魂の荷重津波の跡(宮城県仙台市若林区荒浜) | コワイハナシ47

魂の荷重津波の跡(宮城県仙台市若林区荒浜)

仙台で内装施工会社に勤務している高橋正さんは、二〇一一年四月のその日、市内で愛用のトラックを運転していた。

白いマツダのボンゴトラック850が高橋さんの相棒だ。

彼は会社で資材の管理を担当していて、中型の貨物自動車を二〇年以上運転してきたが、このボンゴトラックとは特に付き合いが長い。車両感覚は完璧で、幅一六〇センチ・長さ二四七センチの荷台の隅々まで、体の一部のように感じられる。三・一一の震災後、ガソリン不足のため約一ヶ月間も自宅待機を申しつけられていた。ようやく仕事を再開できることになってハンドルを握った次第で、出発したときは解放感に浮き立つような気分だった。

しかし、しばらくすると、みるみる心が沈んでしまった。

彼の自宅と会社は仙台市内でも地震や津波による被害が少なかった場所にあり、住まいも社屋も無事だったのだが。

──ここまで悲惨な状況になっている所が同じ市内にあったとは!

被害が著しい地域は一面、瓦礫だらけで、街の原型をとどめていなかった。

彼は長年、仙台市を中心に宮城県内の工事現場を日に幾つも受け持って、資材を届けたり注文を受けたりしてきた。仙台の街は我が家の庭も同然で、震災前のようすをつぶさに思い出すことができる。塵芥がうずたかく積もったあの辺りには商店街があった、あそこは更地になっているが元は公園だった……等々。

目の前に広がる惨状と失われた景色が二重映しになって見えて、切なかった。

やりきれない気持ちで工事現場を回っていたが、そのうち、ふと、あることが気になってきた。

──荒浜は、今、どうなっているのだろう?

深沼海水浴場を擁する若林区の荒浜は、彼が物心がついた頃から夏になるたび訪れてきた海辺の集落だ。最初は両親に連れられて。少年時代は友だちとバスに乗って。結婚してからは妻や子どもたちと。

小ぢんまりした飲食店や土産物屋が肩を並べ、「氷」の旗がひらめく通りを下っていくと、原色のパラソルが花咲く砂浜と青い海が見えてくる。波間を滑るウィンドサーフィンの帆。日焼けした肌。笑顔の人々。

半生分の夏の記憶を反芻するにつれ、あの海水浴場と海沿いの小さな集落が、幸福の象徴であるかのように思えてきた。

──どうか無事であってくれ!

彼は祈るような気持ちで、荒浜の方へトラックのハンドルを切った。

やがて、ここが荒浜集落の入口に違いないと思う……にわかには信じがたいが、地理的にそう思わざるをえない場所に辿りついた。

前方に自衛隊のゲートを認めて、宮城県知事の捺印のある《緊急工事車両証明書》をフロントガラスの内側に立てかけた。ここまでに市内で似たようなゲートをいくつか通過してきて、これがないと被災地のゲートを通してもらえないことは学んでいた。

関所のようなものだと高橋さんは考えた。荒浜へは仕事の用で来たわけではないが、「緊急工事車両」のボンゴトラックは怪しまれないだろう。また、いざとなれば煙草が効力を発揮するはずだ。震災前にたまたま紙巻き煙草をカートンで買い置きしていたのは好運だった。

果たして、あっさりと通行が許可された。窓を開けてサインをするついでに、高橋さんは自衛官に訊ねた。

「ここは荒浜ですよね? 深沼海水浴場のある?」

「そうですよ。若林区荒浜です。海岸には近づけませんよ。危険ですから」

うずたかく積まれた瓦礫の間に、車がすれちがえる幅の道が作られていた。泥と倒木、石と廃材の谷間が、緩く傾斜している。ここは海水浴場へ向かう坂の上なのだ。傾斜の角度に見覚えがあるような気がした。しかし、こんな道ではなかった。

集落の家並みを探して、高橋さんは視線をさまよわせた。ゲートで窓を開けたとき流れ込んだ悪臭が、窓を閉めてもまだ車内に漂っている。魚介類が腐ったような臭いだ。

そのとき、荷台に何かが乗った。

少しでも荷重がかかれば即座にわかる。ボンゴトラックの荷台は、彼にとっては掌と同じだ。鼠一匹だって感じられる自信があったが、今、飛び乗ったのは鼠なんてものじゃない。人間ぐらいの大きさと重さをそなえた何かだ。

