口裂け女、遠征(名古屋市中村区) | コワイハナシ47

口裂け女、遠征(名古屋市中村区)

今も根強い人気を誇る都市伝説「口裂け女」がブームになったのは一九七九年の冬から夏にかけて。私が小学五年から六年の頃だ。

当時、私は自宅に近い地下鉄・本陣駅(東山線)近くの塾に通っていた。帰りの夜道で、いつ口裂け女に襲われるか、不安でならなかったのを覚えている。

ネットもない時代だけに、テレビのニュースでもほとんど放送されないのは、逆にとんでもないことが起きている証拠なのだと、アホな小学生の間で持ちきりになった。

もちろん運の良いことに? 私は口裂け女に遭遇することもなく、犠牲者の第一号として、新聞の紙面を飾ることもなかった。今となっては笑い話かもしれないが、部活や塾、お稽古ごとに通う小学生には切実な問題だったのだ。

ただ事実として、噂の広まりと共に、私の小学校でも、口裂け女の目撃証言が相次いでいた。

それらの中には明らかな受け狙いの嘘や、見間違いも少なくなかったが、わずかだが真実味のある証言もあった。

中でも、同級生のKさんの目撃例は妙な説得力があって、今も印象に残っている。

Kさんは学年でもトップクラスの成績を誇り、まじめな性格で知られた優等生だった。特に怖い話やオカルトなどの話題に興味があるわけではなかった。そんな彼女が「口裂け女を見た」と言い出したのだ。

彼女は当時、学区のはずれにある名鉄・栄生さこう駅近くの学習塾に通っていた。

その日の帰りも、Kさんはいつものように自転車に乗って帰路についた。

冬場なので日が暮れるのも早い。大通りの交差点で赤信号となり、Kさんは横断歩道の前で一人、自転車に乗ったまま立ち止まった。

ふいに左隣に人が現れた。同じように信号を待っている。その顔を見て、Kさんは息をのんだ。

白いコートにロングヘア、口には頬まで隠れた大きなマスクをしていた。噂に聞いていた口裂け女そっくりの風貌の女が立っていた。

うそ……どうしよう……。

女はコートの中に手を入れている。

……口裂け女って、コートに凶器の長く大きなハサミを隠し持っていると言うけど……。

でも、その前に「あたし、きれい?」と聞かれるんでしょ? なんて答えれば……。

女の顔をちらっと見るも、ややうなだれ、ロングヘアに隠れた表情ははっきりしない。

そうだ……口裂け女に襲われた時……撃退する呪文って……なんだっけ……?

Kさんが緊張しながら、女の方を見ていると、突然、女が振り向いた。

口から頬にかけて、顔の下半分を覆うマスク。そして顔の上半分には異様に白い肌と、やや血走った二つのぎょろっとした目玉が見えた。

Kさんは女と目が合った。女はじっとKさんを睨み付けた。その鋭いまなざしにKさんは背筋が凍り付いた。

その時、Kさんは横断歩道の信号が青になっていることに気付いて、思わず自転車のペダルを踏んで駆け出した。

Kさんは自転車を全力で走らせた。1キロ近く走っただろうか。また交差点で赤信号となり、自転車を止めた。息苦しさを覚え、肌が汗ばんだ。首筋に当たる風が心地よかった。

もう、ここまで来れば……。

Kさんがほっと安堵の息を漏らしたとき、背後でひたひた……と何かが近付く音がした。

明らかに普通ではない音だった。

……足……音……?

それはKさんの背後一メートル程でふっと聞こえなくなった。

……止まった?

Kさんに振り返る勇気はなかった。耳を澄ませるのが精一杯だった。

ひた……

足音がまた一つ。同時に、ほのかにお香の匂いが漂い、Kさんを戸惑わせた。

ひた……

それはゆっくりと近付く。横断歩道を見ても、信号は赤のまま変わらない。

どうしよう……。

じょっ……ぎりっ……

えっ……。

足音と歩調を合わせるように、金属がこすれる音が響いた。

ぎりっ……ぎりっ……じょっ……

は……ハサミ……?

