釣り怪談(神奈川県横浜市鶴見区生麦) | コワイハナシ47

釣り怪談(神奈川県横浜市鶴見区生麦)

外人墓地、元町、馬車道、中華街、山下公園、赤レンガ倉庫、みなとみらい……。港町・横浜を彩るイメージはさまざまあるが、魚河岸の存在はあまり知られていない。

神奈川県横浜市の鶴見区には、生麦魚河岸(鶴見市場)がある。かつてここには江戸幕府から漁業権を認められた漁場があり、生麦は海辺の漁師町として栄えた。しかし近代に入ると埋め立て地が造成されはじめ、いつしか現在のような工場地帯に変わった。

鶴見区の公式ホームページによれば、生麦の漁業に終止符が打たれたのは一九七一年(昭和四六年)だそうだ。

鈴木哲也さんは、ちょうどこの年に生まれた。彼の家は代々、生麦の浜で漁業を営んできており、親族のほぼ全員が水産業に従事していた。彼の祖父も父も漁師だった。

鶴見区の公式発表には「終止符が……」と書かれているが、当時、鈴木さんをはじめとした生麦うまれの少年たちの多くが某水産高校に進学したところを見ると、漁師町の人々はその後もしばらくは漁業をあきらめず、新しい漁師の在り方を模索する気運もあったのではないかと推察する。

しかしながら、鈴木さんと同じ高校に通った生麦の仲間たち──渡辺さんと小林さんとしておく──は一八歳から二〇代前半の頃、地元で暇を持て余すことになった。

船舶免許を取得し、漁業の知識も学んだが、肝心の海は消えかけ、家業は廃業寸前だったのだ。そこで彼らは鶴見市場の手伝いや適当なアルバイトで食いつなぎながら、消えゆく海を惜しむかのように長い時間を釣りについやした。

鶴見区を流れる鶴見川の河口付近から工場地帯を縦横に走る水路に入り、あるときは工場の配管に隠れて、またあるときは河口近くの堤防から、釣り糸を垂らすのである。

鈴木家の倉庫に眠っていた三人乗りのアルミボートに船外機を取りつけて、水で繋がったあらゆる場所を探検した。アルミボートは最大幅一一七センチとスリムで、小回りが利く。工場敷地内の水路に不法侵入したこともあるそうだが、すでに時効だろう。

ある夜、鈴木さんたちは横浜ベイブリッジの少し手前でアルミボートを停めた。船尾で舵を操っていた鈴木さんがアンカーを下ろす。まだしっかり碇が固定されないうちに、渡辺さんと小林さんは待ちかねたようにルアーを海に放り投げた。

