シャンプーをする手(東京都) | コワイハナシ47

シャンプーをする手(東京都)

北上さんは長らく地方の実家住まいであったが、会社の都合で異動となり、東京で一人暮らしをすることになった。

会社が用意してくれたのは、少々古いがわりとおしゃれなマンションだった。

荷物の整理がひと段落ついた後、彼女は引っ越しの疲れを癒そうと、初めてそのマンションのお風呂に入った。

バスルーム内の鏡の前に座り、髪の毛を洗っている時だった。

突然、北上さんの背後から何かがスッと伸びてきて、髪と髪を洗う手に触れた。

「ヒャッ!」

北上さんは大声で叫んだが、恐怖で体が動かず、泡まみれの頭で硬直したように座っていた。

どうやら髪を触っているのは、二本の手のようだった。

怖くて目をつぶったままだったが、自分の手や頭皮に触れた感覚から、指の細い女性のものだと確信した。

女性の手は、そのまま北上さんの髪の毛を洗い始めた。

その洗い方は驚くほど手慣れた手つきでとても上手く、優しかった。

北上さんは先ほどまでの恐怖心を忘れ、異常な状況にも関わらずリラックスして背後にいる謎の女性の洗髪に身を任せていた。

そしてしばらくするとトントンと肩を叩かれた。

終了の合図だった。

北上さんは思い切って後ろを振り向いたが、誰もいなかった。

北上さんはシャワーで頭をすすぎながら、

「なんか上手い美容院でシャンプーしてもらったみたいで得しちゃった、意外な同居人がいたものね……」などと最初の恐怖心を完全に忘れていた。

次の日から、風呂に入ると必ず背後の女性が北上さんの髪の毛を洗ってくれるようになった。

北上さんは背後の女性のことを「美容師さん」と呼ぶことにした。

美容師さんに洗って貰うと髪の汚れだけではなく、一日の疲れまでもがきれいサッパリ洗い流されていく。

さらに美容師さんにシャンプーをしてもらうようになってから、明らかに北上さんの髪質が良くなった。

髪の艶もサラサラ感も、以前の比ではない。自然、彼氏や友達に褒められることが増えた。

もはや美容師さんは怖い存在ではなく、ありがたい同居人だった。

ただ北上さんは自分の中でルールを作った。

それは美容師さんに洗髪してもらっている間は、絶対に目を開けないこと。

それを破ったら、何か恐ろしいことが起きそうだと思ったからだ。

北上さんが新しいマンションに引っ越して、半年が過ぎたある夜のことだった。

その日は、仕事が上手くいかなかった上に彼氏と些細なことでケンカをしてしまい、すこぶる機嫌が悪かった。

風呂に入り、濡れた髪の毛にシャンプーをつけていると、いつものように美容師さんの優しい手が伸びてきた。

しかし、その日の北上さんにはそれがどうにも煩らわしく感じられ、マンションに住んでから初めて美容師さんの手を払いのけた。

「今日は、自分でやるから!」

そう言って久しぶりに自分で髪の毛を洗い始めた。

しばらくの間、バスルーム内は静かだった。

が、突如背後に物凄い威圧的な視線を感じた。

危険を察した北上さんは、とっさに後ろを振り向こうとしたが、その前に頭頂部をガシッと鷲づかみにされた。

今までの優しい手ではない。もっと巨大でゴツい、男の手だと感じた。

頭をつかんだ手はそのまま北上さんを持ち上げていく。風呂椅子から尻が浮き、慌ててついた膝も浮き上がる。

はっと目を開け鏡を見るが、背後には誰もいない。ただ全裸の彼女が中途半端な姿勢で浮いている姿が映るのみだった。

「なによ、そんなに怒ることないじゃない! て言うかこれが裸の女にする仕打ち?」

錯乱した北上さんが大きな叫び声をあげようとすると、首の後ろから見えない両手がスルリと伸びてきて口を塞いだ。

それはいつもの美容師さんの手だと悟った。

(同居していたのは美容師さん一人だけじゃなかったってこと!?)

危機的な状況にも関わらず、北上さんは別なところで驚いていた。

(ごめんなさい、いつもお世話になっているのにごめんなさい!!)

北上さんは心の中で必死に謝った。

すると頭をつかんでいた手の力がゆるみ、北上さんをゆっくりと椅子に座らせた。

同時に口を塞いでいた美容師さんの手も、後ろに消えた。

北上さんはしばらく呆然としていたが、我にかえるとサッサと髪の毛や身体を洗い、すぐにバスルームから出た。

洗面所で髪の毛にドライヤーかけている間に頭を掴まれた感覚が戻ってきた。

そこで初めて恐怖心が込み上げてきて北沢さんは泣いた。

その時、

トントントントンッ、と軽い足音。

続いて、

ドンドンドンドンッ、と重い足音。

二つの違う足音が玄関のほうへ去って行くのが聞こえた。

「やっぱり二人いたんだ……」

北沢さんは涙を拭いながらひとりごちた。

その日以降、バスルームに美容師さんの手は現れなくなった。

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