たない子が最初に生まれたが、葦の船に乗せて海に流してしまった。神として不完全だったからだ。

そして、2人の子としては、その数に入れなかった。

蛭子が不具で生まれた理由は、子作りの際、女の神イザナミから男の神イザナギに声をかけたことが原因だとされている。

日本の始祖の最初の子は、こうして闇に葬られた。

古事記にあるこのお話は、もうひとつの怪奇伝説に繋がっているようだ。

昔、鬼怒川のほとりで起きたお話である。

下総国の岡田郡羽生村に、百姓・与右衛門と、彼の後妻・お杉の夫婦がいた。お杉には連れ子の『助』という女の子がいた。助は生まれつき顔が醜く、足が不自由であったため、与右衛門は助を嫌っていた。助は普通のつもりでも、睨んだような顔つきになってしまうのだ。顔があちこち腫れていて肉も垂れ下がったような醜さだ。

「お杉、おめえさんだけ嫁にもらったつもりなんだよ、俺は。食い扶持も減るし、うちには働かねえのを置いておく余裕はねえ。それにこいつはいつも俺をにらんでやがる。俺はこんなバケモノと暮らすくらいなら、他の女のところへいくよ」

そういって、お杉と助のいる家には帰らなくなってしまった。お杉は何とかこの家に居残りたい。離縁されたら親子で行くところがない。どうしたら、この男を繋ぎとめられるんだろう。この前まであんなに心も体も愛し合った仲なのに……ふと床を這いつくばっている助を見た。この子さえいなければ、男は私のものになる。この子さえいなければ……。

お杉は恐ろしい計画を立てた。

助は歩けない。いつもお杉がおんぶして歩く。助は薄々自分の境遇がわかっていた。足が不自由で家の中にいる分、とても耳が良かったのだ。

「川の流れを見に行こう、面白い魚が取れるんだよ」

お杉が助をおんぶすると、背中で助がこう言った。

「おっかさん、もうこれで最後なんだねえ」

「助……お前、もしや……」

「私はいいんだよ。だけど、おっかさんとおじさんを末代まで呪うだろうねえ」

お杉は後ろの娘が恐ろしくなって、とにかく河原まで走った。川に着くと助を抱きかかえて、何も言わずに投げ込んだ。泳げない助は「助けて」の声も上げずに沈んだ。ブクブクと水面にあぶくだけが見えた。

「助、すまねえ。だけども、おめえが悪いんだぞ。おっかねえ子だ」

もし、助が命乞いでもしたらお杉はその事を悔やんだだろう。だが、最後は不気味な呪いの言葉だけが頭の中で反響し、厄を捨てるかのように冷酷に川に投げ込んで殺してしまった。お杉の心は自分を悔やむより、今の苦境から逃げ出したい。ただそれだけだった。

近所の人たちは助がいないことに気が付いて、お杉に聞いた。

「川に遊びに行ったら戻ってこねくって」

歩けない助がどうやって川まで遊びに行ったのか、人々は不審に思ったが、ほどなくして水死体が上がった。助の哀れな姿だった。皆、夫婦が川に子供を捨てたんだと噂した。

そのあくる年、与右衛門とお杉には累(るい)という女の子が生まれた。助が亡くなってからは夫婦の仲も良くなり、すぐに子供ができたのだ。

だが、その生まれてきた累の顔を見た途端、夫婦は絶句した。

助にそっくりの顔だったのだ。

近所の人はその累を見て「かさね」と呼んだ。死んだ助に瓜二つ。その助の祟りで「助が重ねて生まれた」として気味悪がった。いつしか累は成長して娘になったが、その顔の悪さのため、嫁の貰い手がなかった。

お杉と与右衛門は助の祟りか、累が大人になる前に病気で死んでしまった。二人の死に際は布団がびっしょり濡れていて、まるで水に浸かったかのようだった。

累は時々黒い影が両親に付きまとっているのを見ていた。それが自分の生き写しの死んだ姉だったのではないか、とも考えることはあったが、累には何も起きなかった。

両親の死後、累は、村にやってきた若者と恋に落ちた。

流れ者の谷五郎(やごろう)だった。彼は病気で道端に倒れており、可哀そうに思った累は家に連れ帰り必死で看病した。谷五郎は行きつくあてもない、心も弱っていた時だった。看病してくれた恩で、谷五郎には累が女神の様に見えたのだ。病気でかなり視力が落ちていたことも関係する。

