実家の能面(神奈川県横浜市) | コワイハナシ47

実家の能面(神奈川県横浜市)

はた目から見れば非常識なことも、当人がそうと気付かない限りその人にとっては当たり前のことであり続ける。

横浜にある光井さんの実家というのが霊現象頻発のお化け屋敷である。

「とにかく『いる!』って感じがぷんぷんするわけ。もーお、出る出る」

彼女にとって実家を騒がす怪現象の多くは、極めて日常的な出来事であるらしい。それ故、彼女をとりまくあやかしの話をするとき、光井さんは仲のいい友達のことを話すように嬉しそうに話す。

「特に台所なんかが凄いわね。もう鮨詰め状態よ」

台所だけでなく、風呂場やトイレなど水回りには幽霊の類がうようよしているという。

幽霊、と言えるほどはっきりした形になっていないものも、その辺をぷよぷよと漂っているようなのだ。

普段はなるべく気にしないようにして暮らしているのだが、やはり「濃くなっているとき」は否が応にもぎゅうぎゅうと押しあっている幽霊が見えてしまって、気が滅入ることもある。

ある晩、夜中に目覚めた光井さんは、廊下を回ってトイレに行こうとした。

すると、好き勝手に辺りを漂っていた「気配」が猛烈に濃くなり、光井さんの行く手を阻んだ。

見えない誰かに通せんぼをされている……というより、実際に押し返されているようだ。

そんなときは、彼女の母君のことを念じると絶大な効果がある。特に名前でなくてもいいらしい。

「お母さん、お母さん……って唱えるとね、気配がバーっと開くわけよ。モーゼの十戒ってあるじゃない、海が割れるヤツ。ちょうどあんな感じよね」

実家に漂っている幽霊の類も、光井さんの母君については一目置いているらしい。暗闇に穿たれたトンネルのように光井さんに道を譲った「気配」達は、ご丁寧に彼女がこれから入ろうと思っていたトイレの扉を、〈どん!〉と開いてくれた。

先日、出先から家に帰ってくると、どうやら家人は皆出かけているらしく玄関に鍵が掛かっていた。光井さんは、ポケットから自宅の玄関の鍵を探しだして、ドアノブに差し込んだ。

ピンという音がして玄関の鍵が開いたのと同時に、家中の灯りが点いた。

「そりゃもう、びっくりしたのなんの。うち、そんな金の掛かったシステムが付いてるわけじゃないのよ。なのに、一階も二階もトイレも風呂場も、全部同時よ」

その光景は、家人の帰宅をまるで家そのものが歓迎しているようだった。

「怖くない?」

「いいのよ。命に関わるわけじゃなし……それにいつものことだからね」

この話で最も恐ろしいところは、当人の「慣れ」であろう。

能面(北海道)

塩沢さんが子供の頃に住んでいた実家は、北海道の田舎町にあった。

北海道という土地柄なのか、実家の建物は古風な木造建築ながら、都会では考えられないほど部屋数の多い大きな屋敷だった。

当然、家人の人数よりも使われていない部屋のほうが多いくらいだから、子供の遊び場には困らない。塩沢さんは幼い弟達と屋敷のあちこちを駆け回って、鬼ごっこやかくれんぼに興じたものだ。

たくさんある部屋の中でも、特に広かったのは仏壇の置かれている大広間だ。

仏間の入り口は襖となっていて、この襖を乱暴に開け閉たてしては「仏様の部屋で騒ぐんじゃないよ」と両親に叱られたものだった。

この仏間の入り口には少し変わったインテリアがある。

仏間の内側から見た襖の上の梁の部分に、お面が飾ってあったのだ。

真っ白い顔に細い目の、所謂能面というものだった。

「能面があるね」

どういう謂れの品物なのかはわからなかったが、お面とあれば被ってみたくてたまらなかった。そこで、弟達と能面を見上げては何とか手が届かないものかと、梁の下で飛び跳ねてみたりしていた。

残念ながら子供の背丈で手が届く高さではなく、いつも同じ梁に飾られている能面を見上げて過ごしていた。

それから数年経って、すっかり古くなった実家を建て替えることになり、木造の屋敷は取り壊されてしまった。

新しく建てられた家は、以前のように「屋敷」というほど大きくはないが、やはり仏間はそれなりに大きな広間となっていた。

塩沢さんは、その後就職して札幌に住むようになったのだが、新しくなった実家に帰ったときに、ふと能面のことを思い出した。襖の上の辺りを見ても、あの能面はない。

……あの能面は、どこに行っちゃったんだろう?

たまたま帰省していた弟とその能面の話になった。

「そうそう、あったよね。能面。あれ、いっぺんでいいから被ってみたかったのよ」

「姉ちゃんも?俺もそうでさあ。新居のほうには飾ってないみたいだけど、どうなったんだろう。引っ越しのゴタゴタでなくしちゃったのかな」

懐かしい能面の話で盛り上がった塩沢さん姉弟は、母親に能面の在処を訊いてみた。しかし、母親はきょとんとした顔で、

「そんな能面、うちにはないよ」

と答えた。

「ウソぉ。だって仏間の梁のところに飾ってあったじゃないよ。ねえ?」

「そうだよ。確かに能面が飾ってあった。だって、姉ちゃんと毎日見てたもん」

しかし、母親は頑として「絶対にない。私だって毎日仏間を見てたけど、そんなもん一回も見たことがない」と譲らない。

母親には見えなくて、塩沢姉弟には見えていた。

つまり、それは能面ではなく、梁に浮かび上がった〈何か〉の顔だったらしい。

「よく考えてみれば、仏間に能面飾る人なんていないわよね。でも、幽霊なんて考えたこともなかったのよ。だって、一日中ずっとそこにあったんだもの」

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