非常階段塗装の見積もり(神奈川県) | コワイハナシ47

非常階段塗装の見積もり(神奈川県)

神奈川で塗装の工務店を営む、村田さんから聞いた話だ。

いまから十年ほど前こと。

市役所から、見積もり依頼の電話を貰った。

聞くと、市内にある公立中学校の非常階段を、再塗装したいのだという。

校舎の裏に外付けされた、非常用の螺ら旋せん階段らしい。

「測量して、必要経費を算出するだけだからさ。ふたつ返事で引き受けたんだ」

さして時間の掛かる仕事でもなかったが、役所の担当者が立ち会いたいという。

「では、校門の前で落ち合いましょう」と話を決め、受話器を置こうとした。

が、その瞬間「あのっ、ひとつ言い忘れていたんですが、私が到着するまで、絶対に校内に入らないで頂けませんかっ」と、担当者が言う。

「えっ……でも学校には、話を通してあるんですよね?」

「勿論それはそうですが……おひとりで入られると、こちらが困るんです。とにかく、私が着くまで校門で待っていて欲しいんです」

そこまで念を押されると、嫌だとも言えない。

理由はわからないが、先方の要望に従うことにした。

数日後、待ち合わせの時刻に校門の前に到着すると、市の担当者が来ていない。

半時ほど待ってみても、姿を現さなかった。

携帯に掛けようとしたが、まだ名刺の交換もしていないことに気がついた。

授業が終わったのだろう、校門を出ていく生徒たちの怪訝そうな視線が痛かった。

「市役所に問い合わせることも考えたんだけど、ちょっと面倒でね。取り敢えず、車を学校の駐車場に停めて、さらに三十分ほど待ってみたんだけど」

やはり、担当者は現れない。

さすがに痺れを切らせた村田さんは、〈場所はわかっているんだし、別にいいか〉と、勝手に非常階段の測量を行うことにした。

次の仕事があり、いつまでも無駄な時間を過ごす訳にはいかなかったのである。

手早く準備を整えると、小一時間も掛からずに測量を終わらせた。

そして、使用した器具を車に積み直していると──

「村田さんっ、大丈夫ですかっ!?」と、後ろから声を掛けられた。

振り返ると、蒼い顔をした男性が息を切らせている。

名乗らずとも、彼が市役所の担当者であることは察しがついた。

が、なぜに〈大丈夫か?〉と、聞かれたのかがわからない。

「いや、測量は無事終わりましたが……なにか問題でも?」と、聞き返した。

だが、担当者は「いや、それならば結構です」と、答えようとしない。

その代わり、到着がだいぶ遅れてしまったことを、素直に詫びてきたのだという。

「まぁ、こっちも勝手に学校に入っているし……お客に文句を言えたスジでもないからさ。取り敢えず、後日、見積もりを送るってことで、その場を離れたんだが」

校門を出るまで、市の担当者はずっと傍に立っていたという。

「でも、やっぱ気になったんだよ。だって、高々三階までしかない非常階段だよ。それを測量するだけなのに、市の職員が必ず立ち会うっていうのも変な話だし……いい大人を捕まえて、『ひとりで、入らないでくれ』って念押しされてもなぁ」

だが、依頼主や学校関係者に、直接理由を聞くことはできない。

そこで村田さんは、そこの中学出身だという若い建築作業員に、なにか事情を知らないかと訊ねてみたという。

──あそこの階段、やたらと部外者の飛び降りが多いんっすよ。

若い作業員が、顔を顰めながら言う。

なんでも在学中、彼が知っているだけで四回、飛び降り自殺があったのだという。

ただ、学校の生徒や教師が、そこで自殺をしたという話は聞いたことがない。

飛び降りるのは、学校とは無関係の人たちだけなのである、

「俺も、見たことあるんすよ……なんか背広着たおっさんが〈ふらふら~〉って学校に入ってきて、いきなり階段を上って〈すとん〉って落ちたんです」

〈そのおっさん、変な方向に首が曲がって〉と、作業員は自分の首に手刀を当てた。

他の卒業生にも聞いてみたが、説明はおおよそ同じだった。

「多分さ、市役所の連中は知っているんじゃないかな。あの階段に、部外者を近づかせると危ないってことを」

約束通り、期限内に見積書を送ったが、担当からは何の返信もなかった。

その後、階段の塗装工事は、別の業者が請け負ったようだ。

「まぁ、こっちも危ない橋は渡りたくないからさ。別にいいんだけどね」

村田さんは、そう言って渋い顔をした。

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