浦山ダムの怪現象(埼玉県秩父市) | コワイハナシ47

浦山ダムの怪現象(埼玉県秩父市)

左岸所在地は埼玉県秩父市荒川上田野、右岸所在地は秩父市荒川久那、浦山ダム。

河川は荒川水系浦山川、ダム湖は秩父さくら湖、ダム形式は重力式コンクリートダム、堤高は一五六メートル、提頂長(ダムの頂上部の長さ)三七二メートル。日本屈指の大ダムで、建設にあたり四九戸が水没する事になり、補償交渉に時間を要したという記録がある。湖面はとても広く、辺りは静かで非常に美しい自然に囲まれている。

ダム湖は名前の通り、春には桜が咲き乱れ、非常に景観が美しい。ダム内部を含めて、社会科見学等にも使用されており、地域に開かれたダムとして、積極的に外部からの観光客を受け入れている。

堤頂長が長い事もあり、夜は堤体壁にライトが点いて、一種幻想的な場所に早変わりし、ダム入口に駐車場、公衆トイレ、自販機がある事もあり、カップルや走り屋、ドライブの若者が訪れる場所でもある。

こうしたロケーションから、ごく最近の特撮ヒーロー作品の撮影場所に使用されており、他にも個人的な作品の撮影をしている人をよく見かける。堤体の入口に管理事務所兼宿舎があり、夜間も係員の人が宿直しているようだが、余程馬鹿騒ぎでもして迷惑を掛けない限りは咎められる事は無い。

私がここを訪れたのは、二○一○年の事。季節は一一月で、もうかなり寒かった。

怪談系企画の撮影で、女性リポーターのAさんと訪れたのだが、着いたのはもう夜の二三時頃で、撮影を開始したのは既に午前零時に近くなっていた。

最初は、夜間にライトが綺麗で、静かに撮れる、画が綺麗な場所という事でピックアップしたのだが、駐車場のベンチで動画のOPを撮っている時からトラブル続きだった。

まず、駐車場からは湖を挟んで対面に山があるのだが、その山の入口にある登り路の林に光が現れては消える。それは機械的な光よりも弱く、輪郭がハッキリしなくて、周りの暗闇に滲み出すようなオレンジ色だった。

ベンチに座ってもらい、撮影を開始すると、今度は湖の対岸、我々からは正反対の方から、かすかにヒィーッ、ヒィーッという声が聞こえる。Aさんは怯えてしまい、中々落ち着いて撮影に入れない。

これは困ったと思い、自販機で温かい飲み物を買い、一旦休憩を取る。

気が紛れて来た所で撮影再開。まずは簡単な取材時のスナップを撮影する事にした。Aさんにはベンチに座って幾つかパネルを持ってもらい、撮影を始めた瞬間だった。

「あっ!!」

「ガラガラッ……カーン……カーン……」

Aさんが声を発した直後、石が転がり落ちるような音が辺りに響いた。

一体どうしたのかと尋ねると、ベンチのAさんを撮影する為に、湖の湖岸に設置された鉄柵に背中をベタ付けしていた私の後ろ、つまり柵の向こう、ダムの中から白い塊が飛び上がり、私の腰の位置位で消えたという。その後、何かが転がり落ちるような音。

Aさんの言葉によれば、人間の拳のような物がふわっと上って来たらしい。

見てないのは背中を向けていた私だけだった。現場は騒然となってしまい、また撮影が一時中断となってしまった。

どうも上手く撮影が進まない。このダムはネットで調べても心霊系の噂は出て来ない、それを確認して撮影場所に選んだのに、これではまるで心霊スポットの取材になってしまっている。

この頃から、遠くで警報音のような音が小さく、絶え間なく聞こえており、私は管理事務所の方で、何か我々の騒ぎを感知されたのかと思い、説明の準備をして事務所の方に向かった。

