アニメーター(東京都) | コワイハナシ47

アニメーター(東京都)

土曜の夜、新宿にある居酒屋で、天野さんという男性と飲んだ。

彼は現在、とあるアニメ制作会社のプロデューサーを務めており、聞くと以前、大変に奇妙な体験をしたのだという。

いまから、十年ほど前の出来事である。

当時、天野さんの制作会社では、社外の動画マンにも仕事を依頼していたそうだ。

瀬川さんという四十絡みの女性で、キャリアも長く、非常に有能な動画マンだった。

「フリーランスの動画マンって、業界では珍しいんだ。普通は動画から原画、作画監督と、仕事をステップアップさせるんだけど、彼女はずっと動画を専業にしていてね」

その頃、まだ制作スタッフだった天野さんは、瀬川さんに仕事を依頼することが少なくなかったという。

動画の仕上がりが早く、安心して仕事を任せることができたのである。

ただ、彼女にはひとつだけ、変わったところがあった。

携帯電話や、パソコンの類を、一切持っていなかったのである。

そのため、彼女と連絡を取りたいときには、部屋の固定電話に電話しなければならなかった。

「でも、電話するほどじゃない伝言も多くてね。例えば、『原稿用紙、足りていますか?』とか、『鉛筆、補充しましょうか?』とかって」

そんなことで、いちいち電話をするのは面倒だった。

そこで天野さんは、彼女に原画を届ける際、封筒に手書きのメモを付けるようにしていたのだという。

メモには、作画監督からの指示や注意事項を記入することもあったし、また「大変ですが、宜しくお願いします」と、励ましの挨拶を添えたりもした。

一方で彼女も、仕上がった動画の中に、返事のメモを入れてくれた。

あるときのことだ。

天野さんは瀬川さんから返ってくるメモ書きに『つらい』とか『苦しい』などと、愚痴が増えていることに気がついた。

その都度、彼は「大丈夫ですか?お仕事を減らしましょうか?」と返していたのだが、愚痴が減る様子はない。

「でも、仕事の仕上がりはいつも通りなんだよ。丁寧だし、納期もキッチリ守ってくれて。それに、直接動画の受け取りに行ったときも、別に変った様子はなくて」

〈瀬川さん、ストレスでも溜まっているのかな〉くらいに受け止めていたという。

ところが、暫くするとメモ書きに、「さびしい」と書かれるようになった。

それまでは、たとえ愚痴であっても、仕事に関する内容しかなかったのである。

さすがに、連絡用のメモに「さびしい」と書かれることには、違和感を覚えた。

それは彼女の心情であって、動画の仕事とは関係がない。

「でも、瀬川さんはずっと独身だったし、黙々と絵ばかりを描いてきた人だから……やっぱり女性として、寂しいと感じるときがあるのかって、少し気にしていたんだ」

だが、次に受け取ったメモ書きには、「この部屋、さわがしい」と書いてあった。

その下には「うるさくて、眠れない」と書いて、塗り潰した跡も残っている。

漠然と、不安な気持ちを感じた。

「正直、意味がわからなくてね。隣の部屋がうるさいならまだしも、自分の部屋のことだから……もしかしたら彼女、精神的に参っているんじゃないかと、不安になって」

翌週になり、その不安が的中したことを、天野さんは知ることになった。

受け取ったメモ書きに「毎晩、幽霊に犯される」と、書いてあったのである。

「レイプされて、全然眠れない」、「幽霊は三人いる」とも書き添えてあった。

だが、直接瀬川さんに会っても、表情に異常さは感じなかった。

「それに、受け取った動画もまったく問題がないんだ。でも、それが却って不気味で。だってさ、メモに新しく『幽霊』っていう言葉が出てきたってことは、もう一段、状況が悪化したってことだから……このままじゃ、ヤバいことになりそうだって」

