いないはずの同居人(東京都) | コワイハナシ47

いないはずの同居人(東京都)

警察官のAさんが東京郊外の交番へ赴任したのは、今から二十年ほど前のこと。

担当する地域には大きな幹線道路がないため大きな建物などもなく、空き地や畑などが点在する典型的な住宅街だった。

土地勘のない場所ということもあり、Aさんは赴任するとすぐ、巡回連絡カードを手に地域の巡回をはじめた。

巡回連絡カードというのは担当する地域の家を訪問しては、そこに住んでいる人の名前や仕事、人数、家族構成などを確認し書き込んだもので、犯罪の抑止はもちろん、火災や地震などの災害時には安否確認のための資料にもなる。加えて新任のAさんにとっては、地域を知る一番の近道だった。

その日Aさんが巡回したのは、未だ畑が多く残っている場所で、そこには一軒の大きな屋敷があった。周囲を生け垣に囲まれ、冠かぶ木き門もんの向こうには手入れの行き届いた広い庭。その奥には黒い瓦屋根に抱かれた立派な母屋が見える。

前任者の残した巡回連絡カードを見るとそこには「アパートの大家」と書かれている。どうやらこの家の住人は、このあたりの大地主なのだろう。

Aさんは、玄関の引き戸の開けると、

「すみませ~ん、○○署ですが、どなたかいらっしゃいますか~」

と声を掛けた。すると少し間を置いてから、

「はい、ご苦労様です。居間におりますので中へお入りください」

と年配の男性の声が帰って来た。

Aさんは一瞬入ることをためらったが、聞くと男性は目が悪いため、家の中でもあまり自由に身動きが取れないのだという。

それならばと玄関をあがり、廊下を声のする方へ進んでいく。すると、縁側の十畳ほどの和室にたどり着いた。

「ご足労をおかけして、すみません」

薄暗い部屋の真ん中で、襟えり付きのシャツに黒い薄手のカーディガンを羽は織おった老人が椅子に座って待っていた。すっと伸びた背筋と落ち着いた表情に気品を感じる。

「なにぶん目がこんな状態ですので、一日中ここにおるんですよ」

そう言うと老人は、Aさんの方に向かって、お座りくださいと手を差し出した。

「……あの、失礼ですが、このお屋敷におひとりで住んでらっしゃるんですか?」

「ええ、家内に先立たれてからは、ずっとひとりでしてね」

それを聞いたAさんは不安になった。目が悪く、自由に身動きの取れない老人のひとり暮らし。犯罪や火事も当然だが、それ以前に日々の生活に支障はないのだろうか?

「あのぅ、普段の生活とかでご不便はないですか?」

心配して訪ねるAさんに、老人は

「おかげさまで、お世話をしてくれる店子さんがいるので、不自由はありませんよ」

と答えた。

三十分ほど掛けて、ひとしきりの質問を終えたAさんは「では失礼します」と腰を上げた。

その気配に合わせるように老人は、廊下へ向かって

「おーい、井上さん。お巡りさんがお帰りですよ~」

と声をかけた。するとすぐ側の廊下の影から、

「すみませんね、お構いもできませんで……」

と中年女性の声がした。

(なるほど、定期的にヘルパーさんが来ているのか……)

Aさんはひと安心すると部屋を出た。折角なので、井上さんにもいくつか話を聞いておこうと廊下に出てあたりを見渡したが、今声がしたはずの廊下には誰もいなかった。

後日Aさんは、老人の家の近所にあるアパートへ立ち寄った。ここは老人の持っているアパートのひとつだ。不在者が多く困っていると、何軒目かの部屋から中年男性が顔を覗かせた。男性はこのアパートにもう十年以上も住んでいて、老人の家にも頻繁に出入りしていると言う。

「ほら、大家さんって目が悪いでしょ。だから二日、三日に一度顔を出しては、買い物へ行ったり、弁当を買ってきたりしてるんだよ。仕事が無ければ毎日行くんだけどさ……」

どうやら、彼が老人の言っていた店子らしい。

「そうですか。でもその間はヘルパーさんもいるようですし、安心しました」

Aさんがそういうと、男性は怪訝そうな表情で、

「えー? ヘルパー? そんなのあの家に来てないよ」

「でも先日伺った時、あの方、廊下に向かって〝井上さん〟と声を掛けてましたよ」

井上という名前を聞いて男性は、思わず吹き出すと

「あはははは! そりゃあの家の猫の名前だよ。これぐらいの小さな茶虎でさ、俺がここに来るずっと前からいるんだよ……でも井上って猫にしては変な名前だよな」

Aさんはその後、他のアパートの住人や近所の人にも井上さんのことを訪ねた。しかし、みな口を揃えたようにそれは飼っている『猫』の名前だと答えた。

現在、家のあった場所には、立派なマンションが建っている。

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