湖畔の女(富山県砺波市庄川町) | コワイハナシ47

湖畔の女(富山県砺波市庄川町)

一九八三年(昭和五八年)頃の夏、土建会社に勤務していた佐藤守さんは、その日、山岳道路の補修工事を準備するため、富山県の山中を訪れていた。工事現場の下見がてら、山麓の村で関係者と話し合いの席を設けたのだが、予想外に相談が込み入ってしまい、村を後にするときは夜の十一時を回っていた。

佐藤さんは自家用車に乗ってきていた。村の人々からは、この近辺は霧が出やすくて危ないから泊まっていけと強く勧められた。しかし、翌日は午前一〇時には富山市内の支所に出勤しなければならなかったので固辞するしかなかった。

富山県の支所に異動してきたのはつい最近で、この辺りの土地勘はまったくない。幸い、村人はああ言っていたけれど、霧は出ておらず視界はクリアだった。しかし来たときと同じ道を慎重に辿り、安全運転を心掛けた。こんな山奥で、道を間違えたり事故を起こしたりしたら大変だからだ。

やがて道路は湖畔にさしかかった。行きにも通った小こ牧まきダムの湖岸の道だ。この湖の一帯は庄しょう川がわ峡きょうと呼ばれる景勝地だそうで、今日の昼間に来たときは湖のほとりを散策する観光客も多く、遊覧船がエメラルド色の湖水にさざ波を立てていた。

今は人っ子ひとりいない。堤の下は暗闇に沈み、湖は黒々とした巨大な穴のように見えた。道路の端から落ちたら命がないのは当然、湖から地獄に直行しそうだ。実に不気味な景色で、佐藤さんはゾッとした。

と、そのとき、白い霧がどこからともなく漂ってきたかと思ったら、あっという間に彼の車を押し包んだ。

──村の人たちが言っていたのはこのことか! まさかこんなにも濃い霧だとは!

ハイビームにしたヘッドライトを霧が反射して何も見えない。ロービームに切り替えてみたら、道路の中央線が照らし出された。この線を頼りに行くしかない。

冷静に、と自分に言い聞かせた。しかし早く帰りたいものだ……と、半ば無意識に時計を確認して、目を疑った。午前一時。村を出てから二時間近く経過していた。往路では、富山市の中心地からさっきの村まで、およそ一時間半の道のりだったのに。

こめかみの奥がズキズキと痛みはじめた。めったに頭痛になどならないが、神経が逆立っているせいだろう。町の灯りを見て安心したら治まるはずだ……。

頭痛をこらえながら、路面にペイントされた中央線を見つめてひたすら進んだ。

すると突然、霧の中から何かが飛び出してきて車の真ん前で倒れ伏した。佐藤さんは驚愕し、咄嗟にブレーキを踏んだ。

動悸がおさまるまで、少しの間、ハンドルを握ってじっとしていた。今のは何だ? フロントノーズに隠れて見えないが、車の前に何かが倒れていることは間違いない。動物だろうか? 幸い轢いてはいないと思うが、どかさなければ車を動かせない。

意を決して外に出ると、途端に、真っ白な女性のふくらはぎが目に飛び込んだ。

「あっ、大丈夫ですか!」

急いで駆け寄ってみれば、長い黒髪の女性がうつぶせに倒れていた。白っぽい夏向きのワンピースが濡れそぼって体に張りついている。靴を履いておらず、一見したところ外傷はないが、尋常なようすではない。

──湖に落ちたのかな? 自殺未遂?

肩を揺すっても反応がなく、抱きかかえて仰向けにしても、目を閉じたままぐったりしている。救急車を呼びたかったが、近くに公衆電話は見当たらず、周囲に民家や宿泊施設があるのかどうかもわからない。しかし、見れば歳の頃は二六、七の美しい女性で、ご家族がさぞや心配していることだろうと彼は思った。

そこで、その女性を後部座席に寝かせて、市内の病院を目指すことにしたのである。

それからどれほど走っただろうか……。激しい頭痛に悩まされながら一心に中央線を辿って運転していると、急に霧が晴れて視界が開けた。

街灯と信号機が見え、広い道路が左右に伸びていた。往路で確認した覚えがある県道の標識が目の前に立っている。信号はちょうど赤に変わるところだった。彼は車を停止させ、「もうすぐ病院に着きますよ」と話しかけながら後部座席を振り向いた。

──えっ?

女性の姿が見当たらない。慌てて後部座席の下も覗き込んでみたが、そこにも無かった。ドアは開閉していない。なのにどうして……。

抱えあげたときに感じた重さを、彼はまざまざと思い出した。あれだけのボリュームがあるものが、消えるわけがない。しかし、消えた。

路肩に停車して、持っていた煙草を取り出した。線香のように煙草が魔を祓ってくれることを期待したのだ。震える手で火を点け、運転席で吸いはじめると、みるみる頭痛が治まった。

気分が落ち着いたところで、あらためて後部座席を点検してみた。クロス張りのシートが黒ずんでいることに気づいて触ってみると、軽く指先で凹ませただけで水が滲み出た。

翌日、佐藤さんは昼休みに自宅近くの警察署を訪れた。

彼は、前に住んでいた地域で、警察が組織する市民ボランティア・グループで活動していた。そして富山に引っ越すと、すぐにこちらの警察署でもボランティアに登録しようとしたのだが、以前の経験を買われて、参加すると同時にグループのリーダーに抜擢された。お陰でボランティア・グループを担当している交通課の警察官の某なにがしとは、短期間に何度も顔を合わせており、すでに気軽に会話ができる仲になっていた。

某を呼び出してもらって、警察署の相談室で昨夜の珍事を報告した。信じてもらえないだろうと思い、「馬鹿みたいな話だから、笑ってくれてもかまわないですよ」と前置きして打ち明けたが、某は最初から終わりまで真剣に佐藤さんの話に耳を傾けた。

「……家に着いたのは二時過ぎでした。妻が起きてきて、私のようすがおかしいことに気がついたらしく、『何かいけないものを見たんでしょう?』と言いました。あの女性はいったい何だったのか……」

「二六、七の髪の長い女性で、夏用のワンピースを着ていたんですよね? だったら、私は佐藤さんの話を信じますよ! なぜかというと、小牧ダムの湖畔をドライブしていたカップルが車ごと湖に転落して、男性は車から投げ出されて助かったけれど、女性の方はご遺体も発見できないまま……という事件があって、その女性の年齢や容姿が、ちょうどそんなふうでしたから。彼女は見つけてほしくて、姿を現したんじゃないかなぁ。我々もずいぶん捜索したんですが、どうしてもご遺体が見つからなくて、そのままになってしまいましたから」

佐藤さんは、その後、何度か仕事で同じ道を通ったが、女性を拾ったと思われる場所を通るたびに、頭痛に襲われたり、怪しい呻き声を耳にしたりしたのだという。

また、なぜかこの頃から、「自分は六五歳で死ぬ」と彼は家族に言うようになった。

ずっと誰も本気にしなかったが、佐藤さんが六三歳のときに撮った集合写真で、彼だけ全身が半透明に透けて写っていたので、みんな怖がるようになった。

しかし、その写真を見ても本人は恐れるようすもなく、「六五まで生きていられたら充分だ」と話していたそうだ。

そして翌年、六四歳のときに交通事故に遭って昏睡状態に陥り、自分で予言していた通り、本当に六五歳で他界してしまった。

以上の話を、私は故人となった佐藤守さんのご長男から伺った。今年(二〇一八年)でお父さんの二七回忌を迎えるということだ。

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