事務所は駐車場に車があるので、宿直の人間が居るのは明らかだが、建物に明かりは無く、静まり返っていた。全く、動いている気配がないのである。

しかし、小さい音はずっと聞こえており、その音源を探そうと歩いて行くと、事務所を越えて、その先の湖対岸の方まで来てしまった。

目の前に暗い水面が静かに広がっていた。そこに湖岸の街灯が映り、画だけで見ればとても綺麗な光景だった。しかし、そこに常に耳底を刺すように、小さい音が鳴り続けている。一体これは何だろうと辺りを凝視するが、何も見えない。

最初、このダムに到着した時は、周りに人家も無い山中で、車通りも殆ど無く、耳が痛くなる位の無音だった。とにかく全く音が無く、この世の物とは思えない世界だったのだが、今は逆に、消えない音が鳴り響いている。

Aさんがやって来た。一人で車に居ても怖いので来てしまったという。

一体どこで鳴ってるんでしょうね? と話し合った。辺りに人家が無く、事務所に明かりも無い、他に音がしそうな原因も無く、辺りは見渡す限り山とダム湖。当然放水もしていないから、水音すらしない。駐車場には我々以外に車は無く、恐怖映画に出てくる、少数の人間しか生き残っていない世界のようであった。

湖面は全く静かで、波一つ無い、と思ったのだが……。

「バシャバシャッ……」

どこからか泳ぐような音が響き始めた。しかし、相変わらず湖面は一切乱れも無く、水鳥かと思ったのだが、鳴き声はしない。

Aさんが再び怯え始める。

「あれ、何ですかね? 見る限り何も動いてないですけど……」

「いやいや、私達の足元、要はこちら側の岸の下であれば、死角で見えないんで、何でもかんでも霊現象で片付けるのは……」

「ひぃ〜〜〜〜〜〜〜っ……ひぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っいぃっ……」

何とか宥めようとしている私と、怯えるAさんの背後、黒い湖面から、今度は明らかに女性の声の悲鳴が響き始めた。

何とか動物の声で説得しようと思うのだが、猫にしても明らかに違うし、犬や鳥ではあり得ない。何というか、鳴き声ではなく、悲鳴なのだ。人の声、とハッキリ分かる声、だった。しかも、この後、勘違いしようの無い変化を見せた。

Aさんは口を手で押さえて、涙ぐんでしまったので、車に帰るように指示した。彼女がゆっくり戻り始めた時である、女性の悲鳴が複数になり、やがて湖中から悲鳴が一〇人、二〇人と聞こえるようになってしまったのだ。

これは流石に私も初めての経験で、辺り一面から聞こえる悲鳴に背筋が寒くなった。

これが猫や犬だというなら、これだけの数、見えない死角に固まっているのか? いやそれはどう考えてもあり得ない。時期は真冬だし、このダム湖には餌になる物が無い。鳥だとしても、ダム周囲の山に居るなら分かるが、鳴き声が湖面からするのは解せない。

「車に居ます!!」

そう言ってAさんは走って行った。私も流石にぞっとして、遅れながらAさんの後を追った。ダム湖と道を挟んである第二駐車場に車を移動していたので、そちらに向かう。

Aさんがドアを開け、こちらを見て急げ急げと手招きしている。

普段であれば、Aさんを車に待たせておいて、物撮りと言われる景色撮影を行って帰る所なのだが、この日は声で辺りを囲まれるという経験をしたせいか、早くここを離れたいという一心で、小走りに車まで駆け戻った。

車を出すと皆少し落ち着いたようで、今のは何だったのか? その前の現象は何だ? 等、話し合いをし出したのだが、このダムの怖さというか、現象はここからがメインだった。

結論として、女性の声と、不思議な音や現象を起こすモノの二つがあったように思う。

白い手のような物が見えたり、音がしたり、といったモノはそれほどこちらに固執してはいなそうだったが、女性の声やあの泳ぐ音は、明らかに私やAさんに付いて来た。そのまま居たらどうなるんだろう、という恐怖感があり、その場に居る事が出来なかった。

取りあえず、最寄りのコンビニに寄り、温かい物でも買おうという事になった時、道路に轢かれた猫が現れた。

「うわ……可哀想に……」

Aさんが気付いて声を出した。私は、あまり気にしないように、と声を掛けて機材のチェックをし始めた。ライトが点かない。電池は交換したばかりで、さっき車に乗るまでは普通に使えていた筈なのだが、全く反応しない。

