「料理の見た目が良かったから、インスタの写真を撮ろうとしたのよ。そしたら、スマホがないことに気がついたの」
智子さんは、横浜に住む四十代の主婦である。
最近、彼女は旦那さんの健康を気遣い、夫婦でスポーツジムに通っているそうだ。
その日もジムで汗を流した後、帰宅途中に立ち寄ったカフェで、自分のスマートフォンが見つからないことに気がついたのである。
慌てて旦那のスマホから掛けてみたが、誰も出ない。
着信音は鳴るのだが、幾ら粘っても通話状態にならなかった。
ジムにも連絡してみたが、「受付には、まだ届いておりません」と言われた。
「でも、更衣室に入る前に一度使ったから、ジムに忘れてきたとしか考えられなくて」
「お前、ちゃんとロッカーの鍵は閉めたのか?」と訊ねる旦那を黙殺し、何か良い方法はないかと考えた。
すると、スマホにはGPSを使った、探索機能があることを思い出した。
ただ、やり方はわからないので、自宅に戻って調べなくてはならない。
「私、細かいことはちんぷんかんぷんだから、スマホの基本設定なんかは全然弄いじってなかったのね。でも、それが却ってよかったみたいで」
パソコンで探したマニュアル通りに旦那のスマホを操作すると、地図アプリの画面上に、智子さんの端末位置を表示することができた。
──だが、それを見て驚いた。
スマホの位置を示すマークが、まったく知らない民家に表示されていたのである。
しかも、スポーツジムからは、数百メートルも離れた場所だった。
「まさか、本当に盗まれたのか?」と、旦那が訝しげな声を出した。
確かに、GPSの誤差ではあり得ない距離である。
しかし、この情報だけで警察に相談する訳にもいかない。
「もしかしたら、警察に届けるつもりかもしれない」と、一晩だけ待つことにした。
翌日の日曜日、昼過ぎになっても状況に変化はなかった。
見知らぬ民家を表示したままのGPSを見詰め、〈このままじゃ、埒らちが明かないな〉と智子さんは見切りをつけた。
当然、旦那も同行してくれるという。
地図アプリの表示を追うと、さほど手間もかからず例の民家が見つかった。
これといった特徴のない二階建ての住宅で、表札には○○家と書かれている。
「だけど、勝手に他人のスマホを持ち帰る人の家でしょ?さすがに、ちょっと気が引けて。そしたら旦那が『俺が行くから』って、玄関まで近づいたのね」
〈おとなしい人だけど、こんなときは頼りになる〉と、智子さんは感心した。
だが、チャイムを押そうとする寸前に、旦那のスマホが鳴った。
驚いて画面を確かめると、スポーツジムからの電話だった。
繋ぐと「お客様のスマートフォンが、受付けに届いております」と係員が言う。
「……どういうことかしら?」
GPSは確実に民家を示しているが、ジムで見つかったというのであれば、そちらが正しいとしか考えられない。
首を傾げつつ、ひとまずジムへ行ってみることにした。
が──なぜか、智子さんのスマホを示すGPSマークが、ふたりの後をつけてきた。
振り返ってみるが、もちろん道路には何もない。
試しに立ち止まってみると、マークも止まる。
「意味がわからなくて。だって、私たちが○○って家に行ったことと、私のスマホの位置表示には関係がないでしょ?なのに、GPSのマークがついてくるのって……」
まるで、見えない何者かに後をつけられているようで、気味が悪くなった。
やがて、スポーツジムが視界に入ると、マークはふたりを追い越してしまった。
そして、ジムのエントランスと、マークが重なって──
「あっ、お客様、見つかりましたよ!」と、ジムのスタッフが出迎えてくれた。
その手には、智子さんのスマホが握られていたという。
その瞬間、GPSのマークと彼女のスマホが、ぴったりと重なったのである。
「ああいうのって、一体何なのかしら?偶然ってだけじゃ、説明がつかないように思えて。旦那は『もう少し遅かったら、知らない家に言い掛かりをつけるところだった』って言うんだけど……私は、ちょっと気味が悪いのよ。まるで、知らない誰かに、呼び込まれていたような気がして」
それ以来、○○という家には近づいておらず、真相も不明のままだという。