車を停めて、リアウィンドウから荷台を見おろした。キャビンの中から、ほとんど死角なく荷台のようすを確認できるのがボンゴトラックの特徴だ。

──荷台には何も見当たらず、虚ろな矩形を空に向けて開いているだけだった。

けれども、その直後に、また何かがボンッと乗ってきた。そしてさらにまたボンボンと荷重が加わった。

積荷で荷台がいっぱいになったことを感じたが、やはり目には何も見えない。降りて荷重の正体を確かめたいと思った。しかし後ろから工事車両が来てしまった。

そこで再びトラックを発進させて、駐車スペースを探しながら、瓦礫の中を縫っていった。

やがて行く手に見覚えのある小学校が現れた。原型を留めた鉄筋コンクリート四階建ての校舎が、荒野で唯一の希望のように光って見えた。だが本来あるべき子どもたちの姿はなく、自衛隊、警察署、消防署の各車両が何台も校庭に駐車されていた。

厳つい自衛隊車両と大きな消防車の間に停めると、高橋さんのボンゴトラックは急に頼りなく見えた。

「どうされました?」

運転席から降りようとしたとき、後ろから声を掛けられた。振り返ったら、二人組の自衛官が彼を注視しながら大股に歩いてくるところだった。

高橋さんは煙草の箱を彼らに差し出した。

「ちょっと車を点検しようと思いまして。おひとつ、いかがですか?」

「や。ありがたいな。手に入らなくて参っていたところです。頂戴いたします」

自衛官はどちらも高橋さんより少し年輩に見えた。四〇代後半か五〇代といったところで、二人とも苦労が刻まれた風貌をしている。

「旨いですなぁ。久しぶりだから余計に。ところで、故障ですか?」

「いいえ。違うと思います」

「では、なぜ? こんなところで何をされていたんですか?」

自衛官たちは鍛えあげられた体格で目つきも鋭く、そばに立たれると圧を感じた。高橋さんは緊張してしまい、うまく言い訳することをあきらめた。

「正直に話します。仕事の合間に荒浜を見にきました。子どもの頃から大好きな場所だったんです。ですが、ゲートを通り抜けてから、急に荷重が掛かりはじめました。でも、ご覧のとおり、荷台には何も乗っていなくて……」

自衛官たちが互いに顔を見合わせたので、彼は焦って早口で付け足した。

「頭が変だと思われるかもしれませんが、嘘じゃありません!」

てっきり馬鹿にされるかと思ったのだが、なぜか自衛官たちは表情を和ませた。そして口々にこんなことを言った。

「わかりました。避難所に行けばきっと荷重が取れますよ。我々も、警察や消防の人たちも、あなたと同じような体験をしています。津波の犠牲になった方たちが乗っていらっしゃるから、避難所に送ってさしあげてください」

「さっきのゲートから内陸の方に向かうと、五〇〇メートル先に一ヶ所、そしてそこからさらに一〇〇メートル先に一ヶ所、合計二ヶ所の避難所に分かれて、荒浜に住んでいた皆さんが集まっています。荷台の方々を、そこに連れていってあげてください」

「避難所に着いたら、線香をあげる代わりに、煙草を一服するといいかもしれません」

言われたとおりに道を戻り、まず一つ目の避難所を訪れた。建物の前でトラックを降りて煙草に火を点けた。一本吸い終わると再び運転席に乗り込み、エンジンをかけた。アクセルを踏み込むと、すぐに違いに気がついた。

──荷台が軽くなっている!

バックミラーに避難所の人々が映っていた。挨拶もせず来てしまったが、彼らは生き延びた荒浜の住民なのだと、あらためて思った。

あの中には、亡くなった方たちの御遺族もいるはずだ。

「みんな、家族に会いたいよなぁ」

独り言をつぶやいたつもりはなかった。

「そうだよな。わかるよ」

前を向いて運転しながら、荷台まで届くように大きな声で語りかけた。

「僕もまた荒浜に遊びに行きたいよ! 海水浴場にカミサンと子どもを連れていきたい! なあ、みんな、家族のところに帰りたいよな!」

二つ目の避難所で全員が降りたとわかった。そして彼は、空になった荷台を感じながら帰途についた。

【仙台市の死者・行方不明者は二一日現在、八六九人。荒浜地区での犠牲者は約一八〇人に上るという。遺体の大半は、県道塩釜亘理線沿いの荒浜新一、二丁目や海岸ではなく、荒浜西部の南長沼周辺や東部を流れる貞山堀で見つかった。二〇一一年五月二二日河北新報】

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