パソコン通信で知り合った好事家の集団と僕が体験した話である。
東京都東村山市多摩湖畔には狭山公園と呼ばれる公園がある。まだ肌寒い一九九〇年三月のある晩、この公園内で、あるパソコン通信ネットの「怪談ボード」の集会が開かれた。この集会の趣旨は「春の夜のオバケの〈方々〉を鑑賞しよう」といった怪談集会で、募集の告知に呼応して集まった十二人の物好き達は、三台の車に分乗して参加者の一人である小宮沢さんの自宅の近くにある狭山公園にやってきた。
案内人を買って出た小宮沢さんは、幾つかある狭山公園の入り口のうち西武多摩湖線の線路の下にくり抜かれたコンクリートのトンネルを選んだ。
それは存在感の希薄なトンネルだった。如何に深夜のこととは言え、街灯に照らされたT字路の突き当たりにあるにも拘わらず、地元である小宮沢さんに促されるまで参加者は一人としてそのトンネルの存在に気付かなかったのである。
それは所謂「ガード下のトンネル」であり、特に目立つ特徴があるわけでもない。外の街灯がまばゆいせいか、トンネルの奥に広がっているはずの公園は真っ暗で何も見えない。
小宮沢さんは他の参加者の先頭に立ってトンネルの向こうに消えていった。
「え、あそこに入るんですか?」
後に続こうとした参加者のうちの大半がトンネルの先に進むことを嫌がった。
コンクリート製のトンネルの入り口の左側から強烈な圧迫感。
「いるいる、何だかスゴイのがいるよぉ!」
レーダー代わりに駆り出された各務かがみ君と枝原君の二人は、異様に強い妖気を感じているらしい。
「何だか門番に拒絶されてるみたいだ……」
「いるいる。こりゃスゴイよぉ~!」
この日が初対面の二人は異口同音に呟いた。
「早く来なさい!」
小宮沢さんに急かされた大半の参加者は、押し潰されそうな強烈なプレッシャーに耐えながらトンネルに入った。たかだか五メートルほどしかないトンネルの出口側にも、入り口同様の強烈な妖気が存在している。
「のわぁ~、いるよぉ~、こっちにもいるぅ~!!」
しかし、公園内に入った途端、参加者一行に向けられていた気配が一変した。
各務君と枝原君は全く害意が感じられないという。
「あれ?」
「ねえ、何か危ないものでもいるの?」
「いや……たくさんいるんだけど全然危なくないみたい」
はっきりとした気配。こちらを窺う視線。そして姿。
中でも、トンネル付近にいる小学生くらいの女の子は、公園内の木の幹から半分ほど身体を出してこちらを窺っている。腕を木に突っ張り、そこに埋まった身体を引っ張り出そうとしているように見えるという。
暗闇に目を慣らした一行は、木の幹の女の子と別れて先を急いだ。
「……あの子、俺達と遊びたかったのかもしれないなあ」
「ねえ、それより……何だか人数が多くない?僕達。さっきから、何だか三十人くらいで歩いているような気がするんだけど」
ふと気付いたとき、確かに一行の人数は多くなっているように思えた。霊感はないと公言して憚はばからない者も、何がしかの変化に気付いているようだ。
「まさかぁ、そんなことないよ。ね、愛沢さ……あれ?」
参加者の一人に声を掛けようとして振り返ったが、そこには誰もいない。自分が最後尾だったのだ。しかし、前を向き直ると確かに四人ほど後ろを歩いている気配がする。
訝る僕に各務君は笑いながら状況説明をしてくれた。
「こんな夜中に大勢でやってきたから、興味があるんじゃないの?僕だって、さっきから背中を触られたり、後頭部をポカポカ殴られたり、靴に小石を入れられたりしてるもん」
「そうそう。俺なんかさっき足を掴まれたもんね」
枝原君が補足した。
しばらく進むと池の手前で道が二股に分かれていた。右に折れて池の前を通る道と、池の左をまっすぐ進む道である。
案内人の小宮沢さんが一行に振り向いた。
「どっちへ行く?」
「どっちでもいいですけど、まっすぐに行くならここで待ってます」
各務君と枝原君はまっすぐ行く道のほうを指さし、口を揃えて言った。
「だって、そこに立ってる方が『そっちは行かないほうがいい』って、手で『×』を出してるもん」
二人の意見を聞くことにした一行は、池の端を通って多摩湖の堤防に進んだ。池の端の遊歩道に生身のアベックがいたが、そこにもよりたくさんの気配が集まっている。
参加者の木島氏と新田君を黙って見ていると、ふらふらと池のほうに歩いていく。
「こらこら、池に落ちるぞ」
「……え?あ!」
池の水面には、これまた様々な〈人々〉がくつろいでいた。立っていたり、走っていたり、中には「こっちへおいで」とばかりに我々一行を手招きするものさえいた。
「いやあ、何だかこのまま池のほうに行けそうな感じがして……」
「行けないこたないだろうけど、行ったら戻ってこられないよ。みんな害意はないみたいだけど、今日みたいな霜しもが降りるような日に池に入ったら、すぐに公園内の〈方々〉の仲間入りだからね」
「うーん、これだけ動いたのにまだこっちを見てる……」
「そりゃ見るだろう。これだけ賑やかで目立ってれば」
