沖縄県の恩納村は、海、山、川、湧水に恵まれた土地を活かして、古くから稲作を行っていた。そのため琉球王国の中でも有力な集落のひとつとなり、一七二六年(享保一一年)には尚敬王が家臣を率いて訪れた。
村人たちは、王を随一の景勝地に招いて歓待の宴を開いた。
恩納村の人々が王を迎えたその場所は、海を望む広い台地だった。ダイナミックな奇岩・巨岩が目を惹く崖の荒々しさと、瑞々しい緑の草原、果てしない海原。まさに絶景であり、王は深く感じ入った。そして、この地を「万座毛」と名づけた。万人を座らせることができる草原という意味だそうだ。
王を歓迎した村人の中に、恩納ナビー(別表記・恩納なべ)という農家の女性がいた。ナビ─は琉歌の名手として知られていた。琉歌とは長い歴史を持つ沖縄の定型詩で、和歌と似ているが、歌唱することを前提にしている点が異なる。
恩納ナビ─が尚敬王の前で唄った琉歌は、
「波の声もとまれ 風の声もとまれ 首里天がなし 美御機拝ま」
というもので、万座毛にはこれを刻んだ石碑がある。
あと一〇年足らずで王の行幸から三〇〇年が経つ今日でも、万座毛の岸壁は雄大な景観を誇り、ナビ─が波や風に呼びかけた東シナ海はどこまでも青い。
一九八二年の夏、恩納村に、周囲の風景になじまない、一種独特の雰囲気を纏った男女の集団が現れた。なかにはTシャツを着ている者もいて、カジュアルな服装の者が多いのだが、土地の人々とは着こなしが違う。つい、「都会的な」という手垢のついた形容を使いたくなるが、実際、彼らは東京都から来たのだった。
総勢、約一五名。そんな大所帯のグループがこの村を訪れることは、まだ当時は珍しかった。……工事関係者は別だが。沖縄返還一〇周年のこの年、海沿いで大型のリゾートホテルが建設されていた。来春の竣工を目指して工事の真っ只中であった。
すでに航空各社が沖縄路線を開通させてはいたが、全国的な沖縄ブームはまだ訪れていなかった。沖縄を日本屈指のリゾート地にする、そんな使命を帯びて集められたのが件の人々だった。
彼らはコマーシャル制作のプロ集団と関係者で、恩納村に建設中の大型リゾートホテルの宣伝広告物を大手広告代理店が手掛けることになり、キャンペーンのメインとなるテレビ・コマーシャルを撮影するために来たのだ。
今でこそ沖縄本島の海岸沿いには多くのリゾートホテルが建ち並ぶが、八二年には大型ホテルは恩納村やその付近にはまだ一軒も開業していなかった。
全員で泊まれるホテルや旅館が無かったため、滞在するにあたって、彼らは四つの宿泊施設に分かれた。
コマーシャル制作班は最も人数が多く、一〇人もいたので、広い民宿を借り切った。
民宿は平屋造りで、客室が六つ、横一列に並んでいた。モデルの女性以外は二人一室で部屋を割り振ると、ちょうど満室になった。食堂と大浴場は共同で使う。宿泊予定は三泊四日。場所は万座毛のすぐ近く。
プロデューサーの小松さんは、ディレクターの阿部さんと一緒に右端の部屋を使うことになった。昼過ぎに到着して、部屋に通されるとすぐ、縁側から海辺の景色を見渡せることに気がついた。慌ただしいスケジュールを忘れてしまいそうになる、たいへん魅力的な眺めだ。
見ていると、光る空を背にした崖の上から、黒い人影が一人、また一人と海に飛び込んでいく。村の少年たちだろうか? たいした勇気だ。
「沖縄の若者はさすがだなぁ!」
小松さんは、大自然に育まれた人々の野性味に触れた気がした。また、素晴らしい眺望にも感動した。
そこで、ロケを終えて宿に戻ってくると、さっそく再び縁側に出てみた。
すると、月明かりに照らされた崖の先端から人影が飛び降りたではないか!
「凄いな! こっちの人たちは、こんなに夜遅くまで飛び込みをするものなのか……」
それが深夜一一時頃で、この後すぐに彼と阿部さんは床に就いた。
眠っていると、突然、小松さんは胸に重石を乗せられたような息苦しさを感じた。
ところが意識が覚醒したのに、全身どこも動かせない。小さな箱に閉じ込められているような感じがした。初めは目すら開けられなかった。これは脳のう溢いっ血けつか何かの症状で、もしやこのまま死んでしまうのでは? 誰か助けてくれ!