──思っていたよりも早く、「終わり」の日は訪れた。

受け取った動画の大半が、黒く塗り潰されていたのである。

辛うじて絵のある原稿にも、まったく関係のないキャラクターが描かれていた。

そして、いつものメモ書きには、筆圧の定まらない文字が支離滅裂に綴られている。

驚いた天野さんは、当時上司だった制作部長に、そのメモ紙を渡した。

部長は、古くから瀬川さんと付き合いがあり、彼女の良い理解者だったのである。

「これは……不味いな」

メモを読むなり、部長は瀬川さんの部屋に急行した。

そして、彼女を部屋から連れ出して、精神科の病院に入院させたのだという。

以来、天野さんは彼女のことを見ていない。

「それから二年くらい経った頃かな。あるアニメの打ち上げがあって、皆で飲んだんだよ。で、そのときにさ、『瀬川さんのこと、覚えてる?』って話になったんだ。『あのときは動画に穴が開いて、大変だった』ってね」

ただでさえ厳しい制作状況で動画マンが辞めてしまい、危うく万策尽きかけたと、皆が大きく頷いた。

すると、制作のひとりが「でも俺、ちょっと気になることがあって」と言い出した。

なんでも、以前に瀬川さんのアパートへ動画を取りに行ったときに、部屋の奥から「おい、誰か来ているのか?」と、彼女を呼ぶ男性の声が聞えたというのである。

また、別の制作スタッフは、瀬川さんの部屋を離れる間際に、中から複数の男性の笑い声がしたと証言した。

だが、瀬川さんの部屋は、六畳一間の狭い賃貸だった。

さらに、ある制作スタッフは、アパートに到着して呼び鈴を押すと、ドアの向こうで女性の短い悲鳴を聞いたという。

〈まさか、強姦か?〉と心配していると、暫くして玄関に瀬川さんが現れた。

酷く着崩れたネグリジェを纏い、瞳が妙に潤んでいるように見えたという。

「でも、そのときの瀬川さん……歳の割に、すごく色っぽくて」

その制作は、何も言えずに動画を受け取って、帰ってきたらしい。

「なんかさ、話のピースを繋ぐと、瀬川さんの部屋に誰かがいたっていうことになるんだけど……でもさ、その頃は瀬川さん、だいぶ精神が病んでいたはずだから」

それともうひとつ、制作スタッフが口を揃えたことがある。

瀬川さんの部屋の玄関に、男性用の靴を見なかったと言うのだ。

「……それでね、別の席で飲んでいた制作部長にも、瀬川さんの話を振ってみたんだよ。そしたらさ、部長も気づいたことがあるって言ってね」

──あいつが書いたメモ書きな。あれ、彼女の字じゃなかったよな。

言われてみると、最後のメモだけは、文字の書き方がまったく違っていたのである。

「でね、俺も……最近になって、ちょっと思い出したことがあるんだよ」

天野さん自身、すっかり忘れていた記憶である。

当時、仕事の用事があって、瀬川さん宅に電話をしたことがあった。

すると電話口に、知らない男性が出たというのだ。

男性は「瀬川ならいますよ」と言い、受話器を替わった。

その口ぶりがあまりに自然だったので、天野さんも気に留めなかったのである。

「……正直、瀬川さんの部屋に男がいたのか、それとも彼女のメモにあった『幽霊』だったのか、まったくわからないんだ……たださ、その時期に彼女が精神を病み始めて、最後には動画マンを廃業したってことだけは、確かなんだよ」

天野さんはそう言って、一気にビールを飲み干した。

そして、暫く考え込み──言葉を繋いだ。

「ただね、大きな声じゃ言えないけど……この業界は二、三年にひとりくらい、精神がイカれる奴が出るんだよ。まぁ、寝る時間のない仕事だし、元々その傾向のある奴が集まり易いってのもあるからね」

時計を見ると、すでに夜の十一時。

聞けば、彼はこの後、まっすぐ会社に戻るのだという。

「大変ですね」と労ねぎらうと、「仕事だから」と笑って答えてくれた。

シェアする

フォローする