「え? また!?」

Aさんの声に反応してみると、ハトの轢かれた死体が見えた。この辺は山中だから、動物多いし、仕方ないよ、なんて言って誤魔化す。相当深い山中なので、まだ最寄りのコンビニまで距離があった。今パニックになられても、どうしようもないし、停まってあげる所も無い。

「ヒィッ!」

再度の声に驚き、彼女の視線を追ってみると、今度は大きなネズミの死体を咥えた犬がいた。もう何も言わなかった。とにかく早くコンビニまで行こう、それしか考えていなかった。

コンビニの駐車場に着いた時には心底安心したもので、全員で駆け込むように店内に入った。偶然かもしれないが、動物の死体を三回も見て、車内の空気が重くなった後、急に焦げ臭い匂いがし始めた。その時は誰も煙草を吸っておらず、私もAさんも非喫煙者だ。しかし、何となくその匂いは煙草のそれと違う感じがした。

木片を燃やしたような、出くわした事がある人なら火事場の匂いで分かるだろう。一般的に言えば、焼却炉の匂いというか……。

それだけに、コンビニで買い物し、支払いをしている時はまともな通常の生活に帰って来たような気がした。さっきまで震えているだけだったAさんも、ここでは水を得たように、テキパキと対応している。

しばらくの間、店前でコーヒー等を飲み、誰も車に乗ろうとしなかった。しかし、もう時間も深く、帰らない訳にはいかない。私が促して、車に乗り込む。途端、先程まで焦げ臭かった車内が、線香の匂いになっている。

これには誰もが言葉を失った。何故なら、信じる信じないではなく、目の前で匂いが変わっているのだから……車内には薄い香りの芳香剤が置いてあったが、まさか線香の香りなんて物が売っている訳ではないだろう。

その後、殆ど黙ったまま、東京まで帰り着いた。コンビニから出た後も、三回動物の死体と出くわした。

こうして、散々な結果で終わったダム取材だったが、私自身の怪体験はようやく幕開けといった程度だった。

まず、事務所に戻り撮影データをPCに移す為に接続すると、データが壊れていると表示される。SDカード上にはきちんとデータが残っているのだが、再生しようとすると壊れている旨のメッセージが出る。とにかくSDカードを取り出し、機材本体のメンテナンスを始めたのだが、肝心のカメラが電源故障で動かない、充電はされるが、全くボタンが反応しない。ライトはまだ買い替えが出来るが、カメラ本体は高価な為青ざめた。

そんな事をやっているうちに、強烈な眠気に襲われた。取材の準備や何かで、ほぼ丸一日以上起きている。その日は休日だった為、他の社員は出てこない。私は会議スペースとして使用している場所にブランケットを持って横になった。

どれ位かして、目を開けると、部屋中が暗い。事務所に着いたのは朝方五時頃だった。ここで横になったのは七時から八時の間だったような気がする……。

ぼうっとしながらスマホを見ると、一九時を過ぎていた。大分寝込んでしまったようだ、起きよう、と思って上半身を起こすと、顔に痛みがある。

「いたたたっ……あれ? これ、何だ……」

右頬がピリピリするので触ると、ぬるっとして指に血が付いた。びっくりして、スマホをライトモードにする。カメラを起動し、自分の顔を映すと、右頬に二本の筋のような傷があり、そこから血が滲み出ていた。

明かりを点け、応急処置をした。近所の店に絆創膏を買いに行き、取りあえず止血した。

が、それから毎晩のようにそういった傷が付いたり、顔を触られているような気がして、ただでさえ浅い眠りが、余計に浅くなった。ほぼ一時間から二時間のうちに、異変を感じて目が覚めてしまう。腕や、顔、首に引っかき傷のような痕が残る。

