行きつけの居酒屋で同席した、山田さんから聞いた話である。
彼は子供の頃、とても奇妙な体験をしたそうだ。
「昭和三十六年の話だから……私が十二歳になった年の出来事だよ。その頃は、まだ実家が三ノ輪(台東区)にあってね」
よく近所の悪ガキ共と連れ立っては、隣の荒川区にまで遊びに行っていた。
両親からは「あまり遠くに行くな」と言われていたが、遊び盛りだった山田さんは親の言うことなど聞く耳を持たず、連日のように荒川や町屋、ときには隅田川の河川敷にまで遠征したそうだ。
「それでね、いまでもそのときのことは正確に覚えているんだけど……五月二日の午後。学校が終わってから、近所の子たちと集まってね」
その日も荒川方面に向かった山田さんたちは、途中、鉄道の線路で遊んだという。
現在もふたつの区の境界沿いを運行する、常磐線の線路である。
もっとも、当時の国鉄はまだ呑気なもので、線路に子供が立ち入っても、最近ほどにはうるさく言わなかったらしい。
彼らは線路に耳をあてて音を聴いたり、形の良い敷石を集めたりした。
すると、友達のひとりが「……あれは、何だろう?」と指をさした。
目を向けると、だいぶ離れた線路の上に、人だかりができている。
まるで遠景を揺らす陽炎のように、数十人の大人が〈ぼおっ〉と朧げに立っていた。
線路の先は三河島駅に繋がっているが、駅舎へ向かっている様子ではない。
「……何かあったのかな?」と、じっと目を凝らした。
すると、人だかりの中から赤い人影がひとつ、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
それは──ズタボロに汚れた、血塗れの女だった。
女は山田さんたちに向かって、真っ直ぐ線路の上を歩いてくる。
酷く曖昧で、感情の欠片もない虚ろな表情をしていたという。
やがて女は、唖然とする子供たちの間を通り過ぎると──
〈フッ〉と、霞のように掻き消えてしまった。
「えっ、いまの……幽霊?」と、聞くでもなく声が漏れた。
三河島駅の方向に目を向けると、先ほどの人だかりもいなくなっている。
怖くなった山田さんたちは、遊ぶのを止めて家に逃げ帰ったという。
「それで帰ったら、お袋にえらく怒られてね。『お前、線路で遊んできただろ!』って、バレててさぁ。まぁ、子供なりに隠していたつもりだったんだけど……ふくらはぎに煤がついているのを、うっかり見つかってしまってね」
まだ、蒸気機関車が運行していた時代のこと。
機関車が排出する煤煙で、日本中、どの鉄道も線路の周りは煤で汚れていた。
そんなところで遊んだものだから、煤が手足にこびりついていたのである。
その上、現代と違って当時はご近所同士の繋がりが強い。
山田さんが線路で遊んだことは、その日のうちに間に近所中に知れ渡ってしまった。
そのため、他の子供たちもこっぴどく親に叱られ、罰として翌日(祝日)の外出を禁じられてしまったのだという。
もっとも、昼間に見た幽霊が怖くて、遊びに出る気も失せていたらしい。
「それで……翌日の晩だよ。近所の人が慌てた様子で、うちに駆け込んで来てね」
三河島駅で大変な事故が起こったようだと、声を枯らして教えてくれた。
昨日、山田さんが線路から遠望した駅である。
「救助に人手がいるかもしれない」と父が言い、家族全員で事故現場に向かった。
──地獄絵図だった。
大勢の人々が救助に立ち動く中、けたたましいサイレンが鳴り響いている。
辺りには焦げた金属と、臓物の生臭さの入り混じった臭いが充満していた。
大量の鮮血が染み込んだ線路の敷石には、切断された人体の破片が無造作に散らばっていたという。
だが、救助隊は負傷者の救護に忙殺され、それらには目もくれない。
誰も遺骸を拾い集める余裕がなかったのだと、山田さんは当時を述懐する。
「三河島事故といってね。もちろん、事故の詳細は後から詳しく知ったんだけど……最初、二台の列車が三河島駅で脱線事故を起こしてね。その時点じゃあ、大した被害はなかったらしいんだけど……そこに三台目が、突っ込んじまって」
最初の事故で線路に避難していた乗客を、後続の列車が次々と轢いたのだという。
後に判明した被害者数は、死者百六十人、負傷者二百九十六人。
戦後の鉄道事故史に残る、未曾有の大惨事だったのである。
「それでね、だいぶ後になって事故前日に見た幽霊のことを思い出したんだよ。『あぁ、あれは、事故で亡くなった人たちだったのか』って。でも……そんな訳ないよな。だって、幽霊って死んでから化けるものだろ?全然、辻褄が合わないじゃないか」
なるほど三河島の事故は、彼らが奇妙な体験をした翌日に起こったのである。
事故の犠牲者たちが、化けて出られる道理はない。
「だから、幽霊だと思っちゃないけど……じゃあ、俺らは一体、何を見たんだろう?」
そう言って、山田さんは首を傾げた。