狐橋(長野県 野沢温泉村) | コワイハナシ47

狐橋(長野県 野沢温泉村)

主婦のまさみさんの生まれ故郷は、長野県の野沢温泉村だ。

野沢温泉村の中心地は温泉とスキーで人気の観光名所になっていて、冬になると全国各地からたくさんの観光客が訪れる。この野沢温泉村というのはかなり広く、中心地から外れると辺りは山や田畑しかない、淋しい場所だった。まさみさんが生まれ育ったのは、温泉街からかなり離れた場所にある小さな集落で、家の裏には山が連なっている。家の前からは千曲川が見え、村のどの場所にいても川の音が常に聞こえている。このあたりは湿気が少なく、春、夏、秋は大変過ごしやすい場所だ。しかし、冬になるとかなりの雪が降って学生達は夏休みより冬休みの期間の方が長くなる。

これはそんな雪国で、まさみさんが小学四年生の時に体験した不思議なできごとだ。

今から五十年ほど前の冬。

まさみさんのふたつ上の姉が、盲腸で入院をすることになった。

この間、まさみさんの母親は、姉につきっきりで病院で寝泊まりをしていたので、家に残された末っ子のまさみさんは淋しくてたまらなかった。

午前中で学校が終わったある日のこと。まさみさんは帰宅するなり台所へと向かった。

まさみさんは慣れない手つきで、まな板と包丁を用意すると、さつまいもを切って油を入れたフライパンに放り込んでいった。母が作っていた時の様子を思い出しながら作った。

出来上がったさつまいもの天ぷらを新聞紙にくるむと、籠に入れ厚手の半纏を羽織って病院へ行くことにした。自ら歩いてきたうえに、自分で揚げた天ぷらをお土産にしたら、母ちゃんも姉ちゃんも喜んでくれるに違いない。そう思っての行動だった。

家を出たのは夕方の四時過ぎだった。

外はまだ明るく、雪はあがって青い空が広がっていた。小さな足で、一歩一歩雪を踏みしめながら病院へと向かう。病院のある中心地、温泉街へ行くには大人の足でも徒歩で二時間はかかる。ただし、晴れていればの話だ。

この時、雪は降っていなかったものの、前日まで降り積もっていた雪のせいで足場が悪く、なかなか早く歩くことができなかった。

それでも会いに行きたい。まさみさんは雪の上を進んで行った。

田んぼを抜け、馬頭観音のある御宮様を通り過ぎ、タバコ屋さんの前を通った時、油揚げが売られている。

(そうだ!明日、かあちゃんと一緒においなりさん作ろう)

持っていた小銭を取り出し、油揚げを購入する。

それを籠に入れて、村の外れまで来ると温泉街へ向かう道路に出た。

この道にさしかかった頃から急に辺りが灰色になってきた。

(降ってくる)

まさみさんは、病院のある温泉村の道へ進んでいった。

しばらくすると、予想は的中し、ちらちらと空から雪の粒が落ちて来た。

鼻歌を歌いながら雪を踏み、ひたすら病院を目指す。

雪国は天気が変わりやすい。

家を出た時は晴れていたのに、二股の道に入ってしばらくした時にはあっという間に辺りが灰色になっていた。夕方でも雪が降ると景色が灰色になるのだ。

薄暗いひと気のない道を歩いていたまさみさんは、段々と心細くなっていた。

今、歩いている道の途中にある橋には、昔から奇妙な噂があった。

あの橋の左側の川に河童がいる、あの川に架かっている小さな橋に下駄を履いて赤ん坊を抱いた霊が現れる、と色々な話を聞いていた。

(ああ。もう少しであの橋だ)

心臓がバクバク音を立てる。

雪はとめどなく降り積もってゆく。足はもつれ視界が狭まっていく中、まさみさんは必死で歩き続けた。

雪が降ると、世界から音が消えたような錯覚に陥るほど辺りは静かになる。

聞こえるのは雪を踏みしめる自分の足音だけ。冷たい雪がズボンと長靴の間に入り込んで来て足の感覚も鈍ってくる。

やがて、河童や母子の幽霊が出るという噂の橋が目の前に現れて、心細さと恐怖でまさみさんは気を失いそうになっていた。

恐る恐る橋に近づいて行くと、前方からザクザクと黒い物体がこちらに向かってくるのが見えてきた。

恐ろしさのあまりその場に立ち止まってしまった。

その黒い物体とすれ違う瞬間、目を向けると、それは男の人だった。

(なあんだ。おじさんか)

男の人とすれ違うと、すぐに後ろを振り向いた。ところが今すれ違ったばかりのおじさんの足跡は、降る雪で既にかき消されていて姿ももう見えなかった。

おじさんと橋の近くですれ違ったので、気がついた時にはもう河童や幽霊の出る場所は通り過ぎていた。

雪は容赦なく降り続け、まさみさんは山の中を一人で歩き続けた。

そして、ようやく山道を抜け、温泉街の灯りが見えてきた。

(良かったぁ)

安堵して自分の母と姉がいる病院を見つけた時には、嬉しさのあまり「きゃー」と叫び声をあげていた。病室に入ると、母も姉もたいそう驚き、まさみさんは褒められた。

「よく来たなぁ。偉いなぁ」

母の言葉で、先ほどまでの不安な気持ちは消え去り、嬉しくてたまらなかった。背中に背負ってきた籠をおろし「天ぷら作ってきた」と言うと、益々褒められた。

「母ちゃん、明日帰ったら一緒においなりさん作ろう! 油揚げ買って……あれ?」

籠の中から、持って来た天ぷらと油揚げを出そうとしたとき、一瞬何が起こったのかわからなかった。新聞でくるんできた天ぷらは確かにあるのに、タバコ屋さんで買ったはずの油揚げがどこにもないのだ。

道の途中で転んだわけでもなく、籠に大きな穴があいているわけでもない。

「もう一回よく見てみたら」

母の言葉で籠の中を見てみても、油揚げはどこにもなかった。

何故か籠には表にも底にもびっしりと何かの毛が付いていた。

「かあちゃん、何かついてる」

母はじっとその毛を見た後こう言った。

「狐だな。狐の毛だ」

まさみさんの背負ってきた籠には、びっしりと狐の毛がこびりついていたのだ。

そしてどういうわけか天ぷらは残っており、油揚げだけが姿を消していた。

「あの橋、通ってきたんか?」

「うん」

「帰りにあそこに寄ってお参りしていこうな。お稲荷さんあるから」

まさみさんには母の言うことがさっぱりわからなかったが、大人になってから思い返してみると、あの橋ですれ違ったのはおじさんではなく、ひょっとしたら狐だったのかもしれないと感じている。

病院からの帰り道、まさみさんは母とあの橋のそばにあるお稲荷さんで手を合わせてから家まで戻ったそうだ。

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