酷い時は完全に誰かの手が顔を触っているのが分かった。その時は大声を上げて飛び起きてしまった程だ。

私の本業はゲームやデジタルコンテンツの企画、開発だった。仕事が混むと、事務所に連泊というか、ほぼ住んでいるような状態になるのが当たり前だったし、週末はほぼ一人で事務所作業というのが普通になっていた。

それでも、仕事の忙しさもあり、気のせい、寝ぼけたんだろうと無理やりに解釈し、やり過ごしていたある日の夜だった。

その日は社員が帰った後、遅いお客があり、その方が帰ったのが二二時だった。ここの所の寝不足と、幾らか風邪気味だった事もあり、先に仮眠をする事にして、事務所の電気を落とし、音楽プレイヤーのイヤホンを耳に突っ込んで、早々に横になった。

一時間も寝ただろうか、毎日仕事中音楽を聴いているので、何の曲が再生されていると、どれ位時間が経ったか、分かってしまうという困った習性があった。

ぼーっとした頭で薄く目を開けると、顔に冷たい感覚がある。

あれ? また傷か? と、思い指で触れると、べたっとした感触で、いつもと違う感覚があった。どうも首が苦しい、部屋の電気を点けた瞬間呻いてしまった。

頬にべっとりと唾液のような跡があり、首に数本長い毛が巻き付いていた。

この時ばかりは自分で自分の精神状態を疑った。しかし、この長い髪の毛は流石に私の物ではない。社員に黒髪、ロングの子は居るが、既に退社している。仮にカーペットに落ちていても、服に付く位はあるかもしれないが、首に巻き付く確率は、恐ろしく低いだろう。そうやって理屈で考えて行くと、頭が覚めてきて、自分の状態に自信が持ててきた。ここ毎日悩まされる、事務所に見えない誰かが居る感、あるならあるでいいから、はっきりさせてやろう! という風に、腹を括ったのだ。

こうした事が起きた後は、人混みに紛れると安心する。私はコンビニに買い物に出かけた。エレベーター乗り場の前に来ると、もう二三時過ぎだというのに、業者さんが電気系の工事をしていた。

「ご迷惑をお掛けします。コードにお気を付け下さい」

そう声を掛けて来たので、エレベーターを待つ間、少し話をした。

「照明の電源が故障しまして、二五時までには終わりますので……」

丁度、エレベーターを降りたすぐ真上の照明が故障したらしく、乗り降りには非常に困る位置での作業の為、作業員の方も気を使っておられるようだった。

「大丈夫ですよ、大変ですね」

買い物を済ませ、再びエレベーターに乗り込む。一一階で降り、扉が開くと、業者さんが脚立をどかして場所を開けてくれていた。

「すいませんね」

邪魔しちゃ悪いので、さっさと通り過ぎようと思ったのだが、その瞬間、

「ズズンッ!」

大きな音がして、建物自体が揺れた。丁度少し前に大きな地震があり、東京も……等と言われていた所だったので、思わず立ち止まって、次の揺れに備えてしまう。業者さんは流石プロで、電気系の器具の電源を切っている。

「地震……ですかね?」

「さぁ、でも大きな音しましたよね……速報ニュース等は、入ってないんですが……」

私はスマホを見たのだが、登録している地震速報アプリは何も通知を出していない。勘違いだったのかな? としばらく待ってみても、何も起こらない。

何となく、不穏な感覚を覚え、辺りの写真を撮った。業者さんも、怪訝な顔で手を止め、辺りを見回していた。

挨拶をして別れ、先程撮った写真を眺める、漫画のようだと自分で呆れたが、驚いてコンビニの袋を放り出してしまった。

エレベーターの正面には、病院で見かけるような、長方形のガラスがブロック状に並んだ採光用の窓がある。非常に高さがあり、床から天井近くまで、二メートルはあるだろうと思われる。

そこを写した写真におかしな物があった。向かって右のガラス四〜五枚一杯に大きな顔が写っている。白っぽい顔で、表情はハッキリしないが、黒目だけのような目をしており、非常に不気味だ。

