江古田のアパートの怪(東京都中野区) | コワイハナシ47

江古田のアパートの怪(東京都中野区)

かつて僕が暮らした江古田についての話である。

僕が東京都中野区江古田の近辺で暮らした期間は人生の半分を過ぎた。ここは、案外と知られていないミステリースポットではあるまいか。

この街に現れるのは、耳元で「そーそーそーそー」と同意する『何か』に限ったことではない。

関連話
そーそーそーそー(東京都中野区江古田)

そこで、それ以前からも気になっている江古田に関連した幾つかの事柄について、ここでまとめて触れておきたいと思う。

まず、江古田という土地そのものについて説明していこう。

池袋、沼袋など、「水」と「袋」などの付く地名は、凶事に由来した地名であるという俗信ともつかない説がある。

池袋を鬼門(丑寅・北東)に見る江古田は、沼袋側から豊玉中、江原町と北側を流れる江古田川によって囲まれている。関東で北に向かって流れる川というのは珍しいと思うのだが、この、ぐるりと川に囲まれた地形は竜の壺と言って吉相なのだそうだ。

が、僕には江古田の丘を囲むこの江古田川が、まるで堀か結界のように見えてならないのである。

この江古田川の内側にある丘の上には、当時、国立療養所中野病院という循環器系のサナトリウムが聳え立っていた。中野病院は十六階建ての鉄筋コンクリートの建物であるが、この病院の北東側に今は使っていないと思われる二~三階建て程度の木造の病棟がある。

一九九〇年代初頭の夜中のことであるが、以前勤めていた会社からの帰りがけ、好事家の大学生に「(幽霊が)出る病院があると聞いたのだが……」と偶然、道を訊ねられた。

出るかどうかはともかく、この近辺でそういう噂が立ちそうな場所と言ったらこの病院しか思いつかなかったので、恐らくそうであろうと中野病院までの道を案内したことがあった。

このときの大学生とは、後に全く別の人づてに再会したのだが、そのとき彼らはあの木造病棟に忍び込んだのだそうである。

「で、幽霊出た?」

「いやぁ、幽霊は出ませんでしたが……」

彼らが見たのは、割れたガラスと埃だらけの廊下、そして「昭和四×年捨テ」と書かれた、ホルマリン漬けにされた幾つかの臓物入りのポリバケツのみであったという。

彼らが忍び込んだそのときには幽霊を目の当たりにすることはなかったと彼は言い張っていたが、後日、病院の下に位置する公園から再び木造病棟を見上げたとき、彼は割れた窓に人影が立っているのを見てしまったのだそうだ。

この木造病棟の北東側の公園は、当時、北江古田公園という名前だった。

ここは江古田川が増水したときに川の水を流し入れる臨時の遊水池として使われているが、中野病院のある丘の北東側斜面を削って作られた完全に人工の公園である。

工事中に古代人の遺跡の一部が発見されたとかで、しばらく工事が滞っていたらしく、僕が引っ越してきたときにはまだ造成中で完成していなかった。

陽が落ちると、怪しい気配に包まれるこの公園には、様々な幽霊目撃譚が伝わっている。

幽霊は川などのような流れる水を越えることはできないと言われている。

北江古田公園の中で多くの人が感じる禍々しい気配が、その北東にある街に漏れ出さないで済んでいるのはこの川のおかげなのかもしれない、というのは考えすぎだろうか。

この原稿を書いている最中、取材に応じてもらうため江古田に招いた馳皇さんが、僕のアパートの玄関に駆け込んできた。

「加藤さん、やだよあそこ。また、変なのが出たのよ」

彼女は沼袋駅から僕の自宅に向かって歩いてきたのだが、江古田川の畔まできたとき、地面が粘るような感覚とともに、まるでゴキブリホイホイの上を歩いているように足が重くなった。

更に背負っていたバッグが、不意に「ゆさゆさ」と左右に強く揺すられた。

「なぁによう?」

子供の悪戯か、と背後を振り返った。が、そこには誰もいなかったというのである。

当時僕が暮らしていた2DKのアパートは江古田川の北東に今もある。アパートの一階西側の角に位置するこの部屋には、しばしば不可解な出来事が起きた。

三年近く放置してあったにも拘わらず、全く埃が積もらなかった御札がある。

これは以前、実家の親が送ってきたもので、伊東市にあるお寺の霊験あらたかな御札ということで、大変ありがたいものらしい。だが、どこに置いていいやらわからず、とりあえず部屋の隅に置きっぱなしにしてあったものである。

元よりあまり掃除などをしない上に資料にしている書籍の数が多いため、僕の部屋はやたらに埃が多い。

そこで一念発起して、たまには掃除をしようと部屋中の埃を払って回った。このとき同じ場所に三年以上置いてあったファイルは、つまめるほどの量の綿埃が積もっていたのにも拘わらず、例の御札には埃どころか全く汚れも色褪あせもなかったのである。

この御札は正月に近所の氷川神社で燃やしてしまったため、もう手元にはない。

古い御札を燃やしたときに代わりに買った新しい御札を、それまでと同じ場所に置いたのだが、新しい御札は早い段階でそれなりに埃が積もり始めていた。やはり、アレだけが特別だったらしい。

また、夜中に一人で仕事や長電話をしていると、誰かに椅子やソファの背もたれの内側から背中を、つつーっと撫でられることがあった。このソファは「そーそーそーそー」に出てくるものと同じもので、元々は「超」怖い話の二代目編著者である樋口明雄氏が所有していた。氏が「もう要らないから」というのを譲って頂いたものだ。

その後しばらくは収まったと思っていたのだが、何故か再び「誰か」に背中を撫でられるようになった。

北江古田公園に面した側にあるアルミサッシの上側の窓枠の近く、地上から三メートル近い高さにある窓ガラスの「外側」の、どう考えても手の届かない所に、窓枠の上のほうから下に向けて手を伸ばして付けた手形がある。これなど、誰が何のために、どのようにして付けたのかよくわからない。そもそも説明の付けようがないのだ。

そういえば、ある年の夏、この手形の付く窓を網戸を残して開け放して寝ていたことがあった。このとき、〈何か〉がこの窓から北側のダイニング・キッチンを通って、玄関に抜けていった。

前述の「そーそーそーそー」の一件と前後して続け様に起こったので、まだそういう現象に慣れていなかった僕は、この部屋の中の怪異について随分気味悪く思った。

家賃を払いにアパートの管理人の所に出かけていったときこの話をしたら、管理人は眉を顰ひそめ開口一番にこう言った。

「え?おたくも?」

どうやら、他の部屋にも同様の怪異があったらしい。

あれから何年も過ぎた現在でも、あの部屋にはごく稀に怪異が起こっているようだが、同じアパートの他の部屋でも今も同様の怪異が続いているのかどうかは不明である。

関連話
そーそーそーそー(東京都中野区江古田)

シェアする

フォローする