ひたひたひたひた

突然、足音が加速するように迫ってきた。

いやっ……!

「あっ、Kちゃん」

声が聞こえて、Kさんは思わず顔を向けた。右側の歩道からクラスメイトの女子が手を振って歩いてくる。

Kさんははっとして振り返った。しかし背後には誰もおらず、クラスメイトが「どうしたの、Kちゃん?」と再び声を掛けても、ぽかんと狐につままれたような顔をした。

うそ……今ぜったいに後ろから……。

横断歩道の信号はいつのまにか青になっていた。Kさんは前方を見て、あっとなった。向かいの信号機の下に、いつのまにか白いコートの、マスクを付けた女が立っていた。

女はKさんを見つめた後、背を向け、音も無く、繁華街の大門の方へと駆け出していった。

Kさんはとっさに後を追ったが、すぐにその姿は消えるように見えなくなった。

以来、Kさんは「あれは絶対に口裂け女だった」と断言している。ふだんから冗談も言わず、嘘もついたことがないようなKさんだけに誰もが本当だと思いたかった。しかし、横断歩道の前で出くわしたクラスメイトはその女を目撃していないし、「単にマスクをした女を見間違えただけだろ」と馬鹿にする男子もいた。

当時、私はKさんの真剣な話しぶりから、きっと彼女は何かを目撃したのだと思った。

では、それはいったい何なのか。

白いコート、ロングヘア、口を覆うマスク、隠し持った音が聞こえるほどの大きなハサミ、普通とは思えない足のスピード……。

Kさんが証言する女の特徴はまさしく口裂け女そのものだ。しかし、実際には「私、きれい?」と声を掛けられていないし、〝異様に白い肌〟〝お香の匂い〟など、それまで広まっていた口裂け女とは異なる部分もある。

何より、今思えば〝大門の方に姿を消した〟というのが気になった。

当時の子供から見れば大門(中村大門)がどんな場所はよくわからない。せいぜい学区の隣の派手な歓楽街というイメージだった(あとは、大型スーパーのユニーや、子供向けの映画も格安で上映していた名画座のオーモン劇場でも知られていた)。しかし実際は名古屋最大のソープランド街である(当時はトルコ風呂と呼ばれた)。

女は大門の方へと消えていった。また、Kさんが最初に女と遭遇したのは名鉄の栄生駅の前。女が名鉄を利用していた可能性も高い。では、女は名鉄に乗ってどこから来たのか。

口裂け女の伝説の発祥は岐阜と言われている。

そして大門と共に中部最大のソープランド街と言えば岐阜の金津園。金津園はJR岐阜駅の南口からすぐの場所にあるが、名鉄岐阜駅からも近い場所にある。この二つを行き来していたソープ嬢こそが、口裂け女のモデルではないだろうか。

大門も金津園も、(ここでは詳しく書かないが)戦前の遊郭が源流となっている。そう考えれば〝異様に白い肌〟〝お香の匂い〟も花魁の名残と考えれば納得がいく。

かつての遊郭や今のソープランドにも、訳ありの女が勤めることは珍しくない。また、女同士の嫉妬や憎悪から、毒を盛られたり、顔を傷つけられた(口を切り裂かれた)ケースもあった。実際、吉原の遊郭には口が裂けた太夫(位の高い娼妓)がいたという記述も残されている。また、口裂け女がポマードを嫌がるのも、男性店員や客との諍いがあったと考えれば合点がいくだろう。

Kさんが目撃したのが、仮に実在の女でなかったとしても、過去に遊郭やソープ店で悲劇に見舞われた女の怨念が実体化したものであるのなら、まさに風俗嬢の出張のごとく、岐阜(金津園)から名古屋(大門)へと遠征し、その過程で遭遇した子供たちを恐怖に陥れ、さらに全国へと進出し、噂と共に、その怨念が拡散していったのではないか。

口裂け女は一般的に気の触れた女のイメージが強いが、実際は、住宅街にひっそりと存在する全国のソープランド街のように、子供にとっては得体の知れない闇のイメージの方がふさわしいかもしれない。

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