しばらく何も言えずに見入っていたのだが、角度を変えてみようが、どの方向から見ても視線が合う事に気付き、スマホを閉じた。

こういう残り方が一番質が悪い。まだ、うらめしやと出て来てくれた方が、逃げるなり、十字を切るなり進路が決まるという物で、近くには居るが、つかず離れずというか、変に間接的に姿を現したので、対処の方法が決め辛い。お化けが出るので引っ越しさせて下さい、と社長に相談出来る訳が無い。そうでなくても、前述の壊れたカメラの買い替えの際、事務の方に事情を説明するのに苦労したのだから。

この写真は、自分が撮った少ない中でも、最もハッキリした部類であり、拡大や色調補正の要らない、誰が見ても、何か居ますね、と言ってもらえる写真で、大事に保管している。

思わず事務所を出て、先程のエレベーター乗り場まで戻る。作業員の方の姿は見えなかったが、工具はそのまま置かれていた。彼も気味が悪くなり、一休みを入れているのかもしれない。辺りは何も変化は無く、再度写真を撮ったが、何も写らない。

事務所に戻り、名刺入れを探す。二〇代の時からお世話になっている、感の強い方が居る。一時期、親戚の編集者の要請で、霊能者的な活動をしていた事がある。私は、その親戚が勤めていた雑誌で一緒に働いていた為、顔見知りとなったのだ。

電話をすると、まるで小言のような口調で、

「こら、しんちゃん! どこ行ってきたの!!」

理由を話すと、明日すぐに来いという。詳しい話はその時する、と言って、一方的に電話を切ってしまった。

次の日の朝、出かける準備をしていると、事務所のチャイムが鳴る。出てみると、そのビルの管理会社の人だった。

「あの、ここ数日ですね、朝になると、ドアの前に水溜りが出来てまして……それで、周りの部屋の方からも連絡あったものですから、こちらで掃除はしていたのですが、今朝はそのですね……」

管理会社の方が指さす先は、事務所のドアを開けた目の前。そこに結構な量の赤い液体がばら撒かれている。

「こちら様は今までトラブルもありませんし、急な事だったんで何かあったのかと心配していたのですが、今朝はこれだったもので」

近隣とのトラブルを疑われた訳で、こんなモノをみれば当然だろうと思う。その場は平謝りに謝り、特に近所と揉めていない事を伝え、電車に乗り込んだ。

あのダムに行ってから、万事がこの調子で、何が異常事態か分からなくなってきた。とにかく、自分には霊能力なんて無いので、分かる人に聞いてみるしかない。

感の強いTさんの家に着いたのは、もう一〇時を回っていた。

お茶を出され、居間に案内される。他のご家族の方は、孫が遊びに来たので、買い物兼遊びに出ているという。ますます申し訳なく思っていると、何も聞いてないのに、Tさんが話し始めた。

「凄い執着心が強いよ、その人」

「は? 何がでしょうか? え?」

「しんちゃんが連れて来た女性よ! 三〇代中、後半位かな」

思わずキョトンとしてしまう。まだロケの事も何も言っていない。

「子供出来た途端に捨てられたんだね、産んだばかりって感じで飛び込んでる」

「飛び込んでるってのは……」

「水としか言わない。けど、大分ふやけて見えるから、海とか川とか深い所よ」

「あの、実はこの前ダムに行ってきまして……」

「ダムか、じゃあ相当怖かったろうね。子供抱いてね、泣きながら、ううん、絶叫しながら飛び込んでるの」

頭の中で、Aさんと聞いた、湖中を取り囲むような悲鳴が鳴り響いていた。

「あの、何で自分に?」

「子供出来るまで、凄い可愛がられてたの。まぁ、愛人なんだろうけど、殆ど毎日帰ってきて、買い物出かけたり、飲みに行ったり、だから急に豹変されてパニックになったのかな。しんちゃん、似てるんだよ」

「何がですか?」

「捨てた男に。顔つきなのか、声なのか、性格なのか、どっか似てるの。それで、死んで成仏出来ない所に、あんた行ったでしょ? ほら、やっぱり来てくれたって、飛び付いたのね。あの人は私を捨ててないって」

