「おみやげだぞーー」
と言って叔父が抱えてきたのは大きいダンボール箱でした。
当時、幼稚園児だった母は、
「おサルさんがほしーーー」
と、毎日のように言って両親を困らせていました。つい最近家族で訪れた上野動物園のサルを見た母は、初めて見るサルに一瞬で心を奪われてしまったのです。
この日はそれを見かねた叔父が母に「おみやげ」を持って会いに来たのです。
「わーい! お兄ちゃんなにー?」
と、その大きいダンボール箱を開けてみようとしたら「ガサッガサッ」と動きます。
「うわ!!」
恐る恐る中を見てみると、そこには小さな小さな仔犬が入っていました。
「うわぁ!! かわいいー!」
母は、その小さいまだ産まれたばかりの仔犬を見て大喜びでした。
叔父は母より20近く歳が離れていたので、職場の知り合いの犬が子供を産んだと聞いて一匹もらってきたのだそうです。
仔犬は当時では珍しいスピッツとダルメシアンのミックスの女の子でした。
「お兄ちゃんありがとー!」
「おサルさんじゃないけど、ワンちゃんだってカワイイんだよ」
「あこちゃんよかったねー。おサルさんとワンちゃんは仲が悪いから一緒に飼えないからいいよねー」
と言って、祖父も祖母も喜んだそうです。
この仔犬は母が「リリ」と名付けて凄くかわいがりました。
何せ、母も初めて飼う動物で、
「やっぱり、おサルさんじゃなくてワンちゃんの方がかわいい」
と思ったほどです。
しかし、母が小学1年生になった頃、だんだんリリの様子がおかしくなってきたのです。ごはんもあまり食べなくなり、おしりから血を流してお散歩から帰ってくる日もありました。
「リリちゃんリリちゃん大丈夫?」
母はどうしていいのかわからず、ただ声をかけ続けます。
いつまで経ってもよくならず、日増しに悪くなるばかりなので、母と祖母で動物病院に連れて行くことにしました。
先生にリリを診てもらうと、原因不明……。
今は動物病院も数々あり動物の病気もほとんどわかりますが、昭和の30年代当時の日本ではリリの病名もわからずじまいで、治療さえできないと言われたのです。
そして、こうしておくのも可哀想なのでと、保健所に連れて行って殺処分することを勧められたそうです。
母と祖母はとりあえずリリを家に連れて帰り、玄関の廊下に毛布を敷いて、そこへ寝かせました。普段は外の犬小屋で飼っていましたが、この日から、ここで寝かせることにしたのです。
そして、次の日には家族会議を開き、リリをどうするのか話し合いました。
母は、
「絶対にリリちゃんを死なせたら嫌だ!」
と泣きながら祖父に訴えました。
けれど、治療法もなく毎日苦しむしかないリリの姿を見て、しばらく様子を見た後やはり保健所に連れていこうという結論になりました。
1週間経った、3月10日。玄関の毛布の上でグッタリと横たわるリリをいつものようになでながら、
「じゃ、リリちゃん学校に行ってくるからね」
と母は家を出ました。
そして、学校から帰って来た母が玄関のドアを「ただいまー」と開けると、
リリがいつものように横になっています。
けれど、その姿はいつも見ていたリリの姿ではなく、半透明なのです……。
その時、母はすべてを悟りました。
「リリちゃん今日保健所に連れて行かれちゃったんだ……」
「あこちゃん……見てわかると思うけど、今日リリちゃん保健所に連れて行っちゃったからね。ごめんね」
と帰って来たばかりの母に祖母は言いました。
「うん、わかるよ」
とだけ言った母は、
「そこにまだリリちゃん居るよ」
とは言えなかったそうです。
そして、恐怖が始まりました。
次の日もリリはそこに横になっています。
母が来ると上半身だけ上げて、いつものように母を見ます。もう毛布も敷いていない冷たい板の上に次の日も次の日もそのまた次の日も横になっているのです。
リリがその場に居続けて5日ほど経った頃でしょうか。
ふと、夜に玄関を見てみると玄関ドアの高窓から、女性が中にいるリリのことを見ているのです。
その高窓とはガラス窓になっていて、しっかり中からも外の光が見えるようになっています。しかし、この高窓は高さ2メートル以上の所にあるのです。
それを見て「人間じゃない」と母はすぐに感じたそうです。
それからというもの、その高窓から男の人や女の人やらいろいろな人が中をのぞいては、リリを見ているのです。
時には、中をのぞく中年女性のギョロリとした目と、目が合ってしまったこともあるそうです。
リリの姿も、その高窓からのぞく多くの人々の姿も母にしか見えていなかったのですが、最後まで家族には言えなかったそうです。
いつの間にか、リリもその人達も居なくなっていましたが、そのことがあってから家は数々の不幸に見舞われ、祖父の仕事も上手くいかなくなったのです。
人間の霊でなくても動物霊でも、霊がそこにいると浮遊霊が次々に集まってしまいます。
今なら除霊することもリリを天国におくることだって出来るのですが、当時の母はあまりにも無力でした。
後日談としてですが、ずーっと「リリちゃんごめんね。苦しくて死にたくなくて帰って来たのに何も出来なくてごめんね」と心残りに思っていた母が、あの日に戻ってリリの魂を天に返すエピソードもあるのですが、それはまた別の機会に……。