ある夜、体が回復してきた谷五郎は、おかゆを持ってきた累の腕を引っ張ると、分厚い男の胸に引き寄せ抱きしめた。そして、こう耳元で囁いた。

「累、おめえさんを一生大事にするから。どんな旅先でも、こんなに俺を大事にしてくれた人はいねえ。ずっとおめえさんとこうして暮らしたい。おめえさんが好きだ」

「谷五郎さん……私を『るい』と呼んでくれるのは、あなた様しかいません……」

累は今まで言われたこともない優しい言葉に心打たれ、純粋そうな目をした谷五郎の力強い腕に抱かれ、「この人しかいない!」と思うようになった。若い男と女が一つ屋根に暮らせば、いつかはこうなる。女が不細工であっても男にとって女の抱き心地は別なのだ。そして、このときの谷五郎には女の顔がどんなものか、きちんと見えてはいなかった。累の男を慕う心だけが見えていた。

累は決心した。二代目与右衛門として彼を婿に迎えることにした。婿に迎えるということは、この家を谷五郎に渡す、という意味でもあった。もう谷五郎以外好きになる人は現れない。累も彼を繋ぎとめるのに必死だった。元気になれば、この人はまた旅に出てしまう。そうなると二度と私のところには戻ってくれない。累の初恋であった。

谷五郎は元気になり、累との新婚生活を始めた。

しかし谷五郎は気が付いた。累の顔がひどく醜いことと、村の中での評判の悪さに。

昼間の累の顔を見ると萎えてしまうが、夜なら顔が見えないから抱くことはできた。だが1年もするとその生活も嫌気が差してきた。累は嫉妬深く、谷五郎が他の女性と話すのも許さない。畑仕事以外の集まりには行かせない。面倒な女だなと思い始めていた。それは元々の谷五郎の性格による。

彼は純粋でも何でもないただの遊び人だったからだ。女の経験も豊富で扱いに長けていた谷五郎にとっては、処女で男を知らない累は絶好の金づるだった。簡単に財産と住まいをくれた女なのだから、谷五郎にとってはこれ以上、累に頭を下げる必要もない。

少しずつ谷五郎の利己主義で横暴な一面が覗き始めた。他のいい女と暮らしたい。そのためには、この女主人をさっさと殺して自分が与右衛門として主になる必要がある。むくむくと恐ろしい計画が頭をよぎる。

ある夏の晩、累は百姓仕事の後、川べりの道を歩いて家路に帰っていた。

ひょっこり谷五郎は林の間から姿を現した。

「累、夜道はあぶねえから迎えにきたぜ」

「谷五郎さん、うれしいねえ。ありがとう」

累は優しい夫が迎えに来たとばかり思って、人目もないので抱きついた。最近は夜も抱かれなくなったが、やはり夫は今も私を大事にしてくれている……と、安心した途端。

谷五郎は、抱いて絡みついた累の腕を思い切り外し、川へ突き落した。

累が泳げないことを知っていた。ブクブクと沈み続け、息ができずに水面を上下する。

「た、助けて! たすけ……て、……すけ、て……すけ……」

「悪いな。俺はお前とはこの先やっていけねえんだ。邪魔なんだ。それだけだ」

「ひ……どい……」

累の声が途切れるのを待って、冷酷な谷五郎は振り向かずに去った。

だが、沈んでいく累の上に黒い物体が乗っかっていた。それは上半身だけの人間の姿で累を沈めていった。溺れながら、累はその顔を見て最期に思った。

(姉さん……?)

自分が生まれる前に亡くなったという姉のことは近所の人から聞いていた。それゆえ自分が「かさね」と呼ばれることも、両親が時折姉のことをこそこそ話すとき、天井にはりついていた影……母が危篤の時にも同じ黒い影が母の首を絞めていたことも、思い出した。

「これがお前の運命なんだ。私と同じ死に方をするってね」

「姉さんも?なぜ私は谷五郎にこんな目に遭わされるの?」

「人間の持ち物で、一番悪いものは何か知ってるかい?」

「わからない」

「目だよ。お前が谷五郎の目を潰していれば、殺されやしなかったさ。お前の心だけを見てくれたさ。他の女にも手を出さなかったさ」

「あの人の目を潰せば……」

「存分に恨むがいい。共に、私達を葬った者どもを殺めていくべし」

黒い影はそういって、一気に累を沈めた。ついに水の中で息絶えた。

累がいなくなり、家主となった谷五郎はすぐに後妻を取った。村の女はいくらでもなびいた。

しかし、すぐに後妻たちは奇病で亡くなるのだ。目が燃えるように痛くなり、失明し、最後は汗がびっしょりで、吐血して布団が真っ赤に染まることもあった。まるで誰かに首を絞められたかのように。