テレビの心霊番組を見てるようで、いまいち実感が無い。

その後起こった事も細かく説明するが、全て彼女の仕業らしい。どうしたら離れてくれるのだろう。理屈が通じるかも分からない相手だ。方法が無い、という結論も十分あり得る。そう考えると恐ろしい事この上無い。

「一応、説得はしてみるけど、どれだけ掛かるか、分からないよ。向こうが満足すれば離れるだろうけど」

「満足って何ですかね?」

「死んで向こうに一緒に行ってやるのよ。呼ぶ為に付いて来てるんだから。可哀想に、赤ん坊、落ちる時どこかぶつかったのね、酷い格好よ。大事に抱いてるけど」

私は、Aさんが言っていた、拳大の何かがぶつかって落ちていく、という現象の意味が分かった気がした。

私が酷い仕打ちをしての結果ならば、罰を受けるのも仕方ないが、無実の罪で死罪は受け入れ難い。どうにかして誤解を解かないといけない。

それからは休日の度にTさんの家にお邪魔し、お経をあげてもらい、説得してもらった。時間が経つ毎に、怪現象は少なくなり、事務所前の水溜りも消えていた。

一人で仮眠をとっていても、何かに触られるという感覚は無く、普通に睡眠がとれるようになっていた。

一度、Tさんにエレベーター前で撮った写真を見せた。大きな顔の印象で気付かなかったが、すぐ下に、手のような物と、小さい顔があった。それはどこか哀れで、寂しい気がする表情だった。

「しんちゃんは必要以上に可哀想とか思っちゃ駄目よ。ただでさえ執着してるんだからね? ほら、あの人は変わってなかった、なんて思われたら、事故か何かで即持っていかれるよ。そういう人、何人か見てるからね」

そうは言われても、あまりにも哀れで救いの無い結末ではないか。子供には罪が無いのに、生まれたばかりで、歓迎もされず、名前も呼ばれず、突然コンクリに打ち付けられ、死んだとしたら、これ程悲惨な運命は無い。

Tさんは冷静で、捨てた旦那がどう責任を取ろうと知った事ではないが、お前が責任を取るのは違うだろうと、根気強く説得してくれた。私はこの時期、ダムの女に魅入られていたのかもしれない。

怪現象が少なくなる程、私の精神が持っていかれていた、というのは、後から考えればとてつもなく恐ろしいのだが、それが心霊現象という物なのかもしれない。

ラップ音だ、火の玉だ、オーブだというのは、死者が存在に気付いて欲しいから起こすアクションの、前兆なのではないかと思う。

私の状態は少し落ち着きを取り戻し、酷くなるとTさんに助けてもらう、という流れを繰り返して一カ月半が過ぎた。

その間に、壊れたカメラから救出した、SDカードのサルベージをお願いしていた知人から連絡があった。何とかデータを見られるようにしたので、動画を送るというメールだった。ダウンロードして確認してみると、画像が全て二重にぶれ、人物の顔が目の辺りでブラックホールのようにパースがかかり、目が顔を吸い込むように歪んでいる。更に、画面全体に砂嵐のようにノイズが乗っている。

絵的にも酷い有様だったが、音声が酷かった、殆ど入っていない状態で、低いビープ音のような物がずっと鳴っている。しかも、時折ブチブチと何かが千切れるような音が被る。音声は今別の所で解析しているという一文があり、後日別送するとの事だった。

異様な動画に面食らった。これでは使い物にならないし、登場人物が全て歪んだ状態ではスクリーンショットすら厳しい。それに、音声が無いのではAさんのレポートも台無しで、視聴する人も何が何やら分からない。せめて、音声か画かどちらかが生きていてくれれば、使い道もあるのだが、両方死んでいる状態ではどうしようも無い。

今までにも、取材に行って機材やデータにトラブルがあり、ピンチになった事はあるが、ここまで徹底的にやられたのは初めてだった。機材もデータも、人も全てに影響が出て、どれもが結構なダメージである。しかも写真まで残った。

調べた時には噂も何も無いので、舐めていた感があったのだが、考えてみれば、山中の広大なダムなんて、夜中にそっと来て、誰か飛び込んでも気付かないだろう。逆に言えば、正式な記録で飛び込みがあった、という訳では無いので、あくまでも結果から導き出した推測なのだが。