すぐに鈴木さんもいそいそと竿を手に取ったのだが、そのとき。

「鈴木、ちょっと待って! 釣り竿を置いて!」

渡辺さんが大声で彼を止めた。「なんだよ?」と鈴木さんが振り向くと、渡辺さんは引き攣つった顔でボートの舷側から真下の水面を覗き込んでいた。

「……見てる」

「え?」

「顔が見てる! 誰かが水の中から俺のこと見てる! 急いで船を出して!」

渡辺さんが怯え切っているので、その夜は釣りをあきらめて引き返した。

それからしばらくして、再び三人は夜釣りに出た。先日、渡辺さんが顔を目撃した辺りに差し掛かると、船外機が異音を立てはじめた。

「ありゃ、フィン(プロペラ)に藻が絡まっちゃったかな。外すから停めるわ!」

鈴木さんは二人に声をかけてエンジンを切り、アンカーを下ろした。そして船外機を持ちあげてフィンを覗き込み、

「うっわ! キモ! 人間の髪じゃん!」

と、叫んでのけぞった。絡まっていたのは長い黒髪だったのだ。

「キッモ! でも、船外機、捨ててくわけにいかないし……。渡辺、俺が船外機を抱えてるから、髪の毛を取り除けて。お願い!」

「え? 俺? こないだ顔を見たの俺なんだけど。もうやだぁ!」

しかし鈴木さんに近い方に座っていたのは渡辺さんで、狭いアルミボートの上で小林さんと場所を交替するのは容易ではなかった。

「げぇ、長い毛がゴッソリ絡まってるよ。鈴木ぃ、もっと上に持ちあげて!」

鈴木さんは「オッケー」と軽く答えて、船外機を思い切り高く掲げた。大量の長い髪が引き揚げられて、

「…………!!」

ついでに人間の頭がぶらさがってついてきた。水膨れした顔と対面するはめになった渡辺さんが声にならない悲鳴をあげ、鈴木さんはわめきながら船外機を振り回した。

「離れろぉ!」

その勢いで頭は宙を飛んで海にドボンと落ちた。フィンの髪の毛もだいたい外れた。

三人は泡を喰って逃げかえり、騒ぎを聞いて出てきた鈴木さんの祖母に一部始終を話した。彼女は生まれも育ちも生麦の漁師町の人で、古いしきたりをよく知っていた。

「あんたたち三人で、酒と塩を持って、そこに行って撒いてこい!」

「今から? ばあちゃん、もう夜中だよ。怖いよ。本物の死体の頭だったんだぜ?」

「漁師がそんなだらしないことでどうするんだ! すぐに行ってこい!」

命令に従って三人はすごすごと海に戻った。さっき生首を拾った辺りにアルミボートを停めて、鈴木家の台所から持ってきた塩と日本酒を海面に撒いた。

鈴木さんの祖母によれば、彼らが釣りをしていたベイブリッジの辺りは、潮の流れの関係で、昔から死体が流れ着きやすい場所だという。また、ベイブリッジから投身自殺した人のご遺体は、ほとんど発見されないとする説もある。

このときの頭の主に取り憑かれたのか、それとも単にうっかりものだったのか。渡辺さんは、その後、よく海に落ちるようになったのだという。

こんなこともあった。

これも夜のことだ。三人はこのときはボートではなく、橋のたもとの川堤から鶴見川に釣り糸を垂らしていた。河口に近いから川幅はゆったりと広い。彼らが座っているのは、川沿いの遊歩道の外側だった。遊歩道の端に設けられた塀から飛び降りるか、近くに架かる橋のたもとから階段を下りていくか、さもなければボートを接岸して上るしかない、狭い通路。そこで夜釣りを楽しんでいたのである。

三人は適度な間隔をあけて座り、のんびりと魚を釣っていた。そのうち小林さんが小用のために近くのコンビニへ行った。橋のたもとから上がっていって、一〇分ぐらいで戻ってきたのだが、なぜかすぐに下りてこない。

「そんなところで何やってんの? 戻ってこいよ!」

「いや、ヤバいわ、そこ! 場所を変えよう! 俺の道具、持ってきて!」

「ハア? こんなによく釣れてるのに?」

「いいから早く! とりあえず、こっちに来たらわかるから、来てみ!」

鈴木さんは仕方なく、小林さんと自分の釣り道具を持って、橋のたもとに上がっていった。

「鈴木も振り返ってみな。なぁ? ヤバいだろぉ?」

そう言われてさっきまでいた通路を見下ろし、鈴木さんは総毛だった。

「ヒエッ! 渡辺ぇ! むしろおまえがいちばんマジでヤバい! 逃げろ!」

鈴木さんの目には、渡辺さんの背後に若い女性が佇んでいるのが見えたのである。

まだ一七、八の少女かもしれない、ほっそりした女性だ。それが、渡辺さんの方を向いて立っていた。……しかし鈴木さんは、たった今、彼の後ろを通ってきたばかりなのだった。つまり、あの女性の身体を通り抜けて……。

「げげっ! 俺、大丈夫かなぁ。渡辺も早く逃げろってば! 後ろ、後ろっ!」

「え? 後ろ?」と渡辺さんは振り返ったが、「なんにもいないよ?」と言った。

そこであらためて鈴木さんと小林さんは震えあがった。

「マジもんの幽霊じゃんか! 渡辺、おまえはもう駄目かもしんない……」

「幽霊? ここにいるの? 信じらんないなぁ」

ぶつぶつと文句を垂れながら、ようやく渡辺さんがやってきた。「なんだよ!」と元いた場所を振り向いたかと思うと、後ろにのけぞって倒れそうになる。踏みとどまって小林さんにしがみつき、「早く言え!」と怒った。

「友だち甲斐のないヤツだ! ……ねえ、ずっと俺の後ろにアレがいたの?」

「うん。戻ってきたら、立ってるのが見えた。鈴木はあの人の中を通り抜けたよ」

「やっぱり……」

女性の姿をしたものは、彼らが会話している間もずっと川べりの通路に佇んでいた。

一ヶ月ぐらいして、たまたま鈴木さんたちはその近くを通りかかった。朝の六時頃で、通路には他に人影もなかったので、遠くからでもそこに三人の人物がいることがわかった。立ったりしゃがみこんだりして何かしている。

喪服を着た両親とその娘のようだ、と、近づくにつれて明らかになった。

中年の夫婦と十五、六歳の少女が揃って黒衣に身を包んで、川の流れを眺めていた。

そして、このあいだ渡辺さんが座っていたあたりに、供えられたばかりの茶碗飯と菊の花束があった。

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