水死した累の恨みだと、村人はまた噂しはじめた。だが谷五郎は次々と女を変えた。5人の妻が亡くなっても、谷五郎の好色は増す一方だった。

やっと生まれた娘「菊』は6番目の後妻、きよの娘だった。この菊は生まれながら美しく、両親はとてもかわいがった。だがある夜から菊はおかしなものを見るようになった。

毎晩毎晩「ズリ ズリ ズリ……」と引きずるような足音が廊下に響く。

この家にいるのは両親と菊しかいない。

「おっかさん?おっとさん?」

と声を上げ、菊は障子を開けた。

すると、そこにはびしょぬれで顔がはれ上がった醜い女が立っていた。

「うわあああ!!」

菊が声を上げるとその女は一気に近づいて、首元に噛みついた。

「た……すけ……て」

噛みついた歯で、首をぐぐっと締め上げられる。菊がやっとのこと「助けて」と声を上げると

「助けてだと? 誰が助けるか。お前も同じ目に遭わせてやる。お前のおっとさんは私を騙し、お前を作ったんだ。このまま生かしてなるものか!」

それは、ひどく醜い顔。累の霊だった。菊はその場に倒れた。

その次の朝、菊は真っ青な顔でほとんど息をしていない状態で見つかった。うわごとのように罵りの言葉しか話さない。乗り移られてしまったのだ。

「谷五郎は私を騙し、家を取った。ほかの女に心移りして私を裏切った。その女も子供も全て殺す。家も焼き尽くす。お前に関する全てをこの世から抹殺する」

と、菊は呪いの言葉を話し続けるのだった。谷五郎は真っ青になり家を逃げ出した。川まで走り、そこで震えて手を合わせ土下座して謝った。

だが、黒い影が現れて川に引き込もうとその手を引っ張る。心が壊れてしまったかのように奇声を上げて、谷五郎はついに川に落ちた。黒い影はもうろうとした谷五郎に言った。

「娘の命ばかりはお助けください。菊はやっとできた私の子。どうしても殺したいなら、私を身代わりに殺してください」

黒い影は引っ張った手を少し緩めた。

「お前はすぐには殺さぬ。累に会わせるためだ」

「累が……累は私を恨んでこんなことを……」

「おぬし、累を愛したことはあったのか?家の財産欲しさに殺したのか」

「……最初は愛していました。しかし……いえ、私が全て悪いんです。私を殺してくれ、菊は関係ない、まだこれから生きていく大事な1人娘なのです」

「そうか。ならば私と妹に供養の碑を建てよ。一生かけて弔うか」

「は、はい! おめえさんは累のお姉さんですかい……?」

「そうじゃ。わしは誰にも愛されず殺された。醜く、動けぬ体だったばかりに……人の目を避けるように殺されたのじゃ」

「……それは……。一体誰に殺されたんです?」

「親だ。実の親にな。私は誰にも愛されず終わった。妹にはそれでもお前がいた。妹はな、まだお前が忘れられぬ。恋ゆえに、お前の事を恨み切れぬのだ。だから、わしもお前には手が出せぬ。殺されてもなお、なぜお前を愛するのかわからぬが……だからお前に寄り付く女ばかり狙ってきたのじゃ」

「累が私をまだ……」

そういうと黒い上半身の影は消えた。谷五郎は水をたくさん飲んだが、なんとか命は助かった。村人達からこの家にまつわる良くない話は聞いて薄々知っていたが、累の姉が親に殺されていたとは知らなかったのだった。

近くにある弘経寺に滞在していた呪術師の「祐天上人」が聞きつけ、悪霊を退散しにやってきた。累の霊は鎮めることができたが、今度は助の霊が菊に憑りついた。黒い影が交差しては菊に乗り移り、ひどい形相で叫んだ。