出口を求めて箱の壁を叩きまくる。そんなイメージで、身動きひとつ出来ないまま、小松さんは意識だけでしばらく足掻いた。
大汗をかいて奮闘するうち、ふと首から上の圧迫が解けて目が開き、喉に溜まっていた唸り声が飛び出した。
「うぐぅ」
ディレクターの阿部さんが気づいてくれたら……。しかし舌が動かず、唸ることしかできなかった。小松さんは獣のように唸りながら、阿部さんの方を向いた。
「……?」
初めは理解できなかった。横を向いたら、目の前に丸みを帯びたものが二つ、同じ布地に包まれていて──。
女の人の膝だ。唸り声を聞いて女将さんが駆けつけてくれたのか、そう思って安心したのもつかの間、次の瞬間、女性の横に小さな子どもが裸足はだしで立っていることに気がついた。
「うううっ! ううううっ!」
畳を踏んで立つその足の、爪の一つ一つまで確かに見えた。二つか三つの幼児だ。
それに、この女性が穿いているのは、今どき滅多に見かけないモンペだ……。
恐ろしさのあまり、小松さんは目を閉じた。途端に、体が軽くなった。
「たっ、助けてくれぇ!」
「小松さん! どうしたんですか!」
阿部さんが飛び起きて、部屋の灯りを点けた。
「わぁ! 大丈夫ですか? 凄い汗をかいてますよ」
「み、水……」
「わかりました。起きられますか? とりあえず、これで汗を拭いてください」
手渡されたバスタオルで汗をぬぐいながら、小松さんはおっかなびっくり室内を見回した。
「戦時中みたいなモンペを穿いた女の人と、裸足の子どもがいたんだよ。阿部ちゃんと僕の布団の間にさ……。体が全然動かせなくなって息も苦しいし、もう死んじゃうんじゃないかと思って……。やぁ、本当に怖かったよ!」
「きっと夢でも見たんですよ。寝てるときに動けなくなるのは金縛りって言って、疲れているとなりやすいそうですよ。早く休みましょう」
そう言われると、寝ぼけて夢を見ただけだという気がしてきた。
「そうだな。……まだ一二時か! ごめんね。寝入り端に起こしちゃって」
小松さんと阿部さんは、灯りを消して再び布団に入り、すぐに眠ってしまった。
──熟睡しかかっていたところを、凄まじい絶叫に叩き起こされた。
「隣の部屋だ。……モシモシ、どうされましたかぁ?」
阿部さんが壁を叩いて大声で訊ねると、すぐに隣の部屋で寝ていたスタッフ二人が青ざめた顔で飛んできて、口々に言うことには、
「出たんですよ! モンペを穿いた女と小さな男の子の幽霊が!」
「僕も見ました! 部屋の隅にボーッと立ってました!」
彼らも自分と同じものを見たと知って、小松さんはあらためて背筋を凍らせた。
阿部さんも、もう夢を見たのだとは言わなかった。
「沖縄と言えば、沖縄戦ですからね。島の住人がたくさん犠牲になりましたから……」
隣室のスタッフたちはますます怯えて帰ろうとせず、やがて、誰からともなく部屋の冷蔵庫から冷えたビールを出してきて、四人で静かに酒盛りをしはじめた。
それが午前一時頃だった。
それから一時間後の二時、二つ隣の部屋で寝ていたスタッフが小松さんたちの部屋に駆け込んできた。親子の幽霊が現れたのだという。
「防空頭巾を被ったお母さんと裸足の男の子が手をつないで宙に浮かんでました!」
──三時。
「親子の幽霊が天井に張りついて、こっちを見おろしてたんですよぉ」
──四時。
「壁をすり抜けて入ってきて、向かい側の壁の中へスッーと……」
──五時。
「女と子どもが窓の方を向いて立ってたんですが、薄くなって消えてしまいました」
みんな小松さんたちの部屋に来て、怖そうに報告しながら飲み会に加わり、だらだらと過ごしているうちに空が白々と明るんできてしまった。
「変わった幽霊だなぁ。一時間おきに出てくるのか? でも、もう夜明けだよ」
「あとはモデルさんだけですねぇ」
──六時。
「彼女、起きてきませんね。よし、じゃあ、解散!」
それぞれ客室に戻って仮眠を取り、ちゃんと朝の九時頃に集合したというのだから、小松さんをはじめ皆さんタフで感心する。私のような根性なしには務まらない。
彼らが制作したコマーシャルは大成功を収め、沖縄は日本初の南国リゾート地としての地位を確立した。翌年オープンした件のリゾートホテルは、今年(二〇一八年)で創立三五周年を迎える。
結局、女性と子どもを目撃したのはモデルさんを除く八人だった。
防空頭巾を被かぶってモンペを穿いた女性と裸足の男の子と聞いて思い浮かべるのは、ディレクターの阿部さんが言ったとおり、第二次大戦中の沖縄の悲劇だ。
恩納村の万座毛には、第二次世界大戦時中、戦火に追われた住民がこの崖から飛び降りたという説があるが物証に乏しい。インターネットで公開されているブログなどの多くに「米兵たちに追い詰められて集団自決をした」と書かれているけれど、そもそも沖縄戦における集団自決も日本軍による自殺の強制があったか否かで論争がある。
真相は闇の中。いや、海の中だ。
恩納村の海でスキューバダイビングをしたことがあるダイバーは、防空頭巾をかぶった人々の行列を潜水中に見ることがあるという。
また、崖から飛び降りる幽霊の報告例も、インターネットで検索すると散見できる。
プロデューサーの小松さんは、民宿に到着して間もなくと、就寝前の二回、崖から飛び降りる人たちを目撃したが、翌日、宿の女将さんに話したところ、こんなことを言われたのだという。
「恩納村ぬ海人ぅ、くぬ辺りん居りませんし、あんなところから飛び込んだら死んっししまいますよ! うりん幽霊やたんのでぇ?」
あるいは自殺者だったのかも……。件の崖から飛び降りて自死する者は多いと言われている。また、二〇一二年に発覚した某連続殺人事件では、そこから飛び降りを強要されて亡くなられた犠牲者がいた。
死者たちの怨念を数多呑んで、尚も万座毛は美しく、潮騒は止むことがない。