馳皇さんの自宅の話である。
横浜市にある馳皇さんの自宅は、彼女の自室を含めて増築されてから一年になる。
この部屋の隅の物入れスペースの上が狭いロフトになっていて、彼女はそこを寝床にしている。ロフトの広さは一畳より少し広いかどうかといった程度で、横になったとき左側は壁に、足元は「足がぶつからないで済む」といった程度のごく狭いスペースしかない。
この新品の部屋の中に、どうやら何かがいるらしい。
工事が済んで馳皇さんが初めてこの部屋で寝た晩、馳皇さんの頭の右上五十センチくらいの所から、かさこそという何かが這はいずりまわる音が聞こえた。
最初は壁の中に虫でもいるのかと思った。
それからと言うもの、このかさこそという音は毎晩、それも必ず馳皇さんの頭の右上五十センチくらいの場所から聞こえてくるのである。
それは一年もの間、続いた。
建物を建て増すときに、一度地面をすべて浚さらって綺麗に整地し直したはずだから、虫が付いているはずはない。
もし万一、白アリか何かだとするなら、何故、他の壁から聞こえてこないのか。
何故最初の晩から現在まで、一年近くもの間、季節を問わず一晩も欠かすことなく同じ場所から聞こえているのか。
そして重大なことがもう一つ。
這いずりまわる虫のような音は、壁の中からではなく、壁の前にある空間から聞こえてくるのである。
ある晩、馳皇さんがロフトの上で右側に寝返りを打ったところ、あるはずのない壁に足をぶつけた。
そのままむずかっていると、今度はいきなり両足首をむんずと鷲わし掴づかみにされ、そのまま枕から四~五十センチも足元のほうへ、ぐいっと引き寄せられてしまった。
「なにすんのよう……」
寝ぼけ顔で呻きながら、馳皇さんは母親にイタズラされたのだと考えた。遙か彼方にある枕の位置まで、足元の方向に引きずられた身体を引き上げ、寝直そうと朦朧としているうちにあることに気付いた。
ロフトの足元には身体を伸ばしたまま四~五十センチもずらすだけの余裕などない。枕の位置からそれほど引きずられたら、足は壁の中にめり込んでいるはずなのだ。
馳皇さんの足を掴んだ手はどこから馳皇さんを引っ張っていたのだろうか。
馳皇さんの足を引っ張っていたのは誰の手なのだろうか。
そして、馳皇さんの足はどこへ消えていたのだろうか。