霊能者と一緒にいると、霊感のない人間でも多少は色々なものが見えるようになることがあるという。この時点で参加者の約半数はレベルの強弱はあれ霊視に近い能力を得ており、残る自称・霊不感症者達も「何だか変だ」という妙な感覚につきまとわれ始めていた。
真夜中の公園を無音走行で走るパトカーが、我々にゆっくりと接近してきた。
夜の夜中に十二人の大集団で歩く好事家の群れが怪しくないはずはない。職務質問を受ける前に、機転を利かせた小宮沢さんが警官に対応した。
「何か事件ですか?」
「いえね、八十歳の迷子老人を探してるんですが……誰かに会いませんでしたか?」
人間以外ならたくさん会ってきた……とはさすがに言えなかった。生身の人間と言えば池の端にいたアベックだけだ。
「いえ、ご老人の方はちょっと」
「そうですか。では、もし見かけたら警察へ連絡をお願いします」
そう言って立ち去りかけた警官は、ぞろぞろと続く一行を見て不審げな顔をした。
「何の集まりですか?」
「大学のバード・ウォッチング同好会です」
心霊ウォッチングとはとても言えなかった。
警官のパトカーと別れた後、枝原君は我々にまたしても奇妙な能力を見せた。
公園の土の上に手をあて、数字をカウントしている。枝原君は立ち上がって土を払いながら各務君と何事か確かめ合い、我々にこう言った。
「十七人いる」
ここでは某有名SF少女漫画は関係ない。
「まず俺達が十二人、池の端に二人、さっきの警官が二人……」
「ということは、だ。確かにもう一人いる計算になるな」
「それが八十歳の老人かどうかはわからないけど」
各務君と枝原君はもう一人がいると思われる場所をお互いに確認し合った。
「やっぱりあそこかな」
「うん、あそこだと思う」
公園内で研ぎ澄まされた彼らの感覚は、にわか霊能者の一行の感覚を遙かに凌駕した状態になっているらしい。
その後、老人の姿を探して夜の公園を徘徊したのだが、もう一人の生身の気配を見失ってしまった。
「気配がなくなってる」
「公園の外に出たんじゃないかな」
「でも違うメッセージが来てるんですけど……」
「そうみたい」
そのとき、公園内にいる人間以外の〈方々〉全員がメッセージを送ってきた。「ここから早く出ていったほうが良い」と。
「今、何時?」
「えっと……午前一時三十分」
「二時が近いね……」
「出ようか」
以前、枝原君と各務君は、町中で出会った霊の善意の忠告を無視、或いは気付かずに酷い目にあった経験を持っている。二人は一行の周囲で〈無言の忠告〉の大合唱を唱える霊達の意見を尊重することを主張した。
出口を探して元来た道を戻ると、再びパトカーに出会った。
「ご老人は警察に任せよう」
老人を見つけられなかったことを警官に告げ、参加者一行は元のトンネルを探した。しかし、入ったときのあのプレッシャーを嫌がる大半の参加者は、「パトカーに付いていって他の出口から出よう」と言い張った。
「あの嫌な感じを味わうくらいなら、多少遠回りになってもいいよ」
そのとき、最後尾を歩いていた各務君がトンネルを指して言った。
「みんな、門が開いてるよ!」
正にそう表現するしかなかった。
入るとき固く門戸を閉ざしているように思えたトンネルの入り口は、今度はぽっかりと開け放たれたように感じられた。あの押し寄せてくるプレッシャーは何もなく、それどころか入ってきたときよりトンネルが広がっているかのようにさえ思える。向こう側が明るく光るトンネルの入り口が、そこにはあった。
恐る恐るトンネルに足を踏み入れる一行。
「あれ?全然いないじゃん!」
トンネルの前までやってきたとき、既に我々の足は半ば自由を失っていたようだった。何か我々を外に押し出そうとする力が働いている。
奇妙なことにトンネルの内径までが、入ったときに比べ二十センチから一メートル前後ほど大きくなっているようにさえ感じられる。
いや、実際に大きくなっていたのかもしれない。
「おおう!ただ立っているだけで、どんどん出ていかされるぞぉ~っ!!」
面白がって、背中を押す力に抵抗する各務君と枝原君は、振り向いて背後を確認した。
そこには、二人を公園の外に押し出そうとしている、かなりの人数の〈方々〉が感じられるという。
そして、最後にトンネルから出てきた各務君と枝原君を振り返った新田君は、二人の後ろに数人の黒い影がいることを確認した。
全員がトンネル内からはじき出されると、門は閉ざされた。トンネルの入り口に再び、入ろうとしたときと同じ強烈な妖気が漂い始める。
携行していったライトがほとんど必要ないほどに暗闇に慣れたはずの我々の目にも、もう公園の中を窺うことができなかった。さっきまで見透すことができたトンネルの向こうには、既に闇がびっしりと詰まっていたのだ。
「ほんとに門番みたいだね。仁王門の金剛力士みたいなもんかな?」
「さあね。きっと聖なる場所なんだろう……」
時計が午前二時を指した。
もし午前二時過ぎまでこの公園の中にいたら、我々はどうなっていたのだろう。その好奇心が公園の中で起こらなかったことが、この好事家の群れを救っていたのかもしれない。
しかし、急激に狭くなっていくように思えるトンネルの前に立ち尽くす我々には、再びこの公園の中に入るだけの勇気は残っていなかった。