中古レコードの謎の歌声(神奈川県) | コワイハナシ47

中古レコードの謎の歌声(神奈川県)

神奈川に住む尾瀬さんは、中古レコードの収集が趣味だった。

方々の古物商を訪ねては、レコード棚を物色するのが楽しみだったのだという。

「妻に怒られるから、プレミア品はあまり買えなくてね。もっぱら掘り出し物を狙って、中古盤を随分と買い漁ったものだよ」

だが、二年ほど前から、尾瀬さんはレコード収集をやめてしまっている。

そのときの話である。

ある日、知り合いの店主から「中古盤を纏めて仕入れた」と、連絡を貰った。

東京にあるレコード専門店で、以前から尾瀬さんが親しくしている店主だった。

このジャンルは同好の士が多く、目ぼしい品はすぐに売れてしまう。

尾瀬さんは、自分の仕事の合間を縫って、早々に店を訪れることにした。

しかし、入荷した中古盤の商品棚を漁っても、これという品がない。

メジャーなレコードが多く、彼の食指を動かすほどのものはなかった。

強いてあげるなら、一枚だけ気になる中古盤を見つけた。

ジャケットが黄ばんでボロボロに破れた、まったく内容が不明なレコードだった。

だが、それが却って、彼の収集癖をくすぐった。

「ジャケットのない中古盤って、結構面白いんだよ。どこかの国の政治家の演説が入っていたり、もの凄く下手な素人が歌ってたりもしてね」

他に欲しいものもなく、尾瀬さんはそのレコードを購入することにした。

尾瀬さんは自宅に戻ると、早速レコードを掛けてみたという。

スピーカーから流れてきたのは、澄んだ女性の歌声。

ピアノが奏でる静かな旋律に、哀愁の漂うフランス語の歌声が調和した、綺麗なシャンソンのバラード曲だった。

いままでに、聞いた覚えのある曲ではない。

曲名を知りたく思うが、ジャケットは役に立たず、センターラベルも剝がれている。

よほど刻印が浅かったのか、製造番号すら酷く掠かすれて判読ができなかった。

「……でも、ピアフやボワイエとかの、有名なシャンソン歌手じゃないのは確かだったよ。それに、最初に聞いたときは、飛び抜けて良い曲だとも感じなかったんだ……でも、二回、三回と繰り返しているうちに、段々と耳に馴染んできて」

特に、曲の後半にあるルフランが心地よく、何度でも聞きたくなったのである。

彼の奥さんも、最初は「なんだか暗い曲ね」と、あまり興味を示さなかったが、何度か聴いているうちに、気に入り始めた様子だった。

「実際、何度聴いても飽きないし、心の安らぐ曲だったよ」と、尾瀬さんは言う。

また、レコードを繰り返し聴くことで、新たな発見もあった。

例えば、ノイズだ。

当初、レコードが古いせいで混じっていると思っていたノイズが、実は〈ぼそぼそ〉と呟く人の声だということに、あるとき気がついた。

そして、もうひとつ──笑い声である。

曲が終わって無音が続いた後、人の笑い声が何の脈絡もなく入るのだという。

〈あははは……〉と嘲けるような、乾いた男性の笑い声だった。

「当然、シークレットトラックって訳じゃないだろうけど……俺は、その曲の作曲家が、意図してその笑い声を入れたと解釈したんだ」

それ以降、尾瀬さんは笑い声が終わるまで、レコードを止めなくなった。

──その頃から尾瀬さんの自宅は、徐々に様子がおかしくなり始めたという。

まず、飼っていた猫がいきなり死んだ。

原因はわからない。

ある朝、玄関で冷たくなっているのを、尾瀬さんが見つけたのである。

猫を可愛がっていた奥さんは大変に悲しんで、塞ぎ込むようになった。

家事も手がつかない様子で、仕方なく尾瀬さんが代わることにした。

それから暫くして──家の中が、臭うようなった。

家のどこにいても、微かに生ごみの臭いがするのである。

だが、ごみを溜めたりはしていない。

毎朝、尾瀬さんが集配所に捨てに行っていたのである。

そして変化は、尾瀬さん自身にも生じ始めた。

あの曲が耳にこびり付き、脳裏から離れなくなってしまったのである。

頭の中で、脳が勝手にあの曲を再生し続けるのだ。

「それでいて、レコードを掛けることも止められないんだ。妻の代わりに、家事をやらなければいけないのだが……いつの間にか、書斎でレコードを聴いていてね」

いつしか、気だるい雰囲気が家中に蔓延し、生活の気力が失われていくのを感じた。

──ある日、遂に悪臭の発生源を見つけた。

臭いを手繰って、一階の物置部屋の床下収納に辿り着いたのである。

床下は、酷いことになっていた。

収納に生ごみが目一杯詰め込まれ──その中に、死んだ猫の遺骸があった。

ビニール袋に詰め込まれたそれは、体が腐りかけ、毛皮が泥で汚れていたという。

つんとした悪臭に鼻腔が痺れ、思わず収納の蓋を手放した。

その瞬間、〈あははは……〉と、乾いた笑い声が響いた。

が、レコードではない。

背後に、奥さんが立っていた。

眼の光が酷く曖昧で、尋常な様子ではなくなっていた。

「恥ずかしい話だが、妻が正気を失っていることを、そのときになってやっと気がついたんだ……それで、すぐに病院に連れて行って、診察して貰ったんだ」

結果、奥さんは若年性の認知症だと診断された。

まるで渦潮に飲み込まれるように、すべてが悪い方向に落ちているように感じた。

──思い当たる原因は、ひとつだった。

「人間ってさ、具合が悪くなると、何かしら原因を求めたくなるものなんだよ。例え、それが迷信めいたものであってもね……もちろん、あの中古レコードのことだよ」

翌日、尾瀬さんはレコードを購入元の店に持ち込み、買い戻して貰った。

正直、手放したくない気持ちもあったが〈妻のためだ〉と、未練を断ち切ったのである。

すると驚いたことに、奥さんの状態が快方へ向かい始めたのだという。

「暗かった表情が、急に明るくなってね。少しずつ、家事も出来るようになってきたんだ。それに、家の雰囲気も元に戻ったし、猫も庭に埋め戻したよ……でも、そうなるとさ、あの中古レコードが一体何だったのか知りたくなるだろう?」

半年が過ぎた頃、再びレコード店を訪れた。

その頃には、すでに中古盤の収集をやめており、久々の来店となった。

店主と軽く雑談を交わし、何げなくあの中古レコードのことを聞いた。

が、店主もレコードの中身は、一切わからないのだという。

ただ、レコードの元の持ち主については、少しだけ教えて貰うことができた。

「あのレコード、亡くなったある収集家の遺留品なんだよ。そいつの親戚がさ、遺品整理で纏めて売却したらしくて……なんでもそいつ、交通事故で家族共々、亡くなったんだって」

そう言った後、店主は〈一応、このことは内緒な〉と笑った。

あの中古レコードは、買い戻してから、すぐに売れてしまったのだという。

「いまでも、あのレコードのことを、たまに思い出すことがあるんだ。でも、もう関わりたくはないけどね。ただ、あのレコードが……いまもどこかで、持ち主に不幸を呼び続けているんじゃないかって、そのことだけが気になっていてね」

現在、尾瀬さんの奥さんは、認知症の検査と治療を継続して受けている。

だが幸いなことに、症状が悪化する兆候はまったく見られないのだという。

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