中村日赤病院(愛知県名古屋市中村区) | コワイハナシ47

中村日赤病院(愛知県名古屋市中村区)

名古屋駅近くの下町で育った私にとって、最も身近で有名な心霊スポットと言えば中村日赤病院だ。

正式名称は「名古屋第一赤十字病院」と言い、名古屋を代表する巨大総合病院ながら、地元民には〝中村日赤〟と呼ばれて、最寄りの地下鉄駅の名称も「中村日赤駅」で身近な存在であった。

中村日赤病院の怖い噂を最初に耳にしたのは、幼稚園の頃だったと思う。あの大きな病院には女の幽霊が現れるという話を、みんなで喜んでしていた。

その女の霊の正体が、亡くなった患者なのか、それとも看護師なのか、はたまた別の何かなのかはよくわからなかった。とにかく女の霊がいるという話で盛り上がった。

小学生になると、子供同士で地下鉄に乗る機会が増えたせいか、「中村日赤駅のホームに血まみれの女が立っていた」という噂が広まった。

なぜ、駅のホームかと言えば、病院と地下鉄の駅は地下通路でつながっていることが大きかった。私自身、特に霊感が強いというわけではなかったが、確かに中村日赤のホームはどんよりとして重く澱んだ空気が感じられ、通る度になんとなく憂鬱な気分になった。

小学校の高学年になると、家族が日赤病院に入院するケースも増え、見舞いに行った友達から「廊下で車イスが勝手に動き出した」「霊安室の棺が回転して倒れた」という、よりリアルで具体的な証言が目立ち始め、同時に、やはり血まみれの女が廊下を歩いていたという定番ネタも安定して供給されていた。

当時の私は、大きな病院なら、どこでもこんな薄気味の悪いネタの宝庫だろうと思っていた。

しかし高校に入り、中村区以外の市内や愛知県内から通う同級生と話をするようになり、いかにこの病院が特異な存在であること、そして奇妙な噂に満ちていることを自覚した。

まず、地図で見れば一目瞭然だが、中村日赤の場所は、先の「口裂け女、遠征」の中にも登場した名古屋屈指の歓楽街、中村大門(現在は名古屋市内唯一のソープランド集中地域で有名)と隣接している。

かつて「中村遊郭」と呼ばれたこの地は、東京の吉原を模した巨大遊郭があった場所(主に、日吉、寿、大門、羽衣、賑町にぎわいちょう)で、大正時代に名古屋市内にあった旭郭が手狭になり、新たに整備、移転されたものだ。今でもこの界隈には、娼家の名残とも言える木造建築物が残されている。

この中村遊郭の西の外れに「遊里ヶ池」という人造池があった(「遊里の池」という別称もある)。もともと遊郭建設用地の整備で大量の土を掘ってできたと言われ、ボートや魚釣り、遊郭主催の花火大会などから、地元の人々には憩いの場として親しまれた。

一方で、この池には、病死した遊女などの身寄りのない死体の遺棄や、娼妓による投身自殺が相次いだと言われ、夜には女の霊が頻繁に目撃されるなど、心霊スポットと化していた。そんな亡くなった霊たちを鎮める目的で、池の中心にのびる半島に、七福神の女神、弁財天を迎えた弁天寺も建てられたほどだ。

遊里ヶ池は当時の名古屋の名所の一つに数えられつつも、名前が示すとおり、遊郭の暗い一面を象徴したものだった。そして昭和一二年(一九三七年)には埋め立てられ、その跡地に建てられたのが、現在の中村日赤病院だった。

その後、遊郭の衰退と、病院の発展と共に、遊里ヶ池の思い出はほとんど忘れ去られることになった。

私を含めた当時の幼い子供たちは、中村遊郭の歴史はもちろん、遊里ヶ池の存在すら知らずに、ただただ病院の周辺で頻繁に目撃される不気味な女の霊の噂を楽しんでいたのだ。

一九三七年と言えば日中戦争勃発の時期であり、その後の時代を暗示するように、娯楽目的の池が埋め立てられ、巨大病院が作られたことは何とも深い因縁を感じる。

当時の状況からして、埋められた池にはまだ多くの発見されない死体が眠っている可能性が高いだろう。池の深さを考えれば、病院の地下通路や地下鉄駅のホームで、女の霊の目撃例が後を絶たないというのは、単なる偶然には思えなかった。

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