伏見稲荷大社の神隠し(京都市) | コワイハナシ47

伏見稲荷大社の神隠し(京都市)

京都・深草にある伏見稲荷大社は、全国に約三万社あるといわれる稲荷神社の総本宮。東山三十六峰の最南端に位置する稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。

圧巻の千本鳥居の美しさが世界中の観光客からも大人気の、超有名パワースポットである。と同時に、異界への入口でもある。

伏見稲荷大社は昼と夜で全く違う顔になる。昼間に見る色鮮やかな千本鳥居の幻想的な景色は、夜になるとこの世のものとは思えない、幻想〝怪奇〟な姿に変化する。

よく言われるのが「神隠しに遭う」というもの。確かに暗闇の中鳥居をくぐり続ける行為は、それだけでも異世界に放り込まれてしまった感覚になるのかもしれない。

実際に、前を歩いていた女性が消えた話や、山を降りてきた人が鳥居の隙間に入っていった話、いつのまにかはぐれてしまった友人が翌日になると家に帰っていて、伏見稲荷に行った記憶がなかった……などの体験談がある。

僕は京都で仕事があった日の夜、タクシーで伏見稲荷に向かった。

「お客さん、伏見稲荷には白蛇さんがいますよ」

タクシーの運転手が言う。狐ではなく白蛇?

「私ね、何回も行ってるんですけど一回だけ見たんですよ、白蛇さん。あんな縁起のええもんは一生に一度見れるか見れへんかですわ」

運転手は夕暮れ時に見たと言う。

「あとね、千本鳥居回る時は時計回りでっせ。〝の〟の字に回らなあきません」

何故時計回りの方が良いのか理由を聞いたが、とにかくそういうものらしい。

「私の従兄弟なんかね、三十五年間毎年欠かさず元旦にお参り行ってるんですよ、すごいでしょ。従兄弟、商売やってるんですけどね、この間潰れましたわ。それでも今年も参ってきたわって連絡ありましたけどね」

それだけお参りしてるのに倒産してしまうのか……。

伏見稲荷の主祭神は、ヤマタノオロチを退治したスサノオの子、ウカノミタマ(宇迦之御魂神)。国産みのイザナギとイザナミの間に生まれたオオゲツヒメと同体とされ、イザナギに殺された後に体から蚕や稲、大豆などが生まれたことから五穀豊穣の女神とされる。そして時代が進むにつれて、商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神としても信仰されるようになった。

ちなみに「お稲荷様」はウカミノタマを含む五穀豊穣を司る農作の神様の総称であり、狐の神様ではない。狐は「眷属」と呼ばれるお稲荷様の使いであり、稲荷神社は狐を祀っているわけではないのである。

そこで、運転手の言う白蛇だが、実は関係がありそうだ。

本来白蛇は弁財天の使いとして〝富をもたらすもの〟として有名なのだが、この弁財天と習合している神様がウガジン(宇賀神)である。その名前はウカノミタマに由来するとも、サンスクリット語で財産を意味する「ウガヤ」とも言われている。ウカノミタマの「ウカ」は宇賀とも書かれ、〝宇賀魂命〟(ウガタマノミコト)とも呼ばれるため、充分に関連はありそうだ。さらに蛇は豊穣と結び付けられることもあるのでウガジンも同じく穀物や豊穣の神であると思われる。

よって、お互い五穀豊穣の神の使いである狐と白蛇は、近い存在であるのかもしれない。

さて、そんな運転手のお陰で豆知識も手に入れつつ、真夜中の伏見稲荷大社を訪れる。

入口の大鳥居をくぐり、中に入ると、夜の境内はライトアップされ、圧倒的に荘厳な雰囲気が漂う。そして伏見稲荷のパワーが他とは違うなと思ったのは、相変わらず動画配信しながら進んで行くのだが、本殿にカメラを向けた途端に電波障害が発生する。電波状態が良好にもかかわらず、本殿は映像になかなか収めることができない。これは不思議だった。

本殿を通り過ぎ、千本鳥居に辿り着く。千本鳥居は入口が二手に分かれるのだが、タクシーの運転手が言っていた「〝の〟の字を書くように時計回り」を守るために左側から進む。千本鳥居を抜けると、奥社奉拝所(奥院)に到着する。多くの観光客はここで引き返すそうだが、この奥院からが本当の異界への入口である神域・稲荷山だ。奈良時代の七一一年に、稲荷神が降り立ったとされる稲荷山。ちなみにここからも千本鳥居とほぼ変わらぬ鳥居のトンネルが続く。

奥院から三つ辻までの道中、真夜中であるためその姿を確認することができなかったが、右手には「新池」という池があった。家出人や失踪者などの行方不明者を探している人が、この新池に向かって手を打つと、こだまが返ってきた方向に行方不明者の何らかの手掛かりが見つかるという、不思議な池だ。

三つ辻の看板を見つけ、四つ辻の看板も見つけ、少し休憩する。四つ辻から見える京都の夜景はプラネタリウムが逆さまになっているようでとても神秘的だった。

四つ辻からさらに稲荷山の頂上である一ノ峰を目指して歩き出した時、少し前に青い服を着た男の人が歩いているのが見えた。自分以外にも真夜中の稲荷山参拝の方が居たんだなと、少し安心したところ、男の人はスッと鳥居と鳥居の隙間に入っていった。あれ、あの隙間に脇道でもあるのかなと、男の人が視界から消えた位置まで来てみると、そこにあったのは祠だった。もちろん、行き止まりである。

「あ、これが神隠しか」

目の前で男の人が消えた。確実に消えた。

神隠しとは本来生きている人間が忽然と姿を消す現象を指す。

僕が見た青い服の男の人は生きている人間だったのだろうか。それとも……。

なかなか巷で言われているような幽霊というのは見れないものだ。ここまで来ると、「怖い」や「恐ろしい」よりも「会いたい」という感情の方が強くなる。

不思議なこと、不可解なこと、それらにより多く遭遇した方がきっと人生は楽しい。もちろん、死ななければの話だが。

これからも異界巡りはまだまだ続く。

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