「お前などに私たちの恨みが解けるものではない、下がれっ!」

菊に憑いた2人の霊力が強く、祐天上人も苦しみ始めた。

「この怨霊は代々引き継がれた、大きな怨恨が元にある。簡単には祓えぬ」

そこへ谷五郎がヨレヨレになり帰ってきた。

「これは相当な恨みをもった霊が憑りついている。ご主人、この家でひどい殺され方をした女が2人おるようですが、いかがか?」

「はい。1人は私の前の妻で……私が殺しました。もう1人は妻の姉で、親に殺されました……2人共同じ川で死にました」

「なんと……そうか。そうであったか。そんな非業の死があったのか……」

祐天上人はすぐに助と累に戒名を与え、昼夜かけて供養し続けた。谷五郎は川の近くに供養塔を作り、自分の過ちを妻のきよと菊の前で話した。谷五郎は罪を認めた後、一生をこの2人の供養に捧げると誓った。

きよと菊もそれに習った。この一族は末代までも累と助を弔うと誓った。

それから何10年か経ったある春の日。

谷五郎は供養塔の前で涙を流していた。菊は隣村の庄屋の息子と縁ができ、よい婚儀となった。晩年に生まれた娘の花嫁姿を見て、もう人生に悔いはなかった。いつしか、日々のことを累や助の碑の前で話すのが日課になっていた。

この日は、累が病床の谷五郎へおかゆを持って来た日を、女として愛した日を思い出していた。確かに2人に愛があった頃を。もうすっかり谷五郎も年を取り、翁になっていた。

年老いたせいで視力が落ち、辺りを徘徊するようになっていた。美しい女を見ては、自分のものにしてきた血気盛んな男の影など、残っていなかった。

フラフラと鬼怒川のほとりまで歩いていた。ふと谷五郎を呼ぶ声がした。

「谷五郎さん……」

川の向こうに笑顔の累が立っていた。醜い顔だが愛嬌のある笑顔だった。向こう岸から手を振り呼んでいた。嫉妬に狂った鬼のような妻でなく、愛にひたむきな若い妻の姿だった。今の谷五郎の目には、そう映った。

「るい……おまえさんかい。俺もそろそろ、そっちへ行こうかね……」

るいと呼ばれた累の霊は、輝く笑顔で谷五郎の首にしがみついた。

昔、しがみついた累の腕をふりほどき沈めたことを、川に引きずられながら、谷五郎は思い出していた。そこはまさに、累を沈めた場所であった。

今は累の腕に抱かれ、ゆっくりと川の中へと沈められて行くのを感じた。

「るい、俺はもう目が見えない。耳も聞こえなくなったみてえだ。息も……」

「見えなくても聞こえなくてもいいんだよ。息もしなくていいから、一緒に行こう。谷五郎さん、ずっと待ってたんだよ、もう一度あの頃みたいに一緒に暮らせる日を」

ゴボゴボと谷五郎は水の中へ沈んでいった。泡だけが水面に残った。

谷五郎の水死体が上がったのはそれから程なくしてだった。特に苦しんだ表情もなく、きれいな死に顔だったという。村人はもう祟りとは言わなかった。

今も累の墓は法蔵寺にある。供養に訪れる人も多い。そして東京にある祐天寺は東横線の地名でも有名だが、祐天上人の終焉の地である。『累ヶ淵』は落語や歌舞伎、映画でも語り継がれている。「四谷怪談」、「番町皿屋敷」と並ぶ日本三大怪談話となっている。

助と累という悲しい姉妹の内側の感情から捉えた場合、彼女たちが発したメッセージを『人の目』という観点において描いた。恋した男が他の女に取られないようにするなら、その男の目を潰せと指示する姉の霊。見た目が良い女に取られてしまわないように、と。なぜ恨まれるべき谷五郎が殺されず、妻や娘が恨みの対象になったか。他への愛情さえなくなれば、谷五郎は自分を愛すると思ってしまう女の執着心が見える。哀れさよりも、むしろ情熱を感じる。

累の初恋を理解するのは、悲恋を体験した女にしか分からぬ世界でもあろう。

もし人に目がなければ、醜かろうが、足が悪かろうが、彼女らは殺されずに済んだ。古代の神においてもそうだ。

古事記には、続きがある。

舟で流された蛭子は現在の西宮にたどり着き、「えびす様」として祀られた。「蛭子」と書いて「えびす」と呼ぶ言われはここにある。

えびす様は海の神様として崇められた。蛭子は神様になれたのだ。

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