派遣労働者(愛知県豊田市) | コワイハナシ47

派遣労働者(愛知県豊田市)

「たぶん問題は別の所にあるんだと思いますけどね」

世界的自動車メーカーのお膝元で、関係する工場が並ぶ豊田市。地元の労働者では足りず、全国から多くの労働者が派遣され、工場を支えているという。

二十年以上昔、市内のある路線が一部の心霊マニアの間で評判となった。付近の路線と比較しても、路線の自殺者の数が平均を上回ると言われ、工場や寮に近いわけでもないのに、自殺者の多くが地方から来た単身の派遣労働者と噂されたのだ。

当時の派遣労働者には故郷で結婚している人、婚約している人も少なくなかった。一番可愛い時期の幼い子供たちと離れ、見知らぬ土地で暮らす辛さは想像に難くない。

また、工場勤務も今よりも景気が良かった時代だけに、仕事はいっそう過酷を極め、ストレスも蓄積した。労働者は様々な病に悩まされたと言われ、自殺者が増えるのも理解できるが、それでもなぜその路線なのか、要因ははっきりしなかった。

筆者もこの路線に乗ったことがあるが、田舎のごく普通の鉄道で、特に何か不穏なものがあるとも思えなかった。もっともこの路線から少し離れた別の路線では「子供の霊が目撃された」などと騒ぎになったこともあり、全国から労働者が集まる環境のせいか、何かと妙な噂が広まりやすい環境だったのかも知れない。

そんな折、私はかつて工場に勤務していたJ氏と出会った。

J氏は三十年前、東北に家族を残し、工場へ派遣労働者としてやってきた。幼い子供が三人もいたため、妻は反対したが、給料の良さに決断した。

住居は古い団地の3LDKの部屋を、三人の単身者で共有していた。団地は会社が一括して借り上げ、住人の大半が地方からの単身労働者だという。

「まあ、自分の部屋があるだけマシだと思いました」

早朝から団地に大型車が止まり、他の労働者と共にJ氏は工場へ運ばれる。帰宅は深夜。携帯やネットも普及していない時代だけに、休日は近所の公衆電話に列ができるが、電話代もかさみ、J氏は節約のために部屋にこもりがちになった。

酒に溺れ始めたのはその頃だ。部屋で一人、安くてすぐに酔える酒ばかり飲んでいたせいか、ふだんからアルコールが抜けず、体調不良が続いた。仕事の効率も落ち、会社や家族にも相談できないまま、ただ酒を飲んで現実から逃避する日々を送った。酔ったまま布団で嘔吐したことや、寝ている時、家族の名前を叫んで錯乱し、同居人から介抱されたこともあった。奇妙な幻聴を耳にすることも増えてきた。

もう限界だと思いながら、日々の重労働を考えれば酒を絶つことは困難だった。

せめて家族に会うことができれば、つらい思いやストレスは解消されるだろう。しかし、帰省は年に一回だけ。

家族に会いたい……。J氏は枕元に家族と撮った写真を並べるようになった。

ある夜、J氏が深酒で眠りこけた後、ふと目が覚めた。

枕元に人が立っていた。同居人が勝手に入った? しかし、その姿は小柄だった。大人じゃない……?

薄暗い部屋にいたのは四歳の長男だった。自分が買い与えた、ヒーロー物のパジャマを着て、眠そうにうなだれて立っている。

J氏は最初自分が実家に帰省しているのだと思い、「ほら、おまえの部屋はあっちだろ」と指さした。長男は小さくうなずくと、ふらふらと歩み出した。

長男が目の前を通り過ぎた時、J氏はようやくそこが単身先の団地の一室であると気付いた。足下に家族の写真が散乱している。

そんな……。J氏は震えながら写真を拾い、長男の方に顔を向けた。そしてあっとなった。壁に、ぽっかりと大きな穴ができて、その穴と向き合うように、長男がうなだれて立っていた。穴の先には暗闇しか見えなかった。

……いつのまに……。

長男は穴に引き込まれるように、ふらふらと中へ入っていく。

ま、待ってくれ……。

J氏の中で、もう二度と長男と会えなくなる恐怖が芽生えた。

お願いだ……置いていかないでくれ……!

長男が闇の中に消えると、J氏も衝動的に穴に飛び込んだ。

後のことは覚えていない。

気がつくとJ氏は線路の上に横たわっていた。パジャマ姿のまま裸足だった。

辺りは暗く、J氏が線路から下りると、ほどなくして列車が轟音を立てて通り過ぎていった。そこは自殺が頻発すると噂されるあの路線だった。

J氏の団地から線路まで三キロ以上離れていた。両足は泥だらけで、夢遊病のように歩いたとしか考えられなかった。

「まあ、あの頃はいつ自殺してもおかしくなかった精神状態でしたから……。でも運が良かったんでしょうね」

なぜJ氏は、曰く付きの路線で自殺を回避できたのだろうか。

「よくわかりませんが、たぶんこれのせいじゃないでしょうか」

J氏は一枚の写真を見せてくれた。シワだらけの色あせた、家族の写真だった。

「線路の上で横たわっていた時、この写真を握りしめていたんです。きっと守ってくれたんでしょう」

J氏によると、死に至らなくとも、こうして線路まで行ってしまった派遣労働者はそれなりにいたらしい。

「たぶん……あの団地にも何か問題があったような気がします……。もっとも一番問題があるのは僕らなんでしょうけど」

J氏は自嘲気味に薄笑みを浮かべた。彼はこの騒動の後、工場や家族と話し合い、実家に戻ることにした。その後、体調不良は改善し、奇妙な幻影や幻聴を感じることはなくなったという。

私は教えられた団地の住所をたずねたが、すでに当時の建物は取り壊された後だった。

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