怖い話を聞きたかったらタクシーの運転手に訊け。
……というのは、怪談集めの定石の一つでもある。会田さんは池袋で拾ったタクシーの、人の良さそうな運転手に何か面白い話はないかと訊ねてみた。
「……そうねぇ」
運転手はルームミラーに映る会田さんを一瞥すると、こんな話を語り始めた。
いつのことだったか。もう忘れちゃったけどねぇ。
ちょっと遠くまで頼むよって言われて、新宿駅から鎌倉まで走ったんですよ。真夜中のことでね。行った先も住宅街でさ。
「わかった。乗せた人がいつの間にかいなくなって、シートがぐっしょりと……」
いやいや、そんなんじゃありませんよ。お客は中年の酔っぱらいでね。まあ、べろんべろんになってたから、そっちの路地だあっちの路地だと連れ回されたのは勘弁してほしかったですけどね。まあ、何とかあちこち走って無事にお客の家にたどり着いて。奥さんがね、申し訳なさそうな顔してましたっけ。ええ。
さあ、東京まで帰ろうかなって、車の向きを変えて走り出したんですけど……何せ鎌倉って言ったって、そんな細かい住宅街なんか来たことないからね。大通りに出ようとしているうちに、道に迷ってまた別の住宅街に紛れ込んじまったみたいなんです。
お客さん、夜の住宅街を一人で走ったことってありますか?
怖いですよ。
何て言うかね、街全体が寝静まっていてね。東京なんかじゃ、明け方近くまで明かりの点いてる家がいっぱいあるでしょう。でもね、鎌倉辺りまで行くと、どこもかしこも明かりが消えて。街に誰もいないみたいでね。
街の静寂の中、静かな迷路に入り込んだみたいで、どうにか出口を見つけなくちゃって車を走らせていたんです。
そしたら……前のほうからふらふらっと何か飛んできたんですよ。
シャボン玉。
そう、子供がぷーってやるでしょ、ぷーって。アレですよ。
あたしもね、アレッ、こんな夜中にシャボン玉?ってそう思ったんです。
そしたらね。一つや二つじゃないんです。次から次へとシャボン玉が飛んできて、瞬く間にシャボン玉に取り囲まれちゃって。もう、前なんか何にも見えないんですよ。そりゃもう、あわわわわわわってもんですよ。ええ、シャボン玉ですから。ははは。
とにかく、びっくりして。人でも撥はねちゃいけないと思って大慌てで停車したんですけど、前見ても後ろ見てもあんた。もう何にもないんですよ。シャボン玉みたいに消え失せたって言うか。ああ、そうかシャボン玉だからねぇ。消え失せるよね。
まあ、あれは怖かったねぇ。
「へぇ……。で、そりゃ鎌倉のどの辺りなの?」
さあ、どこだったかな。ちょっと忘れちゃったよ。
でも、鎌倉のどこか。
それだけは間違いないね。おっと、お客さん着きましたよ。