この時点では、そう思っていたのだが、ここの恐ろしさは、これで終わらなかった点なのだ。

今回の取材が使い物にならなかったので、私は再度取材を組んだ。Tさんにはもう面倒見ないよ、と怒られたが、この時点では手持ちの撮影場所で、ここに勝るインパクトの場所が無かった。少しでも霊が撮れる確率が高い場所を選ぶ必要がある。

今でもそうだが、何とかカメラに霊存在の証拠を収めたいと思っているので、ここまで影響が出るのであれば、次はもっと何か写るのではないかと思ったのである。

二カ月程経って、女性三人で再度ここを訪れた。Aさんは二度と行きたくないと言ったので、彼女と知り合いのBさん、Cさん、Dさんに同行してもらう。その時に気付いたのだが、公衆トイレのあるメイン駐車場の下に少し下がった第二駐車場があったのだ。ここは全く照明が無く、夜になれば闇に溶けるが如く存在が分かり辛くなる場所でもある。一応、トイレの端のスペースから階段で降りて行けるようになっているのだが、長い間誰も使った様子が無く、車が停まったのを見た事が無い、無い無い尽くしの場所だった。

三人のキャストは初めて訪れた場所なので、あちこち気になって仕方がない。怪異が起こらなければ、夜のダムは確かに雰囲気溢れてロマンチックかもしれない。堤体の照明が規則的に並び、耳鳴りする程の静寂の中にいるのは特別な感覚だ。クリスマス時のイルミネーションが飾ってある通路を歩いているような感じで分かってもらえるだろうか。

女性陣は写真を撮るのに忙しい。その彼女達をベンチに座らせ、怪談を収録し始めた時だった。Bさんが話し始めて五分と経たないうちに、いきなり堤体の明かりが全て消えた。一カ所の明かりが消えた、というのとは訳が違う。三〇〇メートルに渡る堤体の明かりが一斉に消えたのだ。時間は午前一時二〇分を少し過ぎた辺りで、何故こんな中途半端な時間に消えるのか分からなかった。前回は何時までいても照明は消えなかった。

いきなり真っ暗闇になったので、キャストは全員抱き合って怯えている。私から前回の取材の経緯を聞いているので、この場所が恐ろしいというのは彼女達も知っている。しかし、実際来てみれば、景色は綺麗で、静かな所なので、拍子抜けしていた所もあっただろう。それだけに驚いたし、怖かったのだろう。

しばらく休憩を入れて、撮影を再開した。

その段になって、辺りから奇妙な音がし始め、謎の物が湖を泳ぐ音まで聞こえて来た。彼女達も説明で聞いていた怪異が、実際に起き始めたので、焦っている。

怯える彼女達を説得し、ダムを一通り回ってもらう。公衆トイレのある駐車場と、管理事務所の間には、春や夏だけ営業すると説明がある売店があるのだが、彼女達に回ってもらっている時、この売店の周りを調べていると、急に売店がギシギシと鳴り始めた。それこそ地震かと思う程ハッキリ音がして、また全員で飛び上がる。

家鳴りだとしても大きいし、我々が来てから急に鳴り出すのも不自然だ。

休憩を入れようと、駐車場に戻り、トイレに行く者、飲み物を買う者等、バラバラに行動していた時だ。私はその日見つかった、第二駐車場が気になっていたので、階段を降りて、駐車場を撮影していた。アスファルトの上に、草が伸び放題に広がり、それが堆積している。やはり長い事使われていないのか、と、思った時だった。入口近くに、割と新しいであろう、草の上を踏みつけた車のタイヤ跡を見つけた。

なるほど、考えてみれば、真っ暗な駐車場で、上には自販機とトイレもあるのだとしたら、カップルがやって来て、イチャつくには持って来いの場所だ。頻度は少ないかもしれないが、地元の若者で、ここを知っていて、穴場的にデートで使っている者がいても不思議はない。それが証拠に、この日の撮影はダムに到着したのが二三時過ぎだったのだが、二台ほど車が駐車場に停まっており、どちらも地元の若者風のカップルだった。その為、少し散歩等して、彼らが去ってから撮影を開始したのだった。

しばらく一人で撮影をしていたのだが、特に変わった様子は見られなかった。上の駐車場から降りてくる階段の脇に植込みの花壇がある位で、特に他に見るべき物も無い。

そうこうしていると、上の事務所の方で騒いでいる声が聞こえる。何事かと戻ってみると、三人が青ざめた顔で立っていた。

私が第二駐車場で撮影している間、Bさんを先頭にダム湖の周辺を見て回っていたのだが、寒くなったので、車に戻ろうと三人で歩いて来た。話しながら戻って来たのだが、どう聞いても足音が多い。後ろから歩いて付いてくる奴がいる。怖いので、三人で横並びになり、手を繋いで歩き始めたが、やはり一つ音が多いという。

Bさんが声を掛け、少し小走りに皆で走って、急に止まってみようという事になった。

全員で一〇メートル位走り、ビタッと止まった。しかし、後ろから走る足音が止まらず、そのままダダッと音がしたので、全員で悲鳴を上げて車まで逃げ帰ったという事だった。

やはり来る度に異常な事態が起こる場所だ。しかし、今日のそれは少し毛色が異なるというか、感覚的に違う気がしていた。

前回の取材時は、まさにお化け屋敷的な怖さだったのだが、今回はもっとまとわりつくような、嫌な気配を感じていた。

キャストの面々は車に乗り込み、不安そうに外を眺めている。他のスタッフと、撮れ高の相談をした。トークの部分は照明が切れた為、十分とは言えないが、場所を移動して撮り直したので大丈夫だろうという事になった。しかし、他の散策パートに至っては、怪異の起こり方が散発的で、各現象に繋がりが無く、映像で残っている部分は全部をフォローしてないので、微妙に足りないのではないか? という話になった。

そうなってくると、候補としては、まだ一度もキャストが入ってない第二駐車場に降りてもらい、そこで今日のまとめを撮影しようという案が浮かんだ。

画的にも真っ暗だし、雰囲気は怖くていいじゃないかとまとまった。車に戻り、キャストに説明する。彼女達に準備してもらっている間に、照明や機材のセッティングの為に、一人で降りて行った。照明を置く位置が上手く決まらず、あれこれ悩んだ挙句、植込みの花壇に置く事にした。

花壇の縁に乗り、ライトを植込みに埋めるように入れ込み、角度を作っていた時だった。三列になっている植込みだったのだが、中央の植え込みの中に、何か白い物が見える。ゴミかなと思って、手持ちのライトで照らしてみる。

そこで、違和感の正体を発見した。

見つけた物は、女性用のチビTシャツだった。白地にピンクで、可愛らしい文字が入っていた。しかし、体の前面には、赤黒い跡がべったりと付き、背中側はそこら中泥だらけで、至る所が破れていた。

誰かが着替えて捨てたのであれば、血のような跡は何だろう、という事になるし、どう考えても、自発的に脱いで捨てた感じはしない。

推測でしかないが、植込みの中央列にこのTシャツがバサッと落ちるには、上のトイレ辺りで脱がされ、捨てられたか、下の駐車場で何かトラブルが起きた後、その証拠を隠滅するようにわざとそこに捨てたか、どちらかが現実的な線ではないだろうか。

どちらにしても、キャストに何と説明しようか迷った。これを怪現象と結び付けるのは無理があるし、本来なら警察に知らせる方がいいかとも思ったのだが、かなり時間が経っていそうなTシャツだったし、自分の立場上、撮影を優先しないといけない。

その日は、何とかこのTシャツの件を撮るだけ撮り、帰宅した。

こうして、一連の浦山ダムでの取材は幕を閉じた。機材やデータは無事だった。

別の人に聞いたが、毎年夏には堤体に花束やお菓子が置かれているそうだ。何があったかは分からないが、ダムは未だに静かに佇んでいる。

シェアする

フォローする