昭和30年代の怪奇談を紹介する。常磐線では車内で酒盛りする人が多かった。今ほど飲酒がうるさくなかった時代の話だ。
東京・上野から水戸まで2時間ほどかかるので、その間に居酒屋にいったような気分になりたいのだろう。吊革を握って立っているサラリーマンや労働者も、手に酒瓶などを持っていた。もちろん治安も悪かったようだ。
Mさんも、いつものように酒瓶を片手につまみを食べていた。
上野からしばらく行った頃、酔いが回って眠気がさしてきた。ちょうど牛久を過ぎたあたりだろうか。
どれくらい経っただろうか。目が覚め、ガバッと起きた。
「ああ、しまった、寝過ごしてまった!」
と窓の外を見ると妙に明るい。
上野を出た頃には確か17時半。夕方の日差しだった。今は昼間!?
身につけていた懐中時計を見ると、14時過ぎだ。
しかも酒瓶はなくなって、手にしてるのはお茶と饅頭になっていた。
「何だ? 俺、狸にでもばかされてんのか? まさかこのお茶、狸のしょんべんじゃねえよな? おえ、気持ちわりいなあ!」
とにかく急いで降りてみたら、土浦駅だった。
「まさか、あのまま寝て、次の日になって起きたんじゃねえよな?」
と、降りた列車をもういちど振り返ってみた。すると……。
車内の客はみんな白装束。同じ白い着物を着ていて、青白い顔をしている。そして降りたMさんをじっと睨んでいる。
「ひえええ!!」
ついMさんは悲鳴をあげた。こりゃあ、普通の列車じゃねえ! とんでもねえとこに乗ってたっぺ!
すると列車の端から車掌が降りて、Mさんめがけて走ってくる!
(これに捕まっちゃならね!)
と、ホームの階段を夢中で駆け上がった。
すると、見覚えのある場所。そう、いつもの水戸の駅だった。
時間は夜19時半。普通に上野を出て水戸までかかる時間だ。もちろん外は夜。
(なんだ夢か。しかし助かった、夢かあ)
ほっとして改札を出た。
(こんなに水戸駅が愛おしい日もねえなあ……祝杯すっか)
飲み直すことを考えていたら、知り合いの飲み仲間に会った。ちょうどいいので駅前の居酒屋で飲みながら、さっき起きたことの顛末を少し大げさに話した。
「俺は天国列車に乗っちまったかと思ったっぺ!」
知り合いは目を白黒させて聞いていた。
「つまり、夢見てたってことかい? 知らねぇうちに、この水戸駅で電車を降りてたと?」
「んだ。人間の体っちゃ、ほとほとよくできてんだなあ。よくよく覚えてるもんだなと思ってよ。毎日おんなじ列車で帰ってるしな」
すると、知り合いが変な顔をした。
「いや、それはおかしい。常磐線はもう18時っからずっと止まってたんだから」
「ええ? 何だって? 止まってたって、何でだよ?」
「脱線事故だ。ずうっと止まってんだから。上りも下りも汽車は来ねぇし、それで俺も帰れねくなって突っ立ってたのが、さっきだ。なのに、おめえはどこの列車さ乗ってきたっつーんだい?」
「おい、ごじゃっぺ(嘘)言うでねぇ」
「ごじゃっぺなもんか。おめえ1人だっぺ」
「そうすっと、俺はどっから来たんだっぺ? おい、今日は何月何日だ!?」
しかし、飲み仲間が答えた日付はその日のものだった。Mさんは混乱した。
結局、来るはずのない列車で、どう水戸までたどり着いたのかは分からなかった。
同じ常磐線の別の駅では、大脱線事故を起こした日から1カ月ほど経った頃だった。その事故は死者が160人、けが人325人という大参事だった。
やはりMさんが乗ったのは、彼らが成仏していく空への天国列車だったのだろうか。