一九九四年の五月に、赤羽に住んでいる高峯君の家の近所で火事があった。
どうやら家の者は散り散りに逃げてしまったらしく、誰が無事で誰がどうなったのかもわからないくらいに現場は混乱していた。
結局、その家の家屋はみごとに全焼してしまい、鎮火したのは朝になってからのことだった。その頃になって初めて、その家のおばあさんが行方不明であることがわかった。
懸命の捜索の結果、更に翌日になって焼け跡からおばあさんの「痕跡」が見つかった。おばあさんは階段の上り口辺りで猛火に巻かれたらしい。
老女の身体は、骨すらほんの僅かしか残らないほどに燃え尽きていたのだそうだ。
高峯君の家に遊びに行くためには、この火事現場に面した道を通らなければならない。
久しぶりに高峯君を訪ねようとした枝原君が、この火事現場の前を通りかかった。
そこに、おばあさんがいた。
ちょうど階段の一階の上り口辺りだろうか。
仰向けになったおばあさんがもがいていた。
「……ん?」
消し炭になった火事現場の中で、おばあさんは懸命にもがき続けていた。
枝原君に、そのおばあさんが人間ではないことが直感として伝わってきた。
火事の当時の、おばあさんの死の瞬間の情景が、ここで再現されているらしいのだ。
見たところ、おばあさんの上に何かがのしかかっているらしく、足首と胸から上を懸命に動かす様が見える。どうやら膝から上、胸から下の辺りに何かあるらしい。何かが倒れてきたのか、何かに捕まったのか、枝原君にはおばあさんだけしか見えないため、詳しいことは定かではない。
やがて、もがき続けるおばあさんの服や身体がみるみるうちに黒く焦げていく。しかし、おばあさんの身体を嘗なめているのであろう炎は全く見えない。どうやら、おばあさんの身体はどんどん燃えていっているらしい。
おばあさんの身体はなおも黒く変色し続けている。
しかしなおも手足をじたばたと動かしている。
二十分ほどその場でもがき続けた後、手足や顔の皮膚がすべて黒く変わり果てたおばあさんは、やっと動かなくなった。
そして黒い塊になったおばあさん〈だったもの〉は、すっと空気に溶けるように消えていった。
「枝原……枝原!どうしたんだよ、ぼーっとして」
「いや、おばあさんが……」
言葉も発さずに路傍に立ち尽くしていた枝原君に、彼を迎えにきた高峯君が声を掛けた。
枝原君は「今し方見えたもの」について高峯君に説明したが、高峯君は怪け訝げんな顔をするばかりだった。
「またおまえはそういうことを言って人を怖がらせて……」
「嘘じゃないんだってば」
しばらくして、枝原君は再び高峯君の家に遊びにいった。
そして例の火事現場にさしかかると、おばあさんが仰向けに倒れてもがいていた。
「またいる……」
おばあさんは前回と同じように見えない炎に焼かれ、身体中を炭のように焦がして動かなくなるまでもがき続けた。
「でね、それからというもの、その道を通りかかる度に燃えるおばあさんのパフォーマンスを見せられるわけですよ。いやー、あまりに何度も見えるもんだから最近は遠回りしてそこを通らないようにしてるんですけどね」
「へえ。そいで最近はもう見えないんでしょ?」
僕の問いに答えて枝原君は声を潜めた。
「こないだ試しに通ってみたんですけどね、まだやってるんですよ、あのおばあさん。あ、これ高峯には内緒にしておいてくださいね。怖がるから」