現在、都内で出版社の役職に就く、福田さんから聞いた話だ。
昨年、福田さんは取引先の社長の告別式に参列した。
さほど大きな取引のある会社ではなかったが、付き合いは古く、〈是非、最後のお別れを〉と、福田さんが望んだのである。
「だけど、葬儀の案内状の通りに葬儀場に行ったら、凄い山奥にあるお寺でね。亡くなった社長の菩提寺らしんだけど、一番近い駅からタクシーに乗っても、四、五十分は掛かったかな」
告別式の後、出棺を見送ると、数名の参列者が葬儀から離れた。
福田さんは、行きに乗ったタクシーに電話をして、三台寄こしてくれるように依頼したという。
だが、二十分ほど経って現れたのは、二台のタクシーだった。
聞けば、もう一台が到着するまでに、だいぶ時間が掛かるという。
詰めれば全員が乗れないこともないが、彼はもう一台が来るのを待つことにした。
「自分が呼んだ手前、タクシーに無駄足を踏ませるのも悪いし……それに、面識のない参列者と同乗するのも、気が引けてね」
福田さんは何もない山門で、スマホ片手に気長に待つことにした。
どれほど待ったか、ふと、堀沿いに一台のタクシーが停車していることに気づく。
車体が緑色の、あまり見慣れないタクシーだった。
しかも、車のボディが所々でぼこぼこと凹んでおり、見るからに酷い有様である。
〈……これ、呼んだタクシーだよな?〉
辺りを見回しても、他にそれらしき車はない。
不審に思いながらタクシーに近づくと、後部座席が開いた。
「すみません、これ○○交通さんのタクシーですよね?」と聞く。
だが、運転手は黙ったまま、返事もしなかった。
「どうしようか、少し迷ったんだよ。でも、他にタクシー待ちの客もいないし、乗るしかないかと思ってね」
後部座席で最寄り駅を告げると、運転手は黙ったままタクシーを発進させた。
酷く不愛想な態度だが、目的地に着けばよいと、割り切ることにした。
タクシーは寺のある山を下り、広い国道に出てから、再び細い山道に入っていく。
暫く景色を眺め続けて、〈おやっ〉と思った。
行きに乗ったタクシーでは、こんな山道を通った覚えが無い。
確か、片側二車線の国道を、ずっと走っていたはずである。
だが、いま通っている山道は、片側一車線のみだった。
〈まさかこの運転手、行先を間違えているんじゃ……〉
気になって、スマホで現在位置を検索してみると、最寄り駅がある方向に進んでいるようではある。
地図上には表示されないが、どうやら国道と並走する山道を走っているらしい。
「……運転手さん、この道路は近道なんですか?」
なにげなく聞いたが、またもや返事は帰ってこない。
居心地の悪さを感じながら、再び揺れる車体に身を預けた。
すると、スマホが鳴った。
画面を見ると、知らない番号が表示されている。
出ると、相手は○○交通の運転手を名乗った。
『お待たせして、申し訳ありません。ただいま、お寺に着いたところなんですが……お客さん、どちらにいらっしゃいますか?』
──この車、呼んだタクシーじゃなかったのか。
知った途端、気味が悪くなった。
運転手は黙ったまま、真っ直ぐ前方を見詰めている。
このまま、この車に乗っているのは不味いと、直感的に思った。
「なぜか、このままでは危ないような気がしたんだよ。多分、動物的な本能か何かで、そう感じたんだろうな」
すると、山林の切れ間、斜面を幾分下った山裾に道路が見えた。
昼間通った、国道のようだった。
「……運転手さん、ちょっと車を停めて貰っていいかな。小便がしたくなって」
思いつきで、降車するための嘘を吐いた。
とにかく、一旦車から離れようと決心したのである。
だが、運転手は車を停めようとはしなかった。
「運転手さん、ちょっとの間だから、頼むよ」
再び懇願して見せたが、運転手は黙ったままだ。
「てめえっ、停めろって言ってんだろっ!ふざけてると、ぶっ殺すぞっ!」
キレた福田さんが、大声で怒鳴ると──タクシーが停まった。
慌てて車外に飛び出し、木立の影に飛び込んで後ろを振り返る。
すると、なぜか緑色のタクシーは、彼を待たずに走り去ってしまったのだという。
その後、福田さんは山の斜面を下って、国道まで降りてみた。
途中で二度転び、喪服を泥だらけにしたが、どうでもよくなっていた。
〈さて、どうするか〉と国道を眺めると、一台のタクシーがこちらに向かってくる。
見ると、「○○交通」と書かれていた。
乗り込んで話をすると、先ほど電話をくれたタクシーの運転手だった。
なんでも、寺から駅へと戻る途中だったらしい。
「お客さん、こんなところでどうされたんですか?」
運転手に聞かれて、福田さんはいままでの出来事を詳つまびらかに説明した。
すると、「命拾いをしましたね」と、運転手が言った。
聞くと、いま走行している道路が新道で、山の中腹にある道は旧道なのだという。
「随分前にあの旧道、崖崩れを起こしているんですわ。確か、入り口がまだ封鎖されているから、いまでも途中で道が無いままじゃないですかね……それと、お客さんが仰っていた緑色のタクシー、もうとっくに会社が潰れていますよ」
そう言ったきり、運転手は黙ってしまった。
「いまだに、自分が何に乗っていたのか理解できないんだよ。まさか、車の幽霊って訳でもないだろうけど……ただね、後でひとつだけ思い出したことがあるんだ」
緑色のタクシーが走り去る際、一切エンジン音を聞かなかったのである。
また、乗車中にも、走行音を聞いた覚えが無い。
でも、そんなことはあり得ないよな